第6話
男は「えぇ!?」と身を
それはそうだろうな。見ず知らずの人間からいきなり特定されたかのような物言いをされたのだ。驚かぬ方が人間として不完全だ。
「な、何がですか?」
当然生まれる疑問。困惑の表情。見世物として少々の愉快さを感じるが、そこまで意地悪にはなりたくない。
よかろう。答えをくれてやる。
「……君、ネットに……御知恵拝借版に投稿しただろ」
「あ、はい。あ、見てくれたんですね! ありがとうございます!」
持っていた半紙を置いた男はこちらに向かって爽やかスマイル&全力オジギ。純粋無垢な
「いや、まぁ、うん……」
その眩さに絆されて一瞬言いたい事を呑み込んでしまった。いや、顔のいい奴は特だ。
だが
「いやいや。ありがとうございますではなく、なんでそんな真似をしたんだ。下手をしたら炎上してしまうぞ」
「あ、それは……」
途端。曇る男の眼差し。目を伏し言葉途絶えるその様子に美術品を壊してしまったかのような罪悪感を抱く。くそ! これだから顔のいい奴は!
「……この紙、これから配るのか?」
良心の呵責に堪え兼ねつい話題を変えてしまった。なんと情けない。これも奴の顔が整っているのが悪い。
「あ、はい。ただ、ちょっと誤字があったので、ほら、ここ。ここです。大募集が大母神になっちゃってまして、これから修正を……」
ポケットから修正液とマジックを2、3個取り出し再びにこやかに笑う男。おいおいおい。その量を一人で、しかも手作業でやるつもりか。途方もない。
「いや、刷り直せばいいだろう。時間と労力の消費だ」
「いやぁ、学校から許可がおりなくって……量が量だから、コンビニでも……」
なるほど。だがだからといって一々手書きなどアナログが過ぎる。テプラなりなんなりを使えば効率化を図れるだろうに。
「ですので、この教室を借りたわけなんです」
そう言って邪気もなくはにかむ男はいそいそと座って机に向かい、作業を開始した。
が。
……
……こいつ。
見ていると浮かぶはがゆさ。正直な話し効率が悪い。いや悪すぎる。はっきりと申せば不器用。愚図。一向に捗る気配なし。これでは幾ら時間があっても……
「……」
一枚。二枚。あぁ、書き間違えた。二枚。三枚。四枚……三枚。四枚。
日進月歩。二歩進んで一歩戻る牛歩スタイル。語らずとも明瞭な指先の不味さ。どうにもじれったい。
えぇい! もどかしい!
「手伝おう」
「え……」
俺は一声かけて荷物を置いた。
大きな世話を焼こうとしたのだ。
「その数、一人では無理だ」
「いいんですか!」
身を乗り出して目を輝かせる男。さすがに大袈裟であるが、悪い気はしない。
「さっさやろう。時間が惜しい」
少しばかり照れ臭く、あえて無視し三度の着席を行ない一山の半紙の束を二つに分け作業に取り掛かる準備をする。
「ありがとうございます!」
男の謝意に軽く手を挙げハンドサインを返しいざスタート。一枚。二枚。三枚とリズムを刻みながらの作業。我ながら手馴れている。男から「おぉ」と感嘆の声が上がるのも悪い気はしない。
実のところこうした作業、初めてではない。受験中に決行した独自の暗記術の手法がこれに酷似している。
あれはまさしく苦行であった。重要な英単語や熟語や公式を教科書から全て塗り潰し、その上から答えを書いていくという地獄のデスロード。前工程である修正液でのホワイトに1日。答えを書くのに1日。暗記するのに1日の丸3日を要した。この作業は後に腱鞘炎と悪夢の二重苦に苛まれ、おまけに入試試験後には内容をすっかり忘れてしまうという悲劇を生んだ。
だがその経験が役立つ日が来ようとはよもやである。頭で覚えた事は忘れても身体で覚えた事は定着するものだ。あのデスロードで刻まれた技術は消えない。俺は不できに半紙を修正していく男を尻目に、二枚、四枚、八枚と仕上げていく。見ろ。圧倒的ではないか。シュトロムの異名を賜っても決して名前負けしない作業スピードである。
