第33話

 本来部外者厳禁であるこの場に我が物顔で立ち入るとは面の皮が厚い奴だ。先生などと呼ばれている人間はどこでも面目を立てようとしていかんな。


「こちら、関係者以外はお断り願っているのですが」


 そうだ。言ってやれそよぎ。別にこの先生とやらに恨みはないが、でかい面をしている人間は基本的に気に食わない。正論をもってして伸びきった鼻を叩いてやるのだ。


「すまないね。ただ、さっきから騒がしいうえに従業員が一人しか働いてないんだ。そりゃあ気になる」


「……それについては申し訳ございません」


 見事に正論で封じられてしまった。悔しいが先生の言い分はもっともである。


「それで、まぁさっきも言った通り騒がしくって、話しの内容も全部聞こえてしまったから大体の事情は察したんだけれどもね。どうだい宇宙子そらこ。ここは穏便に済ませては。君だって、別に罰金を取りたいわけでもないだろう」


 お、仲裁役を買って出るか。さすが先生。人間ができている。しかし、それこそ部外者の出る幕ではない。いささか傲りが過ぎるのではないか? どうだ梵。ここはもう一度反を述べてみては。先に先生が言った正論はオブラートに包まれたクレーム故こちらが折れねばならなかったが、内部の事情に首を突っ込んでくるとなると話が違ってくる。客が店の経営法や信条を無視して一般的な解決をするよう提言するなど過ぎた行為。決して看過はできぬだろう。経営者として、ここは締めるべきである。


「……確かに、無闇に処罰をするのは私の望むところではありません」


 あ、こいつ日和ったな。そこは駄目だろうちゃんとせねば。確かにこの先生は太客だろうが、だからといって客の言いなりになるのはいかがなものか。アエギュプトスはキャストが主役ではなかったのか。ここで信念を曲げるとはいやはや、大した女社長だ。


 と、思ったがこれは渡りに船だな……


 梵にとって一番の苦心は下したくない罰を与えねばならぬ事だろう。それこそ、奴の人間としての信条に反するというもの。先生はその辺りを上手く汲んだのだ。恐れ入る。


「よろしい。それではこの件はこれにて落着という事で早速酒を頼みたいのだが、いいかな? 上尾君」


「? はい。かしこまりました」


 なぜ先生が俺の名を知っているのだろうか。そしてなぜわざわざ俺に頼むのか。一瞬悩んだがその理由はすぐに直感できた。そうだ。それ以外にないのだ。


「クロデュメニルをよろしく。席は、以前私が座っていた場所だよ。それじゃあ、頼んだよ」


 去っていく先生。「以前私が座っていた場所」とは初めて会った時に座っていたG席の事だろう。G席は二十二時の予約済み。時間的にはピタリ。つまりはそういう事である。


 あれが諸星さんか。なるほど合点がいく。


 初対面時に何やら関心をもってくれていた様子だったし俺の事を気に入ってくれたのだろう。偉そうな面は如何ともし難いが悪い気はしない。接客業においては客の贔屓になるのが一番の誉である。素直に喜んでおこう。



 しかしグロデュメニルなどという酒はあっただろうか……


 メニューにない酒であるが相手は常連。持ってこいと言ったにからは何処かにあるはず。とりあえずワインと泡が管理されているセラーを覗くと見慣れぬボトルが一本。ははぁこれだなと手に取るとしっくりとくる瓶の手触りに恐れ多さを感じる。


 間違いなくこれだな。だが、幾らするんだろうか。


 好奇心に負けスマフォをチェック。検索欄に件の銘柄を入れると表示されるページ。最初に出てくる通販サイトをタップ。


 二十七万……


 そっとスマフォを閉じてチャームと酒とグラスをトレーに乗せる。店での売値は大体100万か。富裕層にしてみれば安い酒なのだろうが趣味の悪い金使いだ。そもキャバクラ で飲むものではないだろう。これに安いチョコや柿ピーを合わせるのか? 酒が泣くぞ。


 ……そんなわけあるか。


 あの如何にもな輩が酒だけ上等に留まるはずないし、仮に黙っていたとしても梵が何かしら用意しておくはずである。どこかにある。高級酒に合う肴。探さねば。


 ……


 ……ほら見ろ。あったではないか。


 改めて冷蔵庫を探ればいつもはない枝付きレーズンと白カビのチーズを発見。特に指示がなかったところ、さては俺を試すつもりだったな? わざわざ指名などしてきたのだから間違いない。試されているに決まっている。梵か先生か知らんがまったくいやらしい真似をするものだ。


