第2話
中庭にて拝むは桜咲き誇りそして散る春の一幕。
無為に座り続ける行く末不明の怠惰で無価値な俺。意味なく桜眺め錯乱未遂。本日受講の講義なし。
どうしたものか。
自販機で買った緑茶を一口含み前途模索。暗中多難。何をやろうにも気がなく矢の如く光陰が過ぎていく。刻々となくなっていく時間と暇故の遅速体感の矛盾。統率のとれない主客に心神は疲弊しますます動くつもりが消え入って、今にもベンチに根が張りそうである。何という浪費だろうか。どうにかせねば。
欠伸を噛み殺し何とか立ち上がるも途方なく再び着席したい衝動に襲われる。これはいかんと歩き出し、無闇に学び舎へと入り階段を上っていくとカナブンの研究室に辿り着いた。普段ゼミで通うものだから身体が覚えてしまっているのだろう。気乗りしないし多分ろくでもない結果となる事受け合いだがこのまま引き返しウロウロと彷徨うのも(実に俺らしいが)間が抜けている。しかたない。相談でもしてみるかと、俺はノック後扉を開けて挨拶をする。
「失礼します
カナブンはハゲ頭のクセにコーヒーを啜りながらPCをチェックしていた。呑気なもので羨ましい。教授ともなると気楽に金を稼げるのだからいい商売である。
「なんだ。藪から棒に失礼だね君は」
カナブンはこちらを見もせずスポートのマグを啜った。鼻持ちならない態度だが、こいつはこんなものだ。気にするだけ無駄無駄。
「実はご相談がございまして……あ、コーヒーいただいていいですか?」
「……好きにしたらいい」
「どうも」
渋い顔を尻目にコーヒーを注ぐ。カナブンが用意しているコーヒーは拘りがあって美味い為ちょいちょいとご馳走されに来るのだがその度に眉間に皺を寄せられるので困る。わざわざ教え子が訪れているのだからコーヒーの一杯くらい気持ちよく出してほしいものだ……む。今日は。グァテマラ。いい味してますね。
「いや。美味しい。さすが先生。分かってらっしゃる」
適当なおべっかを吐き来客用のソファに座ると腰が深く沈んだ。一々良い品を使う。
「……で?」
仕事机からゆっくりと対面に座ったカナブンは、俺の顔をじっと見据えた。
「……は?」
「相談とは何かな? 私も忙しいんだ。手短に頼むよ」
「いやぁ。ははぁ。手厳しい」
「……」
嫌味たらしく鼻を鳴らされるのは慣れているが厳しい睨みはやはり怖い。ここはへつらい愛想笑い。こうなると聞こえてきそうな例の声。我が心に住む我が皇帝のお言葉。マインカイザーはこういうのを特に嫌う。だがこれくらいは世渡りの範疇のようにも思う。
相手の嫌忌にあてられ迎合するなど唾棄すべき姿勢であり自己嫌悪の種ともなりうるが、ラインハルトとて士官時代は意に反する言動もしていただろう。そもそも俺はラインハルトにはなれない。憧れる想いはあるし、心に住む皇帝の存在が自らの行動思考の決定材料になりはするが、俺は金の獅子となるつもりは毛頭ないのだ。なれば、多少の軽薄は大目に見ても……
「卿はそれでいいのか?」
問われる軟弱。審議の始まり。俺は偉大なる皇帝陛下に自らの是非を述べねばならなくなった。
「いや、しかし。ここは現代日本だし。誰しもが皆、気高く生きていけるわけでもなく……」
「卿はそれでいいのか?」
「コーヒーもいただいているし……」
「卿はそれでいいのか?」
「そもそも俺が勝手に訪ねてきたわけだし……」
「卿はそれでいいのか?」
「……」
審議終了。
ぐうの音もでなくなり口角が落ちた。咳払いを一つ数えて襟元を正す。
俺の中のラインハルトは強者や権力者に与する事を良しとしない。媚びへつらいなど以ての外であり、それがいわゆる処世術と呼ばれる類のものであっても異議申し立てをしてくる。調子よく失礼を働いても何も言ってこないくせに、自らの位置が下がるとみるや途端に声を発するのは俺の自尊心とリンクしてしまった結果だろう。成長の過程でいささか歪となった偶像は時に息苦しさを覚えるほどのプライドを強要してくるのだ。これは良くない一面だが、芽生えた主君の言葉を捨てるわけにもいかない。俺はもう一度咳払いを決めると、直ちに引き締まりカナブンの視線に目を合わせた。やや空気が重くなり腰が引けそうになるが、ここは耐え時である。