「あ、早いですね。負けられないなぁ」
積み上がっていく完成済みの半紙を見て男は勇みスピードを上げる。
だがそれはやめておいた方がいい。無理は必ず返ってくる。キャパを超えた労働など、できるはずがないのだから。
「……あぁ!」
ほら見ろ言わんこっちゃない。
男は案の定半紙の一部を床に撒き散らしてしまった。修正済と修正前が混在するカオスの様相。拾い、正すのも一苦労だろう。先が思いやられる。
「あ、あ、すみません! すみません!」
「床に落ちた分は後にして、先に無事な方から作業をした方がいいと思うぞ。こういう仕事は数が命だからな」
「は、はい!」
偉そうな事を言ってしまった。こんな小さな事でしか威張れないのかと自己嫌悪。男の素直な返事が少し刺さる。
「頑張ります! よろしくお願いします!」
だから無駄に力を入れると……
「……あぁ!」
「……ゆっくりやろう。焦ったら、余計に仕事が増えそうだ……」
「はい! すみません!」
元気があってよろしい!
とはならないが、まぁ陰気よりはいいか……
ともかく乗りかかった船。いっちょ噛みなど男としてやってはいけない恥ずべき行為の一つなわけだから、チラシの修正が万事完了するまでは手伝わなくてはなるまい。どれだけかかるかは知らぬが、まぁ受験対策よりは容易だろう。やはり安請け合いというか、首を突っ込んでしまった形となるがあそこで見捨てるのも情が薄いというもの。やむを得ない事情であったとして、今はサクサクと修正修正だ。
「あの……」
ちょうどリズムができた頃に茶々を入れる男。俺に似て間が悪い。
「すみません。僕、江見というんですけれど、その、よろしければ、お名前伺ってもよろしいですか?」
「……」
今名乗るか。やはり間の悪い奴。薄々感じてはいたが、さてはこいつ、天然だな? 俺のように運が悪いとかツキがないとかではなく自ら場をかき乱していくトリックスターと見た。
いかん。これはいかんぞ。こういう手合いは俺の間抜けにバフをかけるパッシブスキルをもっているのである。一度関わってしまえば地獄への片道切符をゲットイン。無用のトラブルがComeHereとなる事必至。付き合うわけにはいかん。縁も持ちたくない。絶対に名前など教えてなるものか。
「……終わったら教えよう。今は目の前の作業に集中だ」
この間僅か0.8秒! ナイス誤魔化し! 今日は冴えている! 帰ったら酒でも飲もう!
「はい! 分かりました! それなら早く……あぁ!」
……またやらかした。本日三度目。五分ぶりの半紙の散乱である。もはや落下していない方が少ないくらいだ。やはりこいつは危険だ。修正が終わったら有耶無耶にして帰ってしまおう。
「残った山は俺がやるから、江見君は落ちてカオスとなった半紙に手をつけてくれ」
「分かりました!」
……相変わらず威勢だけはいい。だが悲しい事に、冴えない人間というのは何故か虚仮威しが如き大声を無自覚に発するものである。こいつはまさにその典型。やはり危険だ。一緒にいると厄介事に巻き込まれる公算大。予定通りケムに巻いて、逃げるが勝ちを実行しよう。
「……あぁ!」
集めてまとめた半紙をまた落として器用に混ぜてしまう江見を見て俺は決意を固めた。逃げるのは癪だが戦略的撤退であれば是非もなし。大局を誤らず引き際を見極めるのが良将の条件。悪いが江見よ。貴様とはここまでだ。
残り僅かな半紙の山を見据えスパートをかける。この分なら10分かからず終わるだろう。義理はそこまで。後は知らん。
……笑える。
俺は特に予定もなく帰りを急く自分がゼミの奴らと変わらないなと気付き自嘲した。あの堕落者達と同じ穴の貉であると思うと、少し、落ち込む。
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