第21話

 呆けていても仕方がない。如何なる理由があるかは知らぬが、ここにいないのであれば探さねばなるまい。自身の望む先が辞めるのか続けるか未だ見出せてはいないが、全ては結果により決める他あるまい。


 心定まらぬは未熟な証か。俺も江見の事を言えんな……が、それはそれとしてあいつの態度次第では激怒してしまうだろう。


 突発的な怒りは爆発のように一瞬で相手に打つかり急激に冷めて後に自戒もするが、理知により生じた怒りは氷のように長く固まり容易には溶けない。今がまさにそれ。満ち満ちた怒りは凍てつく吹雪が如く身心を凍らせるのである。下手をしたら永久凍土。ツンドラだ。


 とはいっても、どちらにしろテンションは下降している。猜疑心が覇気を削ぎ、活動能力がみるみると落ちていく。仮に江見が小休止をしていただけであったとしても、俺はこれまでのように力を注げるのだろうか。一度疑ってしまった相手の前で……


 メロスよろしく殴られてみるのもいいかもしられんな……


 なんたるナルシシズム。いよいよもって末期か。そんな茶番をしてみたらくだらない感傷に付き合わされる江見が不備でさえある。自らの罪は自らの手で罰さねばならぬのだ。罪過と科刑とは追って考えるとしよう。ともあれ江見だ。奴はどだ。いずこへ消えた。可能性があるとすれば食堂か本堂エントランスかサロンか……いや、食堂はないな。如何に能天気であっても手にしたビラが汚れる可能性が高い場所へ行くとは思えん。しかし、それを鑑みても空き教室や非常階段なども視野に入れるとそれなりに選択肢が出てくる。地味だが広い校内だ。奴の気紛れ次第ではどこへいても不思議ではない。


 ……よし。順を追って捜索してみるか。


 作戦決定。虱潰しの計。要は無計画な経過であるが他に妙案がない為どうしようもない。


 となれば、まずは……


 一考の後一瞬。足先は本堂へ。俺は最も近いサロンへと目的地を定め進む。中庭を突っ切り一挙に屋内へ侵入成功。角を曲がればすぐそこがサロンである。さて、江見の奴は……



 ……いた!


「ダサいよなぁこのビラ。センスないわ」


「そうかなぁ……」


「もうちょいデザイン考えろよ。こねーよこんなん誰も」


「うーん……」


 影から見ると何やら風態の悪い、いわゆるヤカラと呼ばれるような、或いはチャラいと揶揄されるような連中に査問めいた辱めを受けている。ここは行って助けるべきだろうか。いやしかし、奴らは奴らで正論を述べているし(チラシは実際格好悪い)、絡まれているのではなくたんに口の悪い友人どもかもしれん。早とちりで割って入っても俺が恥をかくし、何より江見の居心地が悪かろう。見なかった事にして戻るか……このまま覗きを続けて目でもあったら気まずい。退散するのが吉。幸にしてサボっている様子でもないが、残念ながら勤勉というわけでもない。おおかた奴の事だから、チラシ配り中にあの悪友どもに誘われて断れなかったのだろう。こうしたモラトリアムは気に入らんが致し方なし。とりあえず決断は先送りとして、今後の身の振り方は一旦保留という形で置いておこうではないか。


 では江見よ。せいぜい学友達との仲を深め青春を謳歌するがいい。俺は先に帰るからな。


 今後は自分でも人集めをせねばなるまいな。

 そんな事を考えながら踵を返し立ち去ろうとした瞬間、捨て置けない事態が発生した。


「じゃ、これは処分しまーす」


 カン高く調子のいい言葉とともに紙が破れる音。振り返れば下卑てほくそ笑む不良連中が両端に分かれたチラシを晒しているではないか。


 ……


 なるほど合点した。奴らは友人ではない。軟弱で人のいい江見を餌に精神的優位性を保とうとしているのだ。つまりそれは敵。自らに悪意を向ける害である。


 ……


 自然と拳に力が入る。歳を取りいくらかおとなしくはなったが、やはり直情型の性格はなおらぬようだ。

 だが不埒を知らぬふりをして、仲間を見捨てて、理不尽から目を背けて阿呆のように日常を笑って過ごすくらいであれば、自らの意思に基づき朽ち果てた方が余程よいではないか!


