第26話
とりあえずいただこう。
グラスに口をつけ一杯。普段は飲まない焼酎だがやってみると案外悪くない。
「お、上尾君いける口? これは飲みないがあるなぁ」
一人合点したように頷き酒を入れるアロマ。豪快な鯨飲っぷりだが子供の前では不適切な行いではなかろうか。酒に狂う親など見たくもないだろうに。
「あ、注ぐよお母さん」
「ありがとう。エミリオは気が効くから、将来出世するよ。多分」
「……」
どうやら杞憂だったようだ。このエミリオ、親の事はとうに熟知しているようで結構な扱いをする。できがよすぎて逆に心配だ。
「あ、上尾さんもどうぞ。さ、さ、グイッと」
「あぁ……すまん」
営業みたいな奴だな……
接待を受けているようでむず痒い。おとなしくコーラを飲んでいればいいのに、忙しいものだ。反面、アロマは「どんどん飲んでね」などと能天気を見せるものだから親子で対比ができあがってしまっている。どうしてこの母親からこんな子が生まれたのか。いや、この母親だからこそ生まれたのか。因果性が深い。
「しかしあれだね。こうして一瞬に飲むとは思わなかった。最初は変な奴が入ったなって、少し嫌だったんだよ。ただでさえ最近の子はすぐへこたれるから扱いづらいってのに、そのうえでこれかってさぁ」
「はぁ……」
はっきりと言ってくれる。
「そもそも第一印象が最悪だったからねぇ。いきなりあんなり大声で挨拶されたら堪ったもんじゃないよ」
「あれは江見です」
「あ、そうだっけー? まぁ、どっちも同じでしょう」
同じにしてくれるな。
ケタケタと笑うアロマを前に一口酒を進める。その間にアロマは二杯、三杯と空けていき、その都度エミリオが酌をしていてなんだか不憫だ。というかペースが早い! 店ではいつもノーアルコールのサインを出してくるくせにとんだ酒豪ではないか!
「お母さん、人前ではあまり飲まないんですよね」
フォローご苦労エミリオ君。相変わらず気が回ることだ。
しかしなるほど、確かにこの配分で酒を飲まれてはついてはいけぬだろう。というか店でやらかしたら泥酔確定。接客どころではない。飲まぬのは賢明な判断といえる。
「そういえばその江見君、最近まかろんに狙われてるねー。大丈夫? あいつ、すぐ男を潰そうとするから気をつけた方がいいよ」
知っている。しかしこの場は驚いたフリをしておこう。
「そうなんですか。言っておきますね」
「それがいいよ。あの子、慣れてないっぽいし」
「そうですね。確かに、未だに店で浮ついてる感じはします」
「でしょー?
よし。感度は上々。
知識というのは、それを知っている他人に喋りたい類とそれを知らない他人に喋りたい類の二種類があり、趣味や学問などで共通の認識を有していないとできない議論や論舌をしたい場合は前者が当て嵌まる。
後者は秘密や噂である。教えてやるという俯瞰的立場とお前の知らない事を知っているという優越感に浸りたい時、人は知識をひけらかしたくなるのだ。この辺りのツボを上手く突いてやるのが会話の秘訣。トークとはつまり心理戦なのである。
「いやぁしかし、まかろん嫌いなんだよね私。鼻につくし、無茶苦茶やるからさぁ。やりにくいったらないよ」
「そうなんですか。大変ですね」
「本当に大変だよ。あいつ辞めてほしい」
よしよし。楽しそうに人の事を悪く言っている。狙い通りではないか。こうした策や労を用いるのは好かんがどうせ今宵限りだ。俺の心の中のカイザーも大目に見てくれるであろう。このままいけば楽しくお開き。後は下手を踏まない事と低俗な内容にならない事を願うばかりである。
「それでさ、聞いてよ……」
「はい」
……
「でね。それっておかしくない?」
「はい」
……
「でもやっぱり、最後はお金より。お金」
「はい」
……
「与党も野党もね。自分達の欲ばっかりなのよ。庶民と変わらないんだから」
「はい」
……
「そういえばこのままエミリオと美術館行ったんだけどさぁ」
「はい」
……
……
……
……目まぐるしい!
