第9話
ひとまず出戻りプレハブへ。例の薄汚れた緑を再び跨ぎ飲み残し冷めたコーヒーを飲む。
「すみません」
道中無口であった江見が突然謝る。
謝られても困る。今回の場合どちらかといえば俺に非があるのだから苦言を呈しても良いくらいなのだが、それをしょんぼりとして頭を下げるのは自信のなさと俺に対する負い目があるからだろう。その気持ちは分かる。しかしそれは余りに卑屈。気高さなど欠片もない脆弱な精神。見ていて快いものではない。
「謝るな。悪いのは俺だ」
「でも……」
「でもじゃない。今回は俺の無策による勇足だった。それで終いだ」
「……はい」
依然申し訳なさそうな顔をしているがこれ以上の言及はすまい。この件はこれにて落着。あの
これは予想だが、最低限の体を成すだけでも200万は必要となろう。大学があてにできない以上、それだけの額を自分達で用意しなくてはならないのだから途方もない。俺の貯金を出してやれば解決する問題ではあるがそこまでお人好しではないし、何より江見が了承せぬだろうから別口で用意する必要がある。
「ともかく金だ。金がいる。50万ではなんともならん」
「でも、どうするんですか? 僕、あんまり貯金とかないんですが……」
「……協賛を探す」
「え?」
「スポンサーだ。学祭に金を出してくれそうな企業や店に当たってみるのだ。手当たり次第に」
「 え、そんな事できるんですか?」
「……」
なんと頼りない言葉か。というか、こいつろくすっぽ調べもせず企画している節があるな。俺が噛まねばどうしていたのだろう。
「……それをやる為にも、今日は一日企画書を書こう。できる事を煮詰めて費用の算出を行う。PCの用意を」
「はい! 分かりました!」
相変わらず返事だけはいいんだがな……
まぁいい。目下やるべき事は定まったのだ。ひとまず前進。日進月歩だが良しとしよう。
「PCをお持ちしました」
「うむ。それではフォーマットから作成するから、君はチラシでも配ってきてくれ」
「かしこまです!」
勢いよく出て行く江見。
うむイキがいい。どうやらあいつは身体を使った方が向いているようだ。事務や交渉は俺。肉体労働などは江見。今後はこの方向で分業化を進めていこう(単純に厄介払いをしたいだけなのだが)。
しかし金か……幸運にも今まで困った事はなかったが、集めるとなると大変だ。
支出を抑えるのであれば容易い。個人であれば欲を抑えればいいし、組織であれば無駄を排斥すればいい。何であれ個々の精神力で何とかなる問題なのだからそれ程難はない。が、収入を増やすとなるとそうもいかん。個人であれ組織であれ新たに窓口を設けるというのはそれなりの労力。おまけに必ずしもその労力に見合った金が得られるとも限らない。そこは能力と時の運である。それこの短期間で……あ、これ無理じゃないか……そもそも初動の段階で……
いや。
いやいや。
よくないぞこの思考循環は。集中せねば。
俺はどうにも考え過ぎる傾向がある。短気なくせに思慮深いフリをするのもまた銀英伝の、恐らくフェルナー辺りの影響だろう。治さねばならない悪癖である。
とはいえ、そうそう治るものでもないが……まぁ楽天能天気よりはいいだろう。
作業をしながら自己弁護を頭の中で呟く。タイプミスに舌打ちをしながら形を整え没頭する事90分。とりあえずの費用を計算すると現時点での必要額が150万と出た。無論これは最低限の値であり嵩が増すのは必至だろう。人が集まらなければ警備や整備もアウトソーシングしなければならなず、それだけでかなりの出費だ。おまけに人も呼び込まなくてはならないのだから宣伝費も計上せねばならない。可能であればハッタリ用にラジオの枠でも買いたいが、費用対効果を考えると……
最低300……できれば500は欲しいが……
浮かんだ数値が途端に非現実的に見えてきた。スポンサーを探すといってもコネなどない俺に何ができるのだろうか。よしんば金を提供してくれるところが見つかったとしても100万200万をポンと出してくれるわけもない。トライアドエラーで少しずつ集金する事になるだろうが、そうなると今度は期限に追われる羽目となる。日程を考えると資金調達のフェーズは2週間から1ヶ月。それ以上はどうにもならん。逆にいえば、1ヶ月以内に200万以上集めないと詰みなわけである。これは中々ハードな案件。やはり無茶だ。無茶だが……
……やらねばならぬだろう。
一度引き受けた以上はやり通さねば気が済まない。成し得ぬよりも成そうとしない事を恥じる人生を歩まねばまた「卿はそれでいいのか」と問われるのだ。もはや退路はない。一にも二にもなくやってみねばなるまい。覚悟を決めよう。覚悟を。しかし、それにしても……
「……空腹だな」
一息を吐きふいに呟く。集中力が切れ脳がエネルギーを欲しているのだ。江見が帰ってきたら食事でも誘ってみようか。学食は混んでいるだろうから、街に出て適当な店へ入るのもまたいいだろう。そうだな。あそこの安いチキンステーキは中々美味い。いやしかし、カルボナーラも捨て難いな。うぅむ。昼食に頭を悩ますなど能天気この上ないが俄然腹に入れたくなった。やはり人間、食は大事だ。今日は満腹になるまで食べよう。江見はいつ帰ってくるだろうか。待ちわびる。
……
……
……
「……」
……来ぬ。
チラと眼に映るパンの残り。どうしようか。食べてしまうか。いやいやそんな鼠のような真似をしてしまうのは下賤な行いではないか。誇り高く生きる俺がつまみ食いなどしていいものか。いやよくない。まぁ待とう。その内に江見みやってくるだろうし焦る事はない。なに、餓死するわけではないのだ。静かに、落ち着いて座っていようではないか。気品が大事だ。気品が。
……
……
……
「……」
……来ぬ。
あぁ情けない。パンがチラつくではないか。空腹が辛い。食えぬと思うと余計に堪え難い。俺は食べてしまうのか。卓に置かれたパンを今。
いや、それはあまりに意地汚い。待とう。待とう。待とう……待とう……
……
……
「……」
「遅いじゃないか江見…… 」
手にしたパン。挽いて伸ばして焼いた小麦粉がしっくりと五指に馴染む。
食うべきか食わざるべきか……いや、賽は投げられ……!
「お疲れ様です! 配り終えました!」
「よぉしお疲れ様! 食事にしようか!」
「あ、はい……あの、そのパン……」
「パンが食べたいのか! よかろう! いい
「いえ、その、手にしたパン……」
「いやぁ! 空腹だ! 待ちわびた待ちわびた……!」
「……」
言葉を遮りパンを袋に戻す。勢いと大声で誤魔化きれたかどうかは知らぬが、結果的に江見が黙ったから良しとしよう。
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