 先までざわついていた怒りが猛烈に熱を帯び、氷結から爆炎へと変化した。その矛先は、当然江見ではない。あのチャラついた連中である。


 しからば拳だ! あの馬鹿どもを修正してくれる! 江見がどれほどの時と労をかけてあの生半可なチラシを作ったかをその身体で存分に……いや、もはや分からなくともいい! 馬鹿は馬鹿で結構! ともかく殴る! そうでないと気が済まん!


 行くぞ俺! 明確なる正義を掲げいざ万進!


 と、勇足を踏むところでまさかの二の足を踏む。


「やめてくれ。それはやり過ぎだよ」


 江見であった。奴の表情にはいつものヘラとした弛みがない。厳格に意を唱える男の顔である。



「え? マジになった? 急に?」


「こえーじゃん。どうした」


「さめるわ。どうすんだよこの空気」


 半笑いで貶す各々。口では余裕ぶっているが、飼い犬だと思っていた相手に手を噛まれたのが随分意外かつ癪に障ったのだろう。眉が上がり目元の筋肉は硬く強張っている。半端な不良によく見られる面だ。昔、よくあぁいう手合いに喧嘩をふっかけていた事を思い出す。


「いや、お前、これ渡されたってしょうがないじゃん。処分する手間を省いてやってんだよ?」


「そういう問題じゃない。ともかくこれ以上はやめてほしい」


「おいおい声震えてんじゃん。大丈夫か?」


 江見の奴め。慣れぬ事をするから……



「……僕もう、行くよ。それじゃあ」



「行け行け。勝手にやってろ」


「無駄な努力頑張ってな」


「……」




 嘲笑と罵声を浴びながら江見は正面玄関へと向かっていった。中庭入口こちらに来なくてよかったと安堵する。

 あいつは恐らく泣いていただろう。俺には男の涙を前にものを言う資格がないのだ。江見を疑い、「やる気が出ない」「辞めてしまおうか」などと、戯けた身勝手を思うような俺が、どうして一所懸命に事を為そうとする男の勇気を称えられようか!

 江見は気弱で調子がよい。恐らく誰に対しても平等であり軟弱であり、今までずっと、あのなよとした笑顔を見せてきたのだろう。それがどうだ。軋轢や争いを覚悟で、人に物を申したのだ。これが無感情でいられようか。奴の意気に応えようと思えぬものか! あぁ! 俺は馬鹿だった! まったくの愚昧者だ! 信ずるべきものを信じず、疑うべきものを疑わず、ひたすらに自分勝手を演じ思案に耽っていたのだから!


 今なら宣言できるぞマインカイザー! これでいいかだと? そんなもの!


「いいわけがなかろう!」


 

 よし! 我が一声三全世界にこだました! 

 不特定多数の衆人から視線を集めたが詮なき事! 燃え上がる魂の衝動は誰にも抑える事はできない! さぁ行くぞ! 涙した友の元へ!


 向かうは江見の辿る先。今こそ男気を見せる時。言葉は不要だ! 対面し、燃える瞳で語り合おう! 俺は今! 猛烈に感動……



「上尾さん」


 誰だ! いいところで水を差す奴は……



 ふいにかけられた声の方向を向くと、そこにいたのはまさかのあいつである。


「あ、あぁ……そよぎか」


 なぜここにいるのか。それはいるだろう。こいつもここの学生だ。だが、あまりにもタイミングが……


「なんだ。どうしたんだ」


「それはこちらのセリフですよ。いきなり大声で叫ぶ人がいるなと思ったら知ってる方だったんですもの。びっくりして目を見張りました。いったい、何があったんですか?」


「いやぁ、まぁ……」


 声が出ず、淀む。言えるものか。江見の姿を出歯亀よろしく観察していたなど……


「まぁ、私には関係ないですからいいのですけれど、貴方、人を集めているのでしょう? あまり恥ずかしい真似はしない方がよろしいですよ?」


「……肝に銘じる」


「それがいいです。それでは、また今夜」


「……」


 


 くそ。梵の奴め。妙なところを出歩きおって。おとなしくカフェにでもいればいいものを、変なところを見られてしまった。

 それにしてもバツが悪い。やはり俺の間抜けはなおらぬようだ。

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