 くだらん。文句の一つでも言ってやりたいが、ここはあちらの流儀に合わせてやるか。なに。手の平で踊ってやるのも一興だ。


 目論見を看破しようやく配膳準備完了。盛り付けも前衛的でよろしい(俺に美的センスを望むのが間違いである)。長くお待たせしてしまっている。早急に楽しんでいただこうではないか。


 トレーを持ちいざ進む。高い酒だけあって緊張感が生まれ背筋が伸びる。


「お待たせいたしました」


 気持ち声高となってしまった。度胸がまだまだ足りないようだ。場数を踏まねばな。


「おぅ。待ってたよ」


 豪快に笑う先生と、その横には……


「少し、遅いんじゃありませんか?」


 しゃんと座りシガーを燻らす梵である。なるほど。そのためのドレスコードか。オーナー自ら接客とは大変だ。


「おや。今日のチャームは気が利いているじゃないか。嬉しいね。こういう心遣いは」


 ほら見ろ当たりだ! 予想的中ではないか!

 だがこの反応。首謀者は先生ではないらしい。では梵か? 奴が先生に知らせず、やや差し出がましいサービスを提供せんとしたのだろうか。


「……」


 チラリと見ると梵は不思議な顔をしている。怒りでもなく悲しみでもないが、何かおかしい。何かおかしいが、何がおかしいか分からない。分かるのは「よくやった」とは思っていないという事。


 ……これはやらかしたな。


 ミステイク。どうやらこの行為は想定外らしい。しまったなと思うが客が喜んでいるのであればいいだろう。なぁに。過剰分は会計時に上乗せしておけばいい。高い酒を飲むんだ。格好をつけてもらわねば困る。


「それでは」


 あの枝付きレーズンとチーズが意図したものでなかったのであればさっさと退散してしまおう。イレギュラーを起こした当事者となった場合だいたいろくな目に合わない。アクシデントが発生する前に逃げ切りよろしく仕る。


「あ、待ちたまえよ上尾君。今日の悶着、中々格好良かったじゃないか」


 絡んできたか。面倒だな。


「恐縮です。しかし、あまり褒められると付け上がってしまいますので、どうか厳しい目で見ていただけると……」


 こういう時は謙虚に出るに限る。実際褒められるような事をしたわけでもないのだから天狗になるのもおかしな話だ。相手が不快に思わないレベルで卑下しておいた方が無難。


「その通りです。上尾さん。よく分かっていらっしゃるじゃありませんか。確かに褒められるような真似はしていらっしゃいませんものね。ただやらかした失態に頭を下げ免罪を願い出ただけ。小市民らしい振る舞いこそあれ別段称する事はなし。殊勝も何もありません。先生も、あまり甘い事は仰らないでください。図に乗りますからね」


「あ、あぁ……そうかい?」


「……」


 ……貴様の言う通りだがそこまで非難する必要はないだろう。機嫌でも悪いのか。いや、そうだな。先の騒動は店内の客全員が聞いていたのだ(おかげで酒を持ってくるまでの短い間にコソコソと笑われていた)。責任者として、それは口から辛辣も衝こう。


「相変わらず宇宙子は手厳しいな。まぁ、そうでなくては務まらんか」


 先生は豪快に笑ってコルクを抜き酒をグラスに注いだ。これは「下がっていい」の合図である。乾杯の音が聞こえる前に去るのが粋というもの。邪魔者は去ろう。


「失礼します」


 一礼し退散。去り際に再び潜む笑い。やれやれと肩を落とすも、少しばかり安堵する。仕事はまだ続くがひとまず面倒は片付いた。まかろんに関しても、今日のことで少なくとも俺が辞めるまでは大人しくしていると思う。疲れはしたがこれで今後のストレスが軽減できると考えれば安いもの。残り少ない日数である。可能な限り快く終わりたい。


 しかし、キャスト達の印象は覆らぬだろうな。


 それもやむなし。自身の不誠実を認識できただけよしとしよう。今後は心に邪を持たず、しっかりと……


「……あ」


「……」


 洗い物をしている江見と目が合う。

 そうだ、こいつとの間にはまだ軋轢が残っていたのだった。


「……」


「……」


 発せらぬ声。お互い誤解は解けたがなんとなく気まずい。いや、そうではない。俺はまだ、こいつに……


 やはり、殴られねばなるまいな。


「江見」


 俺は覚悟を振り絞り奴の名を呼んだ。それに呼応して、江見は洗っていたグラスを落とし派手な音を響かせた。まったく、締まらないな。

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