第4話
見るまでもなかったが付けられたアンサーの荒れ具合といったらなかった。「大学名を出すな」などの真っ当なご意見や「真偽が分からんからとりあえず大学に連絡しておく」という非情な勧告。更には「どこ住み? てかラインやってる?」などと規約違反ギリギリを攻めるたわけまで出る始末。いずれにしたって馬鹿と馬鹿のぶつかり合いである。見世物にしては趣味が悪く下品だ。救い難い。
付き合っておれん。
辟易とした俺は小銭と伝票を握りしめレジへと早足。妙な顔をする店員を気にせず、金を払って店を出た。それまでの焦りとは打って変わって憤怒の心持ち。はっきりいって同じ大学の人間があのような浅慮千万なる愚行をしていると思うと我慢ならなかったし、馬鹿にされているとなるともっと腹に据えかねた。奴が誰であるか分からないし、もしかしたらまったく大学と関係のない悪戯かもしれない。例えば本当に同学の志であっとも顔も名前も知らない他人中の他人。義理もへったくれもない。
だが許せないのだ。
何故だか心が騒ぐのだ。
同族意識めいたセンチメンタリズムが、誰だか分からないウスラトンカチを庇いだてせずにはおれなくする。惰弱極まる情念だが抑え難い。
無論一方的な避難や物言いが気に入らないのもあるのだが、こうした理外の感情が湧くあたり俺は存外馴れ合いを望んでいるのかもしれない。なるほど思えばずっと一人だったし、意になく赤毛や疾風やヘテロクロミア的な友人を欲しているのも頷ける。俺はこの御知恵拝借版に投稿した馬鹿から友愛めいた何かを欲している気がする。しかし。
いやいや。やめよう。虚しく悲しい。
無い物ねだりは愚。殊にそれが人なればより惨めだ。一人ならば一人でいいではないか。誰に咎められる事もない人生というのは気楽である。
帰ろう帰ろう。気楽を装い歩き出す。
行き先はマンションの自室。暇だがやる事もないわけではない。卒論や就活などは空いた時間で進めなくてはならないのだ。目的もなくほっつき歩くのであれば、そうした課題に取り組んだ方が建設的である。
特に難儀なのが就活。そう、就活なのだ。
企業研究に取り組み入社試験の対策を学び面接の想定などもしなければならない。これは大変な作業だ。考えただけでも胃が痛くなる。卒論を書いていた方が現実逃避になって捗る程に嫌気がする。
そもそも俺は働きたくない。いや、決して堕落思想に染まっているわけではなく、単純に今の社会を構築している企業は肌が合わないのだ。拝金主義者共が尻尾を振って金だ金だと貪りつく様は醜悪極まりないし、それを良しとする価値観もまた俗悪である。そんな連中に混ざり、将来的に染まらなくてはならないのかと思と絶望しか湧かない。もしラインハルトが今の日本に生まれ落ちたとしたら間違いなく企業するだろう。俺もそれくらいの能力があればいいのだが元々は無能。会社を興すなどで、とてもとても……
「お、兄ちゃん。久しぶり!」
悩む俺の前に現れた威勢のいいねじり鉢巻。魚屋の
「あぁ。どうも。ご無沙汰してます」
挨拶を返すと豪快に笑って「最近元気かい」と肩をバンバンと叩く。相変わらず気っ風がいい。
今でこそこうして話ができるが、当初は途方もなく恐ろしい人であった。
鮒さんとはアルバイトの関係で知り合った。
洋風居酒屋ウンタームラートの調理担当として働いていた俺は仕入れの為に鮒さんの店へよく訪れていたのだが、この鮒さん。中々魚を売ってくれないのである。
「いいかい兄ちゃん。俺の店の魚はな。煮てよし焼いてよし。洗いも叩きもなんでもござれな逸品揃いなわけよ。それをチリソースだのカルパッチョだのとごちゃごちゃ洒落くさくされちゃ堪ったもんじゃない」
これが鮒さんの口癖である。
魚屋が魚を売らないとはけしからん了見であるが売らないというのであれば是非もなく、最初の内は途方にくれるばかり。店長に鮒屋で魚を買ってこいと言われたのだから別の店というわけにもいかず(そもそも契約を結んでいる)、「しかし」とか「なんとか」とかと食い下がっても「売らん帰れ」と一向に聞くそぶりを見せないので黙って店先で立ち尽くし往来で無様を晒すのが常であった。
そんな時に助けてくれるのが
「やぁねぇあんた。あんたがお魚売ってくれないと、私が贅沢できないじゃない」
仕立てのいい紅色の御召し物で着飾った姉さんはゆるりと割って入ってそんな事を言う。すると鮒さんは渋々とした表示で注文した魚を用意してくれるのだ。その束の間に、決まって俺は姉さんとこんな話しをする。
「あんた、いつまでそんなんじゃ駄目よ」
「気をつけます」
こうしていく内に少しずつ鮒さんの扱い方を学び、少々の問答で魚を売ってくれるようになったわけだが、決定的に信頼を勝ち得たのはウンターラートで働き始めて1年が過ぎた頃である。
