第11話

 ハンバーグを平らげた後、ドリンクバーで一服しながら江見の案を企画書に追記して席を立つ(江見の所有物を自分の物ように使うのはばかられたが持ってきてよかった)。


「どうもご馳走様」


「ありがとうございましたまたのご来店お待ちしております」


 レジにてやる気なのない見送りを背に受けて退店。自動ドアを抜けると春の陽気が身体を撫でる。吹き抜けていく爽快感。食後の風は快く、上昇した体温が良い塩梅に冷えていく。


「ご馳走様です。ありがとうございます」


「いい。どうせファミレス」


 江見に感謝され機嫌は上々。踏み出す足は軽快に前へ進む。目的地は商店街。やたらに喋り続ける江見をなしながら歩く。まったくうるさい。道中に買った饅頭が入った紙袋の擦れる音すら聞こえない程だ。男のお喋りは見苦しいと教えられ育った俺には度し難いやかましさである。


「ついたぞ」


 ガン無視の末に到着。目の前にあるのは……



「あ、はい。あ、魚屋さんですね」


 魚屋。

 そう、魚屋である。

 俺は江見と男二人で練り歩き魚屋へきたのだ。


 そしてこの街の商店街にある魚屋で俺が知っている店といえば、一つしかあるまい。


「よぉ兄ちゃん! 昼からブラつくなんざいい身分じゃねぇか!」


 世話になっているふなさんの店である。


「大学生は暇なもんですよ」


「羨ましいもんだね。変わってもらいてぇよ」


 豪快な鮒さんの笑い声が空気を震わす。巨大な体躯も合わさりまるで熊のようだ。


「今日はあんたも似たようなもんでしょう。売り上げ、言ってごらんなさい」


 その熊のような鮒さんの後ろからスッと上品に出てきたのは百日紅の姉さんである。相変わらず小気味よく毒を吐く。それでいて嫌味がないから恐ろしい。生来の魔性である。


「なぁに。魚屋は夕飯刻からが本腰の入れどころよ!」


 虚勢ハッタリなのか本気ガチなのか判断に悩むところだが鮒さんはそう啖呵を切った。どちらにせよ現在は暇なようなので、話しをするには都合が良さそうだ。


「あの、実は鮒さんにお話しがあるんですが、今、お時間よろしいですか?」


 とはいえ「暇だろ!? 話しを聞け!」などと言うわけにはいかないので一応のお伺いを立てる。形式的な社交術であり面倒だが、やらないわけにはいかん。


「なんだい改まって。まぁ入りなよ」


 そら見ろ。見事に取り入ったぞ。


 このように一定の手順を踏めばスムーズに事が進むのである。多少回りくどくとも人と上手く付き合うには手順というものを遵守しなければならないのだ。


「ありがとうございます。お邪魔します」


 ここまでがステップ1。最後の礼を忘れてはならない。序章の躓きは後々まで尾を引く。初手での迂闊は致命傷になりかねず、挽回するのは容易ではないので細心の注意を払わなければならない。


「で、なんだい。話しってのは」


「はい。実は……」


 順調。茶の間に上がって始まる本題。

 正式な手順を踏むのであればここで世間話などの雑談を挟む。それがステップ2。

 が、鮒さんにそれは不要。気難しく短気な人にとって前置きは無駄の極み。いたずらに気分を害させるだけである。対する人物の人となりによって臨機応変かつ高度な柔軟性を持って接するのがコミュニケーションの極意。肝は人の心根と性質。それを忘れてはならない。


「僕が通う大学で学祭が開かれる事になりまして、鮒さんに手伝っていただけないかと」


 というわけで端的かつ一気に内容を伝えてしまうのが鮒さんとの会話では正解。下手な小細工は無しだ。さっさと詰めてしまおう。


「ふぅん。いつやるんだいそりゃあ」


「はい。10月です」


「来年の話しにしちゃあ少し気が早いな。まぁ、あそこの大学で学祭なんざ聞いた事ないから、色々大変なんだろうが……」


「いえ、今年です」


「はぁ!? 今年!?」


 開いた口が塞がらないといった面持ちで唖然とする鮒さん。まぁそうだろう。そういう反応をするだろう。知っていた。


「いや、兄ちゃん。いくらお遊びだからって、今から準備するってのはさすがに舐めすぎじゃないかい?」


 正論だ。俺もそう思う。


「重々承知しております。しかし、そうなってしまった以上はもうどうしようもなく、こうして足と冴えない頭を動かしている次第なわけです」


 この「足を動かす」というのがポイントである。昔気質の鮒さんは精神論や根性論に弱い。理屈より行動に動かされるタイプ。感情に訴える事が交渉の秘訣である。

 とはいえ……


「まぁいい。で、俺に何をしてほしい?」


「はい。実はその学祭を通じて地元の活性化を図りたく思いまして、商店街の皆様に出店や資金の提供をお願いしたいのですが、その説明の場を設けていただきたいなと」


「……なるほど。大義名分としては分かる。それで、学祭の具体的な計画はできてんのかい? 大の大人が雁首揃えるんだ。ガキのお粗末な発表会じゃあ、みんな納得しねぇぜ?」


