第18話
遅寝早起きの草刈りは控えめにいって難儀であった。
軍手に染み付いた草木の端と汁と泥土の青臭い臭いが鼻につく。嫌いではないが、汚れるのは好かん。それと……
「いやぁ綺麗になりましたね! 上尾さん!」
「……そうだな」
やけに上機嫌で空回り気味な江見に対してもモヤとした感情が湧く。あいつめ、昨晩まかろんから一言頂戴したと分かった途端、先まで零していた雫をすぐさま乾かし「えーどうしましょー!」などと言ってにやけ初め上場。そのまま今日に至っているようである。
まんまと誑かされおって……
内心いい気がしないのは嫉妬などではない。この阿呆が色気に当てられ有頂天極まっているのが問題あり、俺の狭心を騒つかせるのだ。御覧じられたいあの腑抜け。終始緩んだ頰を弛ませ酔った如きの仕上がり。清掃作業においてもおざなりかつ雑な適当加減。切った抜いたの葉を辺りに散らかしみるみると汚す不始末。後にまとめるとはいえ方々にバラされては余計は仕事が増えるというもの。そんな事さえ頭に浮かばぬほど奴は今茹っているのだ。ついては説教の一つでもかましてやりたいところだが事は色恋。男女の仲に口を挟むは野暮もいいところ。下手をしなくとも妙な猜疑心を持たれてしまうだろう。だがしかしこの有様は目に余るし、なによりあのまかろん。俺が察するに、あの女こそ……
「上尾さん! 次は何をしましょうか!」
「あぁ……そうだな……」
……まぁいいだろう。やる気だけはあるようだし、恋の熱もいつかは冷めるもの。今だけは大目に見てやる。第一やっても一ヶ月の仮渡世だ。ひとときの夢にうつつを抜かすのもまた若さか。
江見に一帯の箒がけを命じつつプレハブの落書きを落としながら詮無いことを考える。要は結局江見の心持ち次第。俺があれこれ思案したところで春に吹く風の如し。花が散るも残るもその木次第である。
「終わりました!」
「早いな。どれ……」
所々に落ちる葉草。確かに多くは一箇所に集められてはいるが、あまりに取りこぼしが多い。
「もうちょっと綺麗に集めろ。その後はゴミ袋に入れるように」
「はい! 了解しました!」
……恋は盲目というが、物理的な意味ではあるまいに。
落書きを落としながら肩まで落ちていく。いっそこのまま地に地に沈みブラジルまで逃避したい気持ちだ(日本の裏側はリオグランデ沖らしいが)。
恋に落ちる馬鹿に落胆する俺。果たして、いずれが奈落に行こうか……
「おはようございます。それでは本日もよろしくお願いいたします」
16時丁度にアエギュプトスに到着。それまでに掃除を終え企画書も進捗芳しく上々の運び。この臨時業務も二日目ながらほぼ完璧。イレギュラーさえ起きなければ早くもホール上での実権を握れるだろう。斯様な場所で出世しても仕方がないが、如何なる場所においても使われるだけというのは性に合わん。雇用(というのか知らんが)されている身なれど程度の裁量は欲しいし振るいたい。それが我が心に住まうカイザーへの忠義である。疲れただとか休みたいだとか軟弱惰弱を吐く暇はない。今日も一日がんば……
「おっはようございまーす!」
昨日に引き続き奇声。何かと思えば入り口でアロマが顔を見せている。
「……! ちょっと! うるさいって昨日も言ったじゃん! 何考えてるの!?」
「はい! すみませんでした! 気をつけます!」
……
出勤早々ご立腹なアロマ嬢。ご愁傷である。しかしなぜこんなに早く出勤をしたのだろうか。開店時間までまだまだ時間はあろうに。まさか掃除を? 馬鹿な。そんは事を梵がさせるものか。ではやはり何故なのか。俄然不審。聞きたい。いやしかし、キャストの身の上を軽々に尋ねるのはデリカシーに欠ける。そうでなくとも人様の事情に首を突っ込むなどとんでもなく浅ましい行為ではないか。そうだな。止めておこう。俺とアロマは……いや梵をはじめとした全ての女とはビジネスの関係。不要な接点は持たない方がいい。
