第7話
そんな俺の憂鬱など知りもせず江見は落ちた半紙を拾い、分け、修正し、たまにまた落としてそれを拾ったりして一人で賑やかにしている。進捗芳しくないというのに楽しそうな事だ。お気楽そうで羨ましい。
「すみません。不器用なもので」
自分の作業を終えて半紙をまとめる俺を見た江見は頭を下げる。殊勝な奴だ。
「かまわない。それより、残った分も手伝おう。
「すみません! ありがとうございます! お願いします!」
更に深々と沈む頭部から大袈裟に助力を求める声。何もそこまで深刻に頼まなくともやってやるというのに……分かってはいた事だが、一連の所作や態度から見てこいつは間抜けではあっても悪人ではないらしい。というより人が良さそうで被害を被りそうな手合い。軽薄な人間に騙され、いいように使われがちな性格。要領の悪さから倍率ドンで嘲笑される事だろう。心中ご察しである。こいつ自身、世間や人間に思うところ多々あるだろう……
「あ、もうちょっとで終わります!」
と、思ったが悩みなどなさそうに口角を上げる様を見ると案外なんともないのかもしれない。まぁ、当の本人が気にしていないのであれば問題はないだろう。そもそも俺が立ち入るべき事柄ではない。江見とは友達でもなんもないし、なる気もないのだ。いや、先日気になるな〜友達になれるかもな〜などと軟弱な思想は抱いていたが実際に会って話してみると面倒が際立つ。人との交流は神経を使うものだし、相手の要領が悪くあれやこれやと気を回さなければならぬならならば尚の事である。「君は僕と友達になりに来たんだろ?」などと浮かれて口走るはずもなく、早々にあのチェーン店のコーヒーを一人で飲みたい衝動に駆られるのだった。
しかし、それはあまりに利己的過ぎやしないか。
こいつとは付き合いたいこいつとは付き合いたくないと人を選り好みする権利が俺にあるのか。人が頼ってきてくれたのであれば、名を聞きたいと言ってきてくれるのであれば、それに応えないのは不徳とすらなるのではないか。それも相手が悪党ならいざ知らず、ただ不器用なだけの善人である。それを自分に不都合があるかもしれないというだけで邪険にして、果たしていいものなのだろうか。
人間として、それは、あまりに……
江見は会ったばかりの俺に心から礼を尽くし敬意を評してくれている。それを無碍にしては男が廃るというものだろう。であれば……
チラと作業をする江見を見る。手付きは依然心許ないが、確実かつ安定して処理できるようになっている。成長しているのだ。不器用なりに考え、その身に刻んでいるのである。
一所懸命に頑張っている。健気ではないか。そんな奴の願いを、俺は袖にするのか。
間も無くなくなる修正前の半紙の山。帰るか否か。江見の純粋に対して応とするか無とすりか。大仰にいえばここが運命の分かれ道。いずれを選ぶかで俺の器が試される。さぁ、どうしたものか。
……
「終わりました! ありがとうございました!」
「……お疲れ様」
咲き誇る満開の笑顔に愛らしささえ感じる。やはり顔がいい。時代が時代なら尻小姓として床の間に重用されていただろう。あ、いかんなこれは。これはいかん。気持ち悪い。何を考えているのだ俺は馬鹿馬鹿しい。
「おかげで全部修正できました!」
「そ、そうか。よかった、よかった……」
「はい! よかったです!」
「……」
「……」
……
江見はもじと伏し目がちにこちらを見ている。実に艶やかな表情……いやいや違う。そう。奴の言いたい事は分かっているのだ。分かっているが、さて、どうしたものか……うむ……
……
……閃き! 名案!
「……上尾」
「……?」
「名前だよ。俺の」
「あ……」
呆けた顔をしてこちらを見据える江見。せっかく名乗ってやったのだからもう少し喜びを全面に押し出した面を見せてほしい。
「上尾さん……上尾さんですね! ありがとうございます! 上尾さん!」
……実際にやられると恥ずかしいものだ。
と、そんなアホな感傷に浸っている場合ではない。急がねば!
「それじゃ。俺は帰るそれじゃあ。お達者で」
開口一番に名を名乗り二番に別れを告げる奇策。これならば江見の気持ちも裏切らぬし俺も安全な毎日を送れるというもの。名乗った以上はこれから茶でもしばきつつ青春について語り合うべきなのだろうがそうもいかん事情があるのだから江見もきっと分かってくれるだろう。それでは失敬御機嫌よう。二度と会う事はないと思うがまた会う日まで!
「……」
「……」
「……」
「……」
「……おい」
「……っ」
スタコラと去る間際に掴まれた左手の袖。春用に卸した薄手のカーディガンが無様に伸びる。気に入っているのだからやめていただきたい。
「これはどういう事か。説明を頼みたいんだが」
「……」
「あの、江見くん」
「……上尾さん。お話があるのですが」
嫌な予感。江見の瞳に宿る覚悟の閃光が俺に汗を流させる。駄目だ。聞きたくない。絶対に耳に入れてはならぬ言葉が出てくる確信。こいつは律儀ではあるが遠慮を知らず距離感を取れぬタイプ。一度懐かれたら最後だぞ!
「急いでいるんだ。後にしてくれ」
「いえ大丈夫です」
「何が大丈夫なんだ! ぜんぜん大丈夫じゃないぞ俺は!」
「お時間取らせませんという意味です!」
そうじゃない! そういう事じゃないんだ! 分かっているんだお前が言いたい事は! そしてそれを聞いた場合俺がどうなるかも!
「上尾さん! 学祭のお手伝い! お願いできないでしょうか!」
あ! こいつ言いやがった! ほらやっぱり! そうくると思っていたんだ畜生! そんなもの願い下げに決まっているだろう! どこの誰がそんなしち面倒臭くってチャラついた行事の手伝いなんかするか! だいたい残り数ヶ月でまだチラシ配りの段階だなんて炎上プロジェクトもいいところではないか! それをお前! お前……!
「……駄目ですか?」
「いや、ちょっと……」
潤む江見の目と沈む声。視線をズラせば半紙の山。これまでの奇行を鑑みれば学祭の実行委員はこいつ一人