 厳しい眼光で見据える鮒さん。

 やはりそうなる。鮒さんだって馬鹿じゃない。伊達や酔狂で店舗経営ができるほど商売はあまくないのである。ビジネスにおいては妥協なく、温情は期待できないだろう。


「……まだ草案ですが、こちらに企画書が入力されています」


 PCを起動してファイルを開き表示された画面を向けると、鮒さんは太く無骨な指で器用にパッド動かす。空気が重い。緊張で息が苦しい。


「……」


「……」


 じっくりと見ている。顔が固い。これは……


「……こりゃ駄目だな。具体性がまるでない。展望が掴めん」


 刺さる冷たい一言。厳しい声が実に堪える。心臓が潰れそうだ。


 だがこれも想定内。本場はここから。


「そうなんですよ。実のところ、まだこのレベルなわけなんです。それで鮒さん。無理を承知でお願いします。どうか助言をいただけないでしょうか。現在執行委は僕とこの江見二人だけでして、商売の経験が豊富な人のアドバイスが是非とも欲しいのです」


 これが俺の切り札。誉め殺しと殺し文句である。

 商売に対してシビアな考えを持つ鮒さんであるが基本的には情に厚く、よく知る人間には好意を惜しみなく寄せてくれる。そしてプライドが高くおだてに弱い。そこを攻めるのだ。知人が困っているのを見捨てては置けぬ鮒さんの事である。いざ首を突っ込めば、後はズルズルとこちらの思うがままに……


「なるほどなぁ。確かにそこの坊主は頼りないし、兄ちゃんもまだまだ青い。できることは限られてくるだろうなぁ」


 来た! 好機! これを逃す手はない!


「そうなんですよ! 鮒さんの力があればもう……」


 これで決めた! 

 そう思った矢先であった。思わぬ伏兵が現れたのは。


「あんた、何でも安受けしないでちょうだいね。ウチも大変なんですから」


「……」


「……」


「お分かり?」


「あ、あぁ……そうだな……」


「……」


 姉さんである。鶴の一声により盤上がひっくり返ってしまった。飛んだ横槍だ。


 おのれ後一歩のところで……


 憎くはないがしてやられた感は否めない。歯噛みしたいところだが無礼はできん。手を握り舌打ちを我慢する。


「ごめんなさいねぇ。あんたが駄目ってわけじゃないんだけどねぇ、何せこの不景気だか、ねぇ」


 手土産に持ってきた饅頭と茶を置きながらホホホと体裁を取り繕う姉さん。あぁやられた。女は一筋縄ではいかん。抜け目なく損得に敏感。特に商いの世界に身を置いている場合は計算高く金銭に聡い。実子と惚れた男以外に情では動かん。


「いえ、こちらも突然お邪魔してしまって……もう少し企画を練って、そちらにも益が出るようなプランを考えてまいりますので、また後日お話をして聞いていただけないでしょうか」


「おぅ! それなら幾らでも……」


「……」


「ま、まぁ、話しだけなら、聞いてやらないでもないかな……」


「はい……」


 蛇のひと睨みに大言壮語を禁じられた鮒さんは少し申し訳なさそうに頭をかいた。これはあまり期待しない方がいいな……


 だが、ともかく企画書次第では援助もしてくれるだろう。信頼関係は築いているから、姉さんとて旨味があれば乗ってくれるに違いない。

 で、あれば早急に計画を煮詰め協力の約定を締結する必要がある。時は金なりだ。そもそも真面目に取り組まねば計画の頓挫もありうるわけだから、さっさと次のフェーズに移らねば。ならない。大変だぞこれは。


 本腰を入れねばな。



 茶を啜り饅頭を食べ終えると俄然やる気が湧いてきた。なし崩しで成り行き任せの自転車操業的突貫案件であるが、先行きが見えれば困難も心地よい。少なくとも夢物語ではなくなったのは大きな前進である。


「それでは、お暇します。今日はありがとうございました」


「おう! また来な!」


「次は川島屋のきんつばをお願いね」


 鮒さんの威勢と姉さんの冗談に妙な笑いをしてしまったが、それもまたよし。これぞ人情。古き良き下町の空気である。





「あ、ありがとうございました……」


 鮒さんとの別れ際に控え目に頭を下げた江見だったが、悲しいかな鮒さんも姉さんも気付いていないようだった。

 次にお邪魔する時までに、もう少し覇気をつけてやらねばな。

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