とある日。俺はいつものようにアルバイトに入っており、店長が小休憩中なのをいい事につまみ食いなどをしていたのだが、突然客室から随分乱暴な声とドンガラガッシャンな騒音が聞こえたのだった。
「俺が誘ってやってるんだから一緒に飲めばいいんだよ!」
聞くに30代くらいの男の声。随分荒らいでいる。やれやれつまらん先輩社員のアルハラか何かだろうと思い特に気にもせずつまみ食いながらスズキを焼いていると、ホール担当の島浦君が血相を変えてやってきた。
「すみま! 助け! 男の人が! 女の人を……!」
テンパると言葉が出なくなるのが島浦君の悪い癖。が、何となく要領は察せられる。店長がいない今、調理場には俺とおばちゃんの相模川さんしかいない。となれば、行かねばならぬだろう。
「分かった。案内してくれ」
そう言うや否や島浦君は「おねがしま!」ともはや冗談にしか聞こえないような返事とともに俺の手を取って客席へと引っ張った。するとまぁ無残にも散らかった酒と料理と泣く女。傍らには鬼のように顔を赤くした小さな男とその取り巻き。さながらお伽話のワンシーンの様子。言葉なくとも大体の事情は理解できる。
「なんだお前ら!」
小鬼は俺と島君を捉えた瞬間恫喝。まさしくチンピラの所業。品のなさが如実に現れ呆れる。
「申し訳ございませんが、他のお客様のご迷惑になるような行為はご遠慮ください」
「はぁ!? この店はナンパしちゃいかんのか!?」
暴力行為はナンパではない。が、そんな事を言っても無駄だろうから俺はまず泣いている女に声をかけた。
「お客様。申し訳ございません。大変な失礼をしてしまいました……よろしければ別のお部屋をご用意……あ、帰られますか。申し訳ございません。はい。お代は結構ですので……島浦君。お客様お帰りだから停留所までお見送りよろしく。レジからタクシー代持ってってお渡しして」
「おい! 聞いてんのか!」
女を島浦君に任せた俺は怒鳴る男の前に立つ。多少の鍛えた痕跡はあるが、残念ながら体躯に恵まれず、なんともユニークな姿形であった。まるでSDガンダムのようだ。
「聞いてますとも。ともかく女性は帰られましたが、どうしますか? まだ飲んで行かれます?」
「おま! ふざ!」
島君みたいな口調となった小鬼が掴みがかろうとするも取り巻きが止めに入り「帰るから会計」と言ってきたので「結構ですので二度とご来店なさらないでください」と返すと、少々ムッとした顔をしたが、今にも爆発しそうは小鬼を止めるのが精一杯のようで黙って店を出て行った。いや格好がついたと少々浮かれたが、給料から、島浦君にレジから抜くよう指示したタクシー代と小鬼の代金を給料からきっちり引かれたのが痛かった。
その翌日である。いつものように仕入れにいくと、鮒さんが「おぉよく来たな」と歓迎ムードを出してきたのは。
「あんた、あの馬鹿やってやったんだってな! 見直したよ!」
「はぁ……」
あの馬鹿が誰を指しているのかは容易に想像できた。だが、それがどうして鮒さんとに気に入られる要因となったのか分からず気の無い返事をすると、やはり紅の着物を着てゆるりとやってきた百日紅の姉さんが「やぁねぇ」と一々と話を聞かせてくれた。
聞くところによると俺が追い出した男は地元で有名なならず者らしく、こらしめようにも親が代議士だかなんだかという理由で怯んでしまってどうにもできず、皆手を焼いていたのだという。
そんな事露も知らなかった俺は「へぇ知りませんでした」と言うと鮒さんは大いに笑って「大したもんだよ」と機嫌良く魚を出してくれ、姉さんからも「ようやく一人前になったじゃない」との賛辞を賜ったのだった。
以来、鮒さんとの関係は良好であり、何かあれば互いに話をするくらいの仲にはなった。まぁ、それだけならいいのだが……
「ところで、今暇かい?」
来たな。
「そうですね。暇といえば暇です」
「それなら、一丁頼まれてくれないかい。実はこれから城崎のババアの旅館に魚を持って行かなきゃならんのだが、また量が多いのよ」
昔気質の鮒さんは遠慮がない。一度知り合えばこの通りである。悪く言えば図々しい。
だがまぁ、断る理由もない。どうせ暇だったし鬱屈としていたのだ。気が乗らぬ就活やら卒論やらに取り組むよりは身体を動かした方が幾らか健康的であろう。それにここで断るとまた罪悪感と自己嫌悪に襲われ「卿はそれでいいのか」問われるのだ。了承せざるを得まい。
「いいですよ」
「よっしゃ! さすが兄ちゃん!」
口を大きく開けて笑う鮒さんにつられて俺も笑った。笑っている場合ではないのだが、笑うしかなかった。ともあれ暇な時間が潰れたのは良しとしようではないか。先までのように、意味なくそこらを闊歩するよりはまだマシだ。
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