第14話
出された名刺には
これが噂に名高いキラキラネームか……
威厳さえ感じさせる風格に見合わない色物な名前。苗字は大仰なのにどうして両親はそう名付けたのか。漫画のキャラクターと大差ない変名に戸惑いを隠しきれる自信がない。
「お名前が気になりますか?」
「あ、いや、そういうわけでは……」
いかん。やはりバレた。図星を突かれてしどろもどろとなってしまったな。これでは格好がつかん。焦るな俺。恐れるな俺。平常心だ。気圧されるなよ。
「そうだな。すまない。あまり見慣れない氏名につい動転してしまった。許してほしい」
ナイストーク! 素直さこそ誠実の表れ! 下手に繕うよりはさっさと謝るべきである。
「慣れてますからお気になさらず。それにしても、意外と殊勝なお方ですね」
ほら見ろ即許ではないか。
しかし「意外と」は余計だ。
「それで、何故わざわざ500万も払って人間を雇う必要がある。バイトを雇えない理由とはなんだ」
「そうですね。それでは、要所要所かいつまんでご説明させていただきます……」
空になった紙コップに江見が2杯目のコーヒーを注ぐと梵はそれを一口含んだ。
悠然としている。嫌味のない気品の高さは育ちの賜物だろうか。しかしそんな気高さで話す事がキャバクラについてとは、何ともはや肩透かし。まぁ仕方がないので聞いてやる事にしよう。
「私が経営しているキャバクラ……あ、屋号はプトレマイオスといったのですが、この度アエギュプトスと改め、店内もリフォームして新装開店となる運びとなりまして、非正規雇用を含めた社員を一旦解雇し、開店後改めて再雇用するという手はずだったのですが……」
「ですが?」
「営業日を誤って1ヶ月遅く伝えてしまい、ホール業務を執り行う人間が誰もいない状態となってしまったのです。再雇用予定のスタッフを呼ぶのは諸々の事情で不可。短期で募集しても人は来ず、新しく雇うのは継続的な人件費が嵩むのでできればしたくない。そこで、こうして安くないお金をだして頼みに来たわけなのです」
「なるほど」
杜撰な……
そんな事があるだろうか。いや、あるからこうしてこんなところに来たのだろう。いやしかし、いくらなんでも新規開店の日を誤るなどあろうか……
いやいやない。あるはずがない。少なくともまともな経営者であるならそんな致命的なミスをするわけがない。明らかにおかしな話。異常だらけだ。
そう、焦点はそこだ。
この梵が大間抜けならばそれもあるだろうが学生の身分でありながら店舗経営を継続できる手腕を持っている女である。おまけに100万、500万という大金を簡単に出す底の深さと器量。そこら凡百の経営者ではない。そこを鑑みるとやはり考えられれない失態。あるべきはずのない愚ではないか。つまり、結論から述べればこの女は嘘をついている。あるいは、何か隠しているに違いない。これは少し興味が出てきたぞ。問い詰めてみよう。
「何故、そんな伝達ミスが起こったんだ? 普通ないだろそんな事」
「起こってしまったのだから、仕方ないでしょう」
「……」
危ない。強く芯の通った声に「確かに」と頷いてしまいそうになってしまった。注意せねばな。とりあえず、アプローチを変えてみよう。
「……質問を変えよう。その話、本当に嘘偽りなく、また隠している事もないんだな?」
語気を強めて発声しながら梵を見る。変わらず腰を据えた、威風堂々とした面持ち。
しかし一点隙ができた。ほんの一瞬視線がズレたのだ。ここまでの傲慢不遜に、僅かな動揺が現れた。
「どうして、そんな事を?」
これは思ったより効果的だったようだ。ここに来て初めて梵の繊麗が崩れた。
よし。畳み込もう。
「逆に聞かれないと思ったのか? 雇用予定のスタッフを呼べないなんてのはおかしな話だし、短期のバイトも応募がないなんてのは不自然。長期雇用のコストは出し渋るクセに1ヶ月で500万も出すという矛盾。どう考えても筋書きに無理がある。これらの疑問わ論理的かつ分かりやすく説明していただければそれで良し。仮に嘘や偽りがあったとしたら正直に打ち明けてほしいのだが、どうか」
「……意外と冷静ですね」
だから「意外と」は余計だ。
「分かりました。申し訳ありませんが確かに一つ、嘘をついていました。ですがそれは決して騙すつもりがあったからではありません。知らなくともいい事だから、あえて話さなかっただけというのを知っていただきたい」
「御託はいい。述べてみよ」
ここは厳しく詰め寄ってみる。
陳腐な虚偽ではこちらは騙せないし腹にも据えかねるぞという意思表示である。人間舐められたらいかん。
「では申し上げましょう。私の店には当然接客をするキャストがいるのですが、この中にいるのです。輪を掻き乱す、厄介なサロメが」
妙に芝居掛かった言い方をするなこいつ。まぁ、いい。続きを聞こう。
「それで?」
「そのサロメが客や男性スタッフを喰い散らかすものですから、ボーイ間でのいざこざが拗れ皆辞めてしまい誰も彼もが残らず退職。掲示板では悪評ばかりが書かれる有様。それ故に募集してもスタッフに関しては全然……辛うじて確保できた人員が揃うのは2週間後で、
肩を落とし落胆する素振りを見せる梵だったがまるで悲愴を感じさせない。さてはこいつ、半分楽しんでいるな?