「……」
「どうした。何でも言ってみるといい」
機微を悟ったのかカナブンは少しばかり柔和となった。態度を改めるとは意外だったが、考えてみればなるほど人間と接する職業である。僅かばかりでも情と義理が育まれているのだろう。(角を立てるのも面倒なのだろうが)これならば話しもしやすい。奴の言葉通り、素直に白状してみるとする。
「そのですね。僕ももう大学に入って3年が経つわけなんですよ」
「ふむ……」
「なのですが、未だ何も成し得ていない。何を成していいのか分からない状態でして」
「……」
「それで居ても立っても居られずブラブラとフラついていたら先生の事を思い出しまして、失礼仕った次第でございます。ここは一つ、人生の指針を……」
「あい分かった。もういい」
言葉が終わる前にカナブンは俺を制しコーヒーを飲み一息を吐く。不遜ではないか。腹立たしい。
「若いね。実に若い」
「はぁ……」
「人生がなんたるものかなんて悩みはね。10代の頃に済ませておくもんなんだよ。君はもう
「いや、しかし……」
「しかしも何もない。私が思うにだね。君は人生経験が乏しいんだ。本来であれば若かりし頃に色々経験するもんだが、恐らく君はずっと勉学に励んでいたのだろう。恋愛や不良行為なんてものとは無縁だったんじゃないかい?」
「まぁ……」
「そうだろう。それがよくない。いいかい。人生はね。だいたいろくでもないものなんだ。そんなものに希望を持つから何かしたいだの何もできないだのと与迷い言を吐き出してしまうんだよ。若い内ろくでもない事をやっておかないと生に対して潔癖になってしまう。馬鹿な女の言葉に一喜一憂したり、くだらない反抗心のまま不徳を積んだりしないといかんのだ」
急に熱弁しだすカナブンには鬱屈とした暗黒の炎が燃え上がっているようだった。これはよくない兆候である。
「ともかく君は面白味を殺している。コーヒーをたかりにくるのはいいがね。たまには何か土産話でも持ってきなさい。ただ生きているだけじゃいかんよ。如何に馬鹿馬鹿しく、如何にくだらなくなれるかだ。私が教授なんぞくだらない仕事についているのは趣味が金になるからだよ。高尚な理由や偉大な目的など何一つとしてない。ただ好きな事を考えて生活できるからだ。人生なんてそれでいいのだよ君ぃ!」
そう言い切るとカナブンはグビとコーヒーを飲み干し一息の間をおいて「分かったかね」とやや疲れたように聞いてきたので俺は「分かりましたありがとうございましたさようなら」と席を立った。まるでどこぞの不良中年のような演説を聞き疲れてしまった。
カナブンは普段ニヒリストなくせにたまにあぁなる。抗議の途中でヒートアップすると時間など気にもせず話を続けるものだから職員に疎まれている。か、当の本人は素知らぬ顔をしているのだからいい根性をしている。今回はキリよく終わったからいいようなものの、下手をしたら夜まで話を聞かねばならぬ羽目になるところであった。やはりあいつはあてにはならない。次回からはやめておこう。
しかし、どうせ意味なく時間を過ごさなければならない俺にしてみれば、まだ無駄話を聞いていた方が良かったのではないかとチラと思った。予定などない俺は、自由となっても形のない不安に焦燥するだけである。
どうしたものかな。
元の木阿弥。ベンチに座っていた時と同じ言葉を心中に浮かべる。なんとなしに階段を降り中庭。太陽が昇り眩しく、花や木がズンズンと背を伸ばすのを見て、少しばかり、嫉妬する。
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