会話の内容が次々変わっていく! 一つ前に何を話していたのか思出せないくらいに転じていき頭がパニックを起こしそうだ! うぅむさすがキャバクラ嬢。引き出しが尋常ではない。話題がないなどと悩んでいたのが馬鹿らしい。
向こうが勝手に喋り散らかしてくれるのだからこんなに楽な事はない。相槌だけ打って酒を飲むという一連の作業は思いの外苦にならず、むしろ酩酊の促進に役立っている。気が付けばいい時間。チラホラと客が出入りしていき酌をしていたエミリオはとうに寝ている。酔いの方はいい塩梅だ。明日もあるし、そろそろさよならといきたいところだが、アロマはどうだろうか。
「でさぁ。その客がね? 馬鹿みたいに口説いてくんのよ。俺と一緒になれば金には困らないってさー。ばっかだよねー金があるならキャバなんかで遊ぶなっつー話だよ。だいたいそいついっつもキャストドリンクケチるんだよねー。金持ちアピールしてくるくせにさぁ。で、それ聞いてみると、俺は店の女には厳しいから。とか真顔で言ってくるんだよー? もう最低にかっこ悪すぎじゃん? 金持ちが自分のアイデンティティ殺してどうすんだボケー。派手に遊べ派手にー」
「はぁ……」
完全に絡み酒だ。これは逃れられそうにない。寝不足は避けられそうにないか。二日酔いにならねばいいが……
「そういえば。上尾君は何か悩みとかないの?」
「え?」
「悩みだよ悩み。なんかあるでしょ。若いんだからくっだらないやつが。話しなよ。酒のアテにちょうどいいから」
明け透けだな……そういうざっくばらんなところ、嫌いではないが……
抜身の刀のような飾らないストレートな言葉には嫌味こそなかったがやや僻みめいた難癖を感じた。が、許そう。夜の街で働きながら子供を育てているのだ。多少の
「そうですねぇ……」
口ごもり
悩みはあるにはあるし話したいという気持ちもないにはない。しかし、それを発するにあたっては戸惑う。
「なになに。いっちゃいなさいよ。酒と悩みと秘密は吐いちゃった方が楽だよ」
聞いたようなことを言うアロマは前のめりとなってこちらを見据える。そんなに人の身の上を聞きたいか。俺には分からん感性だ。
「で、どんな苦悩があるの? 言ってみ言ってみ」
「はぁ……」
興味津々か……女というのはどうして人のアレコレを聞きたがるのだろうか。度し難い。しかしこのまま「やはりないです」と梯子を外すのも気が悪い。
酔いに任せて言ってしまうか……
「実は……」
いくらか陽気になった俺は口と脳が軽くなり軟弱な精神をさらけ出する腹を決めた。アロマにご相談させていただく事にしたのだ。
判断力の欠如は認める。だがしかし、それ以上に誰かに話を聞いてもらいたいという欲求が確かにあった。高まっていた。酒のせいであると信じたい。
「お店のキャストに避けられている気がするするんです。何故でしょうか」
恥ずかしげもなくよくもそんな言葉がツラツラと出たなと自分でも思う。これはあれだ。御知恵拝借版に質問をする輩のそれだ。俺は自らあの軽薄な人間共と同類になってしまったのだ。浅はかだった。過ぎ去った時が戻るわけではないというのに思慮が足らなかった。俺は人生にまた一つ汚点をつけてしまったのだ。願わくば、アロマにそれとなく難ない返しをしてほしい。今宵のこの間抜けは酒の席の他愛ない一幕であったと自嘲を促す程度の失態で留めたい。頼むぞ……!
「そりゃあんた、あんだけ人を見下しとけば避けられるでしょうよ」
「……え?」
ドキリとし、心臓の動きが加速していく。
「口にこそ出してないけどさ。君、大分上からくるよ?」
「……」
茫然。混乱。まさかの一言に言葉を失う。
見下す? 俺が? 女達を? またまたご冗談を!
「……」
必死に否定しようとしたが、アロマの本気の目に息を呑んでしまう。反論が全くでてこない。
本当なのか……いや、しかし…….
それがもし事実であるなれば認めたくはなかった。しかし、現実は時として非常な真実を突きつけてくるものである。
「……そうですか」
俺は酒を一口含み、アロマの次の句を待った。果たして如何なる言葉が刺さるか、想像もできないままに。
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