まぁいい。話しを皿に聞いてみよう。
「そんな輩解雇でいいではないか。実害も出ているし、少しばかり
「どうやら貴方、夜に開く花の城の流儀についは無知なようですね」
「……意味がわからんのだが。何かの詩か?」
「いいですか? 夜の世界には夜の世界のルールがあるんです。守るべきはキャスト。尊重すべきはキャスト。店の主役はお客様ではなくキャストなのです。そのキャストに僅かな金を渡してさようならなんてできますか? いいえできません。彼女達のいない店などオフィーリアのいないハムレット。コーディリアのいないリア王です。どのような形であれスポットの真下で輝くのは彼女達であり、どのような人間であろうと彼女達を排する事はできない。彼女達がいなければ店は成り立たず、彼女達がいてこそお客様は満足なさるのです。お分かりですか?」
「まぁ……」
目を輝かせてよくもまぁ雄弁に語るものだ。言わんとする事は分かるがあまり熱意を持たれても一歩引いてしまう。まぁ、特に目標にない俺と比べればよほど素晴らしい人生といえるだろうが。
「店舗起因によるオペレーションの不備でキャストに茶を挽かせるなど店の恥。どうにかして彼女達にスポットを当てたいというのが本心。店舗が回せるのであれば500万は痛いですが致し方ない出費ですし、無理を頼むにも必要な経費。これは貴方方に対する誠意と受け取っていただけましたら幸いです」
こちらを見据える梵に太々しさはなかった。誠心誠意を込めて頼みを請う人間の姿勢である。
礼を持ってして頭を下げた人間の心に応えないのは小人のする事だな……
事の如何はともかくとして期待を裏切りたくないという感情は万人にあるだろう。やってくれと頼まれたら可能なかぎり承諾したくなるのが人情というもの。遇せざるは非道。捨ては置けん(そもそも先に「やる」と言ってしまっている以上今更なしになどできるはずがないのだが)。
「なるほど。事情はよく分かった。お前の言葉、信じよう」
「ありがとうございます」
「それで、いつから働けばいいんだ?」
「無論、今日からです」
「きょ……」
「さ。そうと決まれば早速お店に行きましょう。本来は18時出勤ですが覚えてもらう事がたくさんありますからね」
「ちょ、ちょっと……」
急転直下の展開に腰が引ける。
え、マジで言ってんのこいつ感が否めない。江見など理解が追いつかずひたすらパンの袋の角を引っ張り虚脱している。可哀想に。
「何をモタモタしてるんですか情けない。早く早く。時間は待ってくれませんよ」
「いや、だから、あの……」
「問答無用です。さぁ行きますよ」
情け容赦ない罵声を浴びるまま俺と意味は外に連れ出されタクシーに放り込まれる。呆気に取られる運転手の顔がバックミラー越しに見えて少し気の毒となった。可哀想に。しかし、真に可哀想なのは巻き込まれに巻き込まれている俺であろう。
あぁ、やはりもっと慎重に話すべきだったか。
後悔しても、後の祭りである。
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