第27話
しかして何故俺がキャストを見下しているとされているのか。それが分からないでは承服できない。態度が悪いというのであれば改めるが神に誓ってそれはない。店において俺は品行方正を心がけ店の運営に尽くしてきた。それが気に入らんというのであれば、もう単なる好き嫌いの話となるのではないだろうか。俺は勤務中、徹頭徹尾紳士的かつ勤勉真面目に労働していたのだ。それを捕まえて見下しているとはどういう了見だ。おのれ。これではキャストの働きを認めていた俺が馬鹿みたいではないか。そんな浅慮を抱くような女を俺は称賛していたのか。そんな連中に媚びへつらい愛想笑いを浮かべていたのか。なんだそれは。道化か俺は。おのれふざけおって! こうなれば徹底抗戦だ! 奴らめ俺が黙ったまま殴られているものとばかり考えているに違いない。馬鹿め! 目に物見せてくれる! こうなれば俺の正当性をデータ化してプレゼンしてやろうではないか! 仕事終わりにキャスト全員を職場に集めプロジェクターで大々的に是非の行方を訴えてやろう! 貶められ図られて悪と蔑まれるなど我慢ならん! 必ずやる自らの正義を断行し彼奴らの過ちを糾さねば気が済まない! だいたいなんだキャバクラ嬢如きが 夜の生業など賤業に他ならぬではないか! それが人に対してぶつくさと文句を吐くなど……
あ……
どきりとした。
自ら馬脚を現し、メッキが剥がれ落ちていくのが自覚できたのだ。
俺は今何を思った。
崩壊していく矜恃。人として最低の部類に属する思考が確かに流れた。アロマが言うように、人を見下し蔑むような最低な価値観が。
俺は今下衆に落ちたのか。
いや、違うな。俺は最初から落ちていたのな。それが今、はっきりとしただけなのだ。俺は人を見下し、自身の心底を薄汚い愉悦で汚していただけなのだ。それを見抜かれ、俺はずっと忌避されていたのだ!
なんたる下劣! なんたる不実! これではまるで白蟻ではないか!
グラスを仰ぎ酒を流し込む。喉から胃にかけてが熱い。白日にさらされた不徳に滲みる。
「……申し訳ありません」
声を絞り出し頭を下げると耳まで赤熱しているのが分かる。これは酔っているのではない。自らの汚点を恥じているのだ。
「いや、私に謝られても」
もっともなご意見である。しかし謝らずにはいられないのだ。俺は、彼女達は頑張っている。感服すると上部で偽りながら本心では「売女」と蔑していたのである。これを欺瞞といわずなんといおうか。
「まぁ若い男ってそういうとこあるからね。歳くってくるとそんなもんだって流せるんだけど、ウチの一線で働いてる子達は私以外みんな二十代前半だし、仕方ないよね。君もそのうち分かるよ」
フォローのつもりだろうか。であれば、
馬鹿! 猛省したそばからまた侮蔑してどうする!
「……申し訳ありません」
「だから、私に謝られても困るって」
いや、これはあなたに謝らねばならぬのだ。内心をさらけ出すわけにはいかぬが、俺は確かにあなたを侮辱したのだ。それに対して謝罪は必須。本来であれば頭を擦り付けたいくらいである。
「夜の商売ってのはなんだかんだで気合入れないとできないからね。特に若いうちは血気盛んで殺気立ってる子も多いから、一々気をつけた方がいいよ。仕事は勿論、言動やら所作やら。案外、みんな見てるもんだから」
「胸に刻みます……しかし、どうしたらいいんでしょうか……」
懇願。求む解決策。俺にはどうしようもできぬ故、助言を請わねばけじめの仕方も分からぬのだ。
「そうだねぇ……とりあえず、まずは笑顔かな。君、仕事中ずっとムスッとしてるんだもん。例え嫌いじゃなくても恐いし、空気悪くなるよ」
「……気をつけます」
確かにあまり笑わないな……さすがに客の前では愛想を浮かべているつもりだが、店内では和かな表情を心がけるとしよう。
「それがいいよ。あと、まかろんに目をつけられてるみたいだけど、それは気にしなくていいよ。あいつ、店追い出されたらこの辺で働けないから下手な事はできないんだ。精々嫌がらせと暴言吐くくらい。ま、みんなそれに堪えられずに辞めちゃったり、口車に乗って手を出したりするんだけど」
お気遣いがありがたい。しかしやはり気付いているか。それはそうか。あぁも露骨ならばな。しかし、他では働けないとは少し気になる。他人についてあれこれ詮索するのは趣味でないが、もしかしたら事態の好転に繋がるかもしれん。
どれ、一つ理由をきいてみるか。
「へぇ……しかし、なぜ他の店では働けないんですか?」
「そりゃ在籍した店々でやらかしてるからだよ。客と揉めたりスタッフと揉めたりキャストと揉めたり……詳しくは知らないけど、もう最悪だったみたいだよ。同業者に警戒されるって相当だよね」
「そんな人間を
「オーナーはそういうとこあんだよね。偽善といえばそうなんだけど、まぁ、私もよくしてもらってるから何も言えないな。私以外も同じだと思うよ」
信頼されているではないか。さすが女だてらに一国一城の主人となった身だ。それくらいの人望がなければ務まらんか(ナチュラルに女性軽視が入ったがこれは言葉のあやであり仕方がないものとする)
「カッコいいですからねあの女。見習いたいものです」
「それには、もうちょっと機微の察知と世渡りが上手くならなきゃねぇ」
「……精進します」
それは認めよう。経営者として、上に立つ者としては奴の方が一枚上手だ。
「……さて。今日はこの辺でお開きとしますか。エミリオも寝ちゃったし、明日の準備もしないとね」
ボトルを空にしたアロマは溜息混じりにグラスを揺らし名残惜しそうに酒宴の残骸を眺めていた。どうやらまだ飲み足りていないようだが、さすがに日付が変わる頃となれば弁えねばならないのだろう。彼女もそこそこの年齢であるように見受けられるから、自重するの当然だ。
「楽しかったよ上尾君。また飲もうよ」
「はい。ありがとうございました。お金は五千円もあればいいですか?」
「何言ってんの。奢りよ奢り。お礼って言ったでしょ。さっきの話じゃないけど、人の心をちゃんと汲まなきゃ駄目だよ。歳上に気前よく奢らせるのも大事なコミュニケーションだからね」
「……気をつけます」
至らぬ点が多い。しかと覚えておこう。
「よろしい。じゃ、さよなら。また明日ね」
「はい」
グラスと散らばったゴミを一つに固めて俺は靴を履き、小上がりに上がったままこちらに手を振るアロマと彼女の母親に頭を下げて俺は再び外へ出た(母親とはついぞ口をきかなかった)。初夏の到来を感じさせる湿った空気が鼻腔の奥に広がり浮遊感が増す。自らの捻じ曲がった性根が看破された事による落胆は未だ続いているが、いつまでも腐っているわけにはいかん。子供ではないのだ。前向きとなろう。今宵は打ちのめされてしまったが、なぁに。悪い事ばかりではなかった。俺自身に巣食う毒にも気付けたし、効くかどうかは不明だが一応の対策も得た。今後に活かせるではないか。アロマの言葉は酔っ払いの戯言かもしれないが、俺にとっては必要なピースであった。これで人生の厚みがが増すであろう。
勤務日数はあと僅か。やるからには悔いが残らぬようにしたいものだ。
初志を思い出し改めて貫徹の決意を固める。
不本意に始まった労働だが得るものはあった。その経験をより高い価値にする為にも妥協はしたくない。
アロマが言ったように、まずは笑顔から始めて周りと協調していこう。
媚びを売るのは性に合わぬがこれも仕事だ。何より俺自身の傲慢さを叩き直さねばならぬだろう。これから先、辛く苦しい思いをするだろうが望むところ。俺ならできる。できる俺なら!
カイザーよ! どうかご照覧あれ! この上尾! 如何なる苦難も跳ね除けて人として飛躍いたします!
夜空に幻視したアイスブルーに俺は誓った。酔いもあってがやや大仰な
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