第12話

 鮒さんの店を出たあと俺達は麗しき元帥府に帰宅した。


 やはり作業環境の改善は必須だな……


 着席し、泡肌を見ながらそう思う。この先嫌でも訪れねばならぬのだからストレスフリーで入室できるようにはしたいところ。可能ならば冷蔵庫と電子レンジとソファも欲しいが、ひとまずは置いておこう。まずは外部の清掃が必須であり急務。怠る事まかりならん。今日は早目に切り上げ帰りにホームセンターへ寄ろう。そこで庭手入れの道具を買って雑草を駆逐するのだ。絶対に刈り尽くしてやる。衛生万歳! 清きを保ち正しい生活を!


「見てください神尾さん! 上手くできましたよ!」


 本営整備の計画を立てているところに外ではしゃぐ江見の声。はっきりいって邪魔だ。帰ってきて早々プレハブに何やら仕込んでいたようだが、それよりもやる事があるだろうに。まったく優先順位が分かっていない。


「上尾さん! ほら! 早く!」


 ……


「上尾さーん! 上尾さーん!? まだですかー!? 上尾さーん!」


 うるさい! さっきから気安く人の名前を連呼しよって! お前が遊んでいる間に俺は頭脳労働に勤しんでいるのだぞ! それをなんだ! 何をやったかしらんが騒がしい! いくらなんでも激怒案件だ!


「なんださっきから! 何度も呼ばずとも聞こえているわ!」


 プレハブの窓を開けて怒鳴り散らしてやる。江見め。分別を弁え……あ、サッシが汚い! くそ! ここも掃除せねば!


「いやぁすみません。中々お返事をいただけなかったもので」


 悪びれる様子もなく謝りおって! まったく! 小心かと思ったら随分図太い神経を持っているな! いやそうでなければ無計画に学祭の企画などしないな! あぁ腹立たしい!


「で! 何がどうしたんだ! 俺に何を見ろと!? 変わった様子は見えないぞ!」


「外に出てプレハブを見てください」


 外に出ろと? 今後の進行や見込みを作成しなければならない俺に向かって? わざわざうす汚ない野外にまた足を踏み入れろというのか!? こいつ本当に空気を読めんやつだな! どれだけ考えなければならない事があるか分からないのか!? ならばいいだろう! 俺がこれから何をすべきかしっかりと教えて……


 ……


 いかんな。冷静になろう。


 江見とて悪意があってやっているのではないのだ。それを怒るのも大人気ない。一旦落ち着いて、何があったか確認してやってもいいのではないだろうか。そうだ。それくらいの寛大さは持たねばならない。いいだろう。何をやったか知らぬが、しっかりとこの両目で捉えてやる。貴様の馬鹿を!


「……分かった。見てみよう」


 窓を閉め(サビが! サビが煩わしい!)しっかりと鍵を掛けた後に扉を開けて、治りかかっていた鳥肌が再発するのも気にせず歩き溌剌としている江見の横に立ってプレハブを見る。途端、頭痛目眩脱力。呆れを通り越して無へと転じる脈絡の果て。


「おま……これ……」


「どうですか!? よくないですか!? 頑張りました!」


 頑張りました! ではない!

 江見め! 何をしでかしたと思ったら有ろう事かプレハブ全体に「学祭実行委員と援助募集」などとふざけ倒した戯言を書き込みおった! しかもアクリルスプレー! 刃牙ハウスか! さっきは怒りに興奮していて感じなかったシンナー臭が鼻を刺す! これではアンパンの受動喫煙だ!


 というより問題はそこではない。このプレハブ。自由に使っていいとはされているが大学の所有物。好き勝手に改装塗装などしては叱責は当然。悪ければ一発アウトで活動停止もある。この馬鹿、それをチラリとも考えなかったのか。いくらなんでもこれは看過できん。指導だ……教育的指導! 説教!


