第3話
手持ち無沙汰を極めた俺は時間潰しに設置された掲示板などを見る。必要のない情報の羅列は一時の慰みにこそなれ本質的には無意味。目を追うだけの活動。
しかしなんだな。抗議時間の変更やら休講の報せなど色々とあるが、不要な掲示物があまりに多いな。アルバイト紹介はまだ分かるとして迷い猫やら失せ人の情報など掲載してどうするというのだ。「猫がいなくなりました。可愛い三毛猫ちゃんですね」などと書かれだところでどうしろというのだ。頭が正常な働きをしていない人間が担当したとしか思えない。狂気の沙汰である。
そんな意味不明なお報せの中、一つ興味を惹く張り出しがあった。大学祭。実行委員募集。▲▲大学学祭執行部。とかかれたB4のペラ紙は自信なさ気に隅へ留められ、はてと首をひねる。この大学は簡素質素シンプルを旨としており派手な催しや軟派な活動は見られず、校内イベントなどは入学卒業式くらいなものである。各人の自由意思こそ尊重されてはいるが、学校単位でフェスティバるなどあり得ない事。それがなぜ突然学祭などと腑抜けた戯れを企画したのか。それになぜもっと大々的に宣伝せずこのような縮こまった紙一枚だけなのか。第一今頃になって人員を募集しているのか。全てが不可思議かつお粗末。よくよく考えても意味がわからない。
だがまぁ、どうでもいい事だ。埒がないし、そもそも興味がない。学生の自己陶酔と自己満足を助長するだけの愚劣極まりない行事などにうつつを抜かしている場合ではないのだ。短い人生をこれ以上無駄に過ごしてなるものか。断固無関係を辛くべきだろう。
馬鹿馬鹿しい。出よう。
俺は踵を返し正門へ向かう。無用な場所に居座っていても仕方がなく、とにかく何かをしていなければ落ち着かなかった。暖かい陽射し寒い。残酷な時流が俺の胸を刺す。このまま何をするわけでもなく、ずっと何かを追い求め、また、何かに追われながら生きていくのだろうかと過ぎると、心が震える。
「卿はそれでいいのか」
ラインハルトの問い掛けに唇を噛む。
それでいいわけがない。しかし、どうしたらいいのか分からない。悩みばかり。苦しみばかりが積み重なっていく。
「卿はそれでいいのか」
皇帝は冷酷にそう問い続ける。果てなく湧く苦悩逡巡に対する明確な回答を果たして得る事ができるのか。それさえも、俺は分からずにいる。
振り切るようにして黙々と歩いて辿り着いた先は行きつけの喫茶店だった。少し疲れたので一服休憩と洒落込もう。駆け込み流れる入店合図は味気ない機械音が、幾らか荒んだ心を落ち着かせる。
「アメリカンを一つ」
「かしこまりました」
着席早々に注目をする。
どこへ行っても必ずあるチェーン店だがそれが逆に安心安全。量産型の安定した味わい。カナブンのところで飲んだ上物と比べると大量生産品など泥のようなものだが安いから許す。こうした店のコーヒー料金は席代みたいなものであるから贅沢を言ってはいけない。
「おまたせしました。アメリカンです」
「どうも」
オーダーが滞りなく即座に来るのも利点である。ビバシステム経営。マニュアルにより機械化された労働は単純作業の能率を劇的に向上させるのだ。小賢しい人間がよくチェーン店批判などをしたり顔でするがチェーン店にはチェーン店の利点があり、それを置いて一律批判するのは暗愚と言わざるを得ない。つまらぬ人間といえよう。web掲示板やSNSなどに毒されている人種などがその最たるものである。
SNSといえばある。気に食わぬ事。
最近、ものは試しにとツイッターなどを始めてみたのだがなんとまぁ大量。惰弱を極め尽くしたような輩。
やれ生きてるのが辛いだのやれ生きていてくれてありがとうだのやれ格差社会がどうだのやれ勝ち組負け組だのやれ俺は天才だのやれ俺はできそこないだのと不毛不愉快な話題ばかりを並べ立ててはどこの馬の骨とも分からんような奴に共感され喜んでいるような不健全なコミュニティ。度し難し。世界中の糞を集めて作った煮こごりを提供し合い食い合うような醜悪なやり取りに俺は即日アカウントを削除し距離を置いた。置いたのだが、ニュースサイトなどを見ると出るわ出るわのツイッターまとめ記事。お前ら馬鹿かと怒鳴りつくけたくなる所業。これで金が取れるのかと仰天。同時に読む手合いが数多にいるのかと愕然。恥も外聞もなく秘めるべき事柄を世界中で世界中に発信しているのだからもうこれは一種のホラーである。俺にはとてもついていけない。
そしてこの異常はツイッターだけでなく他のサービスでも見られ、恥ずべき事に、俺も一瞬真面目に目を通してしまった。
実のところ、自分が何をすべきか思い悩み「生き方 自分」とグーグルに打ち込んだ事があるのだが、その際、「自分が何者であるか。何者になれるか分かりません」との表題がトップに表示されたのだった。シンパシーに引かれ開いてみるとそこは御知恵拝借版というサイト。どうやら疑問や悩みを不特定多数に解決してもらおうという
曰く。
「貴方は本当に今日を必死で生きていますか? もしそうであれば貴方のような疑問は浮かばないはずです。生きたくても生きられない人がいる世の中で、自分がなんなのかなんて悩みを持てる人間は幸せだという事を認識してください」
曰く。
「あるよね若いうちにはそういう悩み。分かるな〜俺も経験したよ。でも大人になって仕事して結婚して子供できて離婚したりしてたら考える暇なくなっちゃった。今では脱サラ失敗して最低賃金で働く底辺生活者だよ。逆に聞くけど、俺、これからどうしたらいいかな? 教えてくれよ。なぁ! なぁ! なぁ!
曰く。
「そもそも貴方は本当に何かをしたいと思っているんですか? もしそうならこんなところに書き込んでる余裕なんかないはずですよね? 人の10倍勉強はしましたか? どこか行ったり、人の役に立つ事はしましたか? 自分で考えて何かした事がありますか? ないならやってみてください。もしそうした経験があって悩んでいたのなら残念ながら貴方は何者にもなり得ず何事も成し得ず死ぬだけです。無駄な努力。お疲れ様でした」
といったコメントがズラリ。
呆れて物も言えない。なぜ質問しただけでこうまで叩かれ煽られなくてはならないのか理解に苦しむ。利用者は他人の悩みを肴に酒を飲むような下衆ばかりなのかと怒哀入り混じった感情が俺の心を支配したのだった。
思い出すと不愉快さが再現される。啜る泥水がより苦く不味い。人間とはかくも醜悪になれるものかと世を儚みながら、取り出したスマートフォンを覗く。
あんなサイト!
……なぜだろう。見たくなる魔力。
あの地獄の釜で騒ぐ乱痴気を再び目にしたいという不徳が募る。二度と見まいぞと心に誓った契りの糸が緩んでいくのが実感できる。非生産的な欲求が俺を突き動かすのである。
気付けば開くあのサイト。御知恵拝借版である。連なる駄問駄答の集合体が、俺の目をグルグルと回して脳を溶かす。酒に酔ったかのような不覚に時間の流れを忘れる。
……
マグに口をつけると中身はもう冷めていた。時計を見ると1時的の経過が突きつけられる。
なるたる浪費! やってしまった! 俺はまったく無駄な一時を過ごしてしまったのだ! 無為に過ぎ行く若き時代に焦っていたにも関わらず!
「卿はそれでいいのか?」
はいきた! やってきました自己嫌悪! カイザーの一言が俺を責める!
とはいえ他に時間の過ごし方も知らない俺は冷たくなったコーヒーを見据えるくらいしか暇の潰し方を知らなかった。あいにくと本も持っていない。まばらな店内はアンニュイの極致である。ジジババが茶をしばきながら薬を飲んだり咳をする音ばかりが聞こえて自分まで老いてしまいそうだ。
もういい。出よう。
退店を決意した俺はコーヒーを流し込み、中腰となりスマートフォンをポケットにしまおうとした。が、その時目にしたディスプレイの文字に我が身を疑い、上げた腰を再びソファに落としてしまった。
そんな馬鹿な。頭が狂っているのか。
あまりの混乱に空となったマグを手に取り空飲用。安い残り香が幾らか冷静にさせるも、やはり未だに信じられず、つい「何を考えてるいるのだ」と声を出してしまう。
スマートフォンに映された御知恵拝借版の1ページ。表示されるはどこかで拝んだ名前が一つ。
▲▲大学学祭執行部。
ここで唖然。内容を見て更に唖然。
▲▲大学で学祭を開きたいのですが実行部員が集まりません。どうしたらいいですか。
頭痛。途方もない呆れ。俺はあまりの阿呆を前にしてまた空飲用を行ってしまい、本日二回目となるコーヒーの残り香を楽しむはめとなったのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます