第29話

 恥ずかしながらの帰還。執行本部前。昼前といえば昼前だがまたまだ朝といっても差し支えない時間。捌いたビラは零。とんだ役立たずであった。面目ない。

 が、あのまま続けたところで時間を無為に消費する事明白。ポスターは配らねばならぬがひとまずネガティヴイメージを如何に拭うか考えねばならない。場合によっては。と、いうより、今のままでは完全に外部から人を集める事態となるだろう。設備関係での出費は極力抑え、その分花のあるタレントを呼びたいところであったが、人手不足で開催までに準備が間に合わないといった無様を晒すわけにはいかぬ。納期ありきで進めなければこの突貫スケジュールは成せないだろう。然るに、どうしても妥協すべき点は出てくるのである。致し方なし。となれば、執行本部にて待つ江見にも事情を聞かせなくてはならない。


 気が重いが、打ち明けねばな……


 早過ぎる帰宅の意をどう説くか。それが問題だ。俺は弁が立たないし、何より先の件があって江見とは話しがしづらい。あいつめ、どんな顔をして俺の報告を聞くのだろうか。「偉そうにPCを睨んでいるだけで役に立ちませんね」くらいの苦言は吐くかもしれない。反論できないのが苦しい。実地作業をすべて丸投げしていたのは事実であり、にも関わらず未だに成果という成果をだせていない。せいぜい町内会の人間に話をつけたくらいであるし、それも江見の提案あってこそ。独力では何一つ実を結べていない。


 おのれ。元はといえば貴様の勇足が原因だろう。


 ……しかも、考えれば考えるほど反を並べてしまう。これを述べられるのか俺は。そんなわけにはいかん。女々しい。口が裂けても言えぬ言葉があるだろう。弁明をしなければならぬ立場となった事が既に恥。場面は違うがロイエンタールの気持ちがよく分かる。

 


 うだついていても埒がないな。


 気を張り直し前進。目の前にあるドアノブ。少しひねるだけの労が途方もない。いや、考えすぎだ。罵詈雑言が飛んできてもいいではないか。気高くあろう。強くあろう。心の礎を崩すな俺。気概の支柱は高く太く硬く美しく。己を立てるは己だけ。さぁいくぞ。江見から非難を受けに入るぞ。俺の非は俺自身が責を負うのだ。


 一息の間を置き手を伸ばす。いざ、尋常に!


 ?


 おかしな事が起きた。ドアノブが触れる前にガチャガチャと動き始めたのだ。そうして、是は何事かと首を掲げる暇もなく扉が開く。


「! 江見か……いったいどう……」


「!」


「あっ! おい!」


 ……行ってしまった。


 目が合った瞬間駆けていく江見。不躾にも程がある。


 なんだあいつ。あ、しかもPCが開きっぱなしだぞ。いかんな。使わぬ時は閉じておかないと埃が入る。俺のものではないからいいのだが、物は大切に扱わねば祟られるぞ。


 突風のように事態が吹き抜け俺一人となった。先までの逡巡はなんだったのかと拍子が抜けて一時肩の荷が降りてしまった。溜息一つ。仕方なく雑に靴を脱ぎ入室。相変わらず不埒な缶チューハイが目立つ。というかどうするんだこれ。さすがに校内のゴミ箱に入れるのはまずいだろうし、処分を検討せねばならん。一番は江見に持って帰らせる事だがあの様子では素直に聞かないかもしれないし、そもそももう顔を見せないかもしれない。


 まて。それでは本末転倒だ。俺はあくまで協力者。メインは江見である。今後奴が現れたら計画は頓挫という事で問題あるまい。なれば晴れて自由だ。こんな場所に来る必要もないし、奴と学祭がどうなろうと懸念する意味もない。良い事づくめではないか。むしろそうなった方が……




「……」




 それでいいのか?




 カイザーの声ではない。上層意識のみで語られる自己呼応においてラインハルトは欠席となる。つまりこれは俺の独白。一人遊びである。




 仲違いのまま終わってしまっていいのか。江見と話をしなければならないのではないのか。


 とはいえ、今回は奴が勝手にヘソを曲げているだけ。俺はその理由も知らないのだ。どうしろと。


 きちんと話し合うべきだろう。俺は奴の胸の内を知らないのだ。よくわからぬまま終いとなっては、カイザーも良しとはしない。


 己が意見を通すにカイザーを持ち出すか。下衆の所業だな。


 今更、上﨟じょうろうのフリをする事もあるまい。俺は昨日、アロマとの談議において浅ましき自己の愚劣ぶりを披露したばかりではないか。取り繕えばそれだけボロがでるだけだぞ。


 ……それもそうだ。



 話はついた。今日か明日にでも江見にどういうつもりか聞かねばならない。もし奴が断絶を決意するのであればそれでよし。続行するのであれば、今後は構想の細部まで伝えるようにしなくてはな。

 まぁ人員に関してはおいおいに話をするとして、進められる事は進めておこう。何しろ時間がない。奴との仲が修復し、計画が続くとあれば踏んでおかなければならないステップ。とりあえずは交通整理と設置班の確保だ。出展可能な状況を作ってやればどこかの物好きが参加するかもしれん。まずはハードルを下げる事。それが後々イメージの好転に繋がる可能性もある。


 やや楽観的な思案に呆れかけるも悲観するよりはマシだと一人合点しコーヒーの準備を終わらせて椅子に座る。目の前のPCの電源は落ちておらず、スプレッドシートでまとめた企画書とプレゼン用のパワポが開かれたまま。


 電源くらい落としていけ。


 奴のこういうところは好かない。母親に躾られなかったのだろうか。まぁすぐ使うから今回は見逃してやろう。どれ。警備会社の比較でもして、二、三目星をつけてメールを送ってみようか。

 ブラウザを立ち上げ(なぜIEだ)検索ウィンドウにワードを打ち込むみデータを取得。リスト化。社名。住所。電話番号。金額。可動可能時間。最大派遣人員数。口コミサイトの点数と評価。そして備考。それぞれに独自に点数化し上位五社をリストアップしメールを送信。


 あぁ。思いの外時間がかかった。


 ここまででおおよそ二時間。昼やや過ぎ。チラシ配りを終えて帰ってくる予定だった刻限。食事を取りたい頃合い。未だ戻らぬ江見を待ってまたファミレスにでも誘うべきか否か。


 といっても、妙な空気感でいきなり一緒に食事というのもな……


 雁首揃えて無言でハンバーグを貪る姿を想像すると虫唾が走る。昼時に咀嚼音を響かせるだけの男二人組など不気味の一声。やはり一人で軽食をかじるのが正解のようだ。酒の影響かあまり食欲もなく少々の倦怠感がある。学食の売店で惣菜パンでも買おう。あまり気は乗らないが……

 そうなのだ。気が乗らないのだ。それは売店を担当している人間に問題がある。あの中年の爺の朦朧具合といったらない。会計を平気で間違えるわ賞味期限切れの食品を並べたままにしておくわ不在の時間が多いわで、本当にろくなものではないのだ。噂では関係者の親族とか天下りとか言われているが信憑性は低く、俺は単に面接と人事管理を行なっている人間が無能なだけだと睨んでいる。

 ミスはいいがそれを改善しようともしない人間は嫌いだ。こゝろの一節を借用すれば、精神的に向上心のないものは馬鹿だ。である。せめて対策くらい立てろと言いたい。


 その辺り、江見はちゃんと努力していたな……


 ふと思い出される江見の姿勢。相変わらず仕事はできないが失態は減っている。そのひたむきさは認めざるを得ないだろう。


 やはり話し合いは必要だ。


 信頼というにはやや軽く薄く、また俺自身も納得しきれていない部分があるのだが、どうにも拗らせたままというのは不義理な気がする。それに……


 俺自身が負い目を感じている。情けない。俺が勝手に許し、許されたいだけなのだ。これでは自己満足だ。


 自己への嫌悪と肯定のせめぎ合い。内に生じた矛盾と葛藤を沈めるには、俺はまだまだ未熟である。

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