「……江見」


「はい! なんでしょうか!」


「今すぐ消すぞ」


「え、えぇ〜」


「馬鹿か貴様! こんなものがあの学生課のババアに見つかってみろ! 活動そのものがご破算になってしまう可能性があるんだぞ!」


「え、いやぁでも……どの道人が集まらないなら計画は頓挫してしまいますし、大々的に告知していった方が……」


「リスクとメリットの釣り合いが取れてない!」


「でもぉ……せっかく書いたんですよぉ?」


「でももせっかくもあるか! 鮒さんに話を通してようやく一歩前進できたんだぞ! それを無にするつもりか!? いや単に無理でしたなら納得してくれようがこんな無様でおじゃんとなればそれはもう……もう大変な事になる! 故に消すのだ! 薄め液を出せ!」


「すみません。ありません。消せません」


「はぁーあ!? おかしくないか!? あるだろ普通は! それをおま……おっまふざけるなよ!? 不足だよ不足! 準備が! 不足! 準備不足! おま、お前なぁ! なんでそうかな〜いや本当に、なんで〜!?」


「なんでですかね〜」


「なんでですかね〜!? ふざせているのか!?」


「いいえ。大真面目です」


「真面目!? あぁそうか! 真面目か!」


 あーあーあ! なんだこいつ! 舐めているのか!? 舐められているのか俺は!? ふっざけた態度とりくさりおって! こうなれば致し方なし! 修正だ! 理性だ大人気おとなげだのとのたまっている場合ではない! これはもうやってやらねば気が済まぬ! 実力行使だ! 


「歯を食いしばれ! 修正してやる!」


 握り拳に力を込めて左手を鉉が如く引きつける。蛮行準備O K! いざ暴力! 堪忍袋の緒が切れた人間の怖さを知れ! 殴ってしまえば処分は必至だが知った事か! 江見よ! 貴様との縁もここまでだ! 


 ままよ! 後は野となれ山となれ!


 重なる視線。微動だにしない。避ける素振りどころかガードすらしないつもりか。面白い。ならば見事受けてみよ。元空手家の拳を……! 


 さぁ殴るぞという瞬間。決定的な決別となる直前。俺は思いとどまった。というより、他の事に気を取られてしまい腕が止まってしまったのである。


「もし。ちょっといいですか?」


 耳に入る女の声。


 そうなのだ。女なのだ。本棟方面からやってきた女が突然話し掛けてきたのだ。いったい誰だ。見た事のない顔だ。何をしにきた。


「なんだ。宗教の勧誘か? あいにくと間に合っているから他を当たれ」


「馬鹿を仰る。わかるでしょう? お話しを伺いたいの。ほら、そこに書いてある学祭の事について」


「なんだと? どんな要件だ」


「私、ご協力できると思いまして」


 なんだと。正気かこいつ。

 いや、狂人だ。そうでなければ腹に一物抱えているに違いない。この状況。この環境。この異様を見て真っ当な人間が学祭の話しを聞きたいなどと言えるわけがない。どちらにせよろくでもない輩であるのに疑いの余地はない。危険視号絶賛点滅中である。


「悪いがこの活動は今日で終いだ。俺はこれからこいつを殴り全てを水泡に……」


「本当ですか!? 是非お願いします!」


 刹那に動く江見。その速さ疾風迅雷。俊敏絶影。驚くべき切り替えである。

 って馬鹿! そうじゃない! これから制裁する時間だろ! 勝手に動くな!


「お前ふっざけ!」


「まぁ汚いところですがどうぞ中へ。お飲み物は何がいいですか? Tee or Coffee?」


「ありがとう。コーヒーを頂こうかしら」


「かしこまです!」


 聞いてない! 聞く耳をお持ちでない! ふざけるなよ! 俺はもう金輪際学祭などとは……」


「上尾さん! 早く早く! 一緒にお話しをお伺いましょう! 今からコーヒーを淹れすから! ね!」


「……」


「早く早く! 上尾さん早く!」


「……」


「早く早く早く上尾さん! コーヒーを淹れましたよ! 冷めますよ!


「……っ!」


「上尾さーん!? 聞こえてますかー!? 上尾さーん!?」


「うるさい! 今行くから静かにしろ!」


 あーあーもう! 分かった分かった! 分かったよ! 今回は不問! 不問に処す! 全部水に流して忘れてやる! 寛大な俺に感謝しろ! だがこのザマは明日には全て元どおりにするからな! 草も刈るしサビも落とす! 絶対だからな! 覚えておけよ!?


「かーみーおーさーん! まーだーでーすーかー!?」


 あぁうるさいなぁ! 行くよ! 今!




 浮かれ調子付く江見にイラつきマックス。こんな状態で果たしてまともに話しが聞けるだろうか不安はあるが致し方なし。ともあれ学祭実行委員は続行である。くそめ。あぁ、面倒だ。

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