「ところで早いですねアロマさん! 何かご用がおありなんですか!?」
……
聞いちゃうか〜江見君〜
そうだな〜お前はそういう奴だよな〜何も考えない言動しちゃうよな〜
「関係ないじゃん。黙っててよ」
アロマの言葉が江見を刺す。それはそうだ。無神経な奴には黙れとも言いたくはなるだろう。
「江見さん。女性のプライベートを嗅ぎ回るのは下賎ですので控えてください。あと、声が大きいです」
「大変失礼いたしました!」
うるさいなこいつ。しかしまぁいい。まだ二日目だ。じきに加減も身につくだろう。それよりも、今は俺の仕事をせねばな。
「アロマさんおはようございます。何か飲まれますか?」
「いいや。お茶持ってきてるし。気にせず準備してて」
「かしこまりました」
気取らぬ女だな。こういうタイプ、嫌いではない。ただならぬ仲となれば面倒な難も出てくるやもしれんが所詮店の中のみでの関係よ。これくらいの距離感を維持しつつ、期限が過ぎて仕事を辞めたら互いに顔を忘れるくらいの縁が丁度いい。袖振り合うもとはいうが、他生の事など知らん。不義理で結構。浮世に生きるは薄情が常よ。誰彼構わず友好など築けるわけがないし必要もない。これも一つのノーサイド。不干渉こそ円満の秘訣よ。
「上尾さん。あまり気取った態度をしていると、仲良くなれませんよ?」
……は?
「確かに。もっと笑った方がいいよ」
……え? なに? これで非難されるの?
「上尾さん! 笑顔が足りないそうですよ! 笑いましょう! お腹の底から!」
「……」
江見はすぐにハメを外す悪癖があるようだ。今回は梵が再度「うるさい」との旨伝えたから納めてやるが、やはりどこかで鉄拳制裁を加えねばならぬな。
「では、開店前準備を始めてください。ちなみに本日既に二件のご予約賜っております。どうぞ、気を抜かぬよう……」
早い時間に席を取るとはとんだ好き者もいたものだ。まぁいい。誰が相手であろうと俺は自らの仕事をするだけだ。江見はまだ使えぬだろうから労はあろうがやってできない事はなし。胸に覇気を満たして頑張ろう。
と、意気込みを胸に営業時間を迎えた直後。ご予約なされたお客様が見えたのであった。その客というのが……
「おい
「……かしこまりました」
くだらないフィッシャーマンジョークを飛ばす相手は鮒さんである。先程から随分上機嫌に盃を空けて馬鹿騒ぎしているが客観的に見ると見苦しい事この上ない。こんな醜態が姉さんに知れたらただではすまぬだろう(自分でも分かっているようで入店時に俺と目があった際口元に人差し指を置いていた)
「おい兄ちゃんも飲めよ! 景気よくいこうぜ景気よく!」
「申し訳ありませんが仕事中ですので……」
「なんだいなんだいかたっくるしい! 硬くするのは下の竿だけで十分よ!」
「……」
絡み酒である。前のアルバイトは酒場だった為こんな事は日常茶飯事だったが、まさかキャバクラのボーイでも経験するとは思わなかった。
しかし、いつか知り合いが来るとは思っていたがまさか鮒さんとは。町内会の集まりとは言っていたが3人程度。完全にプライペートでの乱痴気。年甲斐もない。
しかし、これで学祭の交渉を進めやすくなった。同席している人間も商店街の店主のようだし、顔を覚えてもらえればやりやすい。近いうちにまた伺って、話しを進めよう。
「梵さん。B席のお客様、少納言。上手く煽ててくださいね」
「了解」
鮒さん卓2%増か。まぁあの様子では止む無しか。次にお邪魔する際、土産はいいものを買っていく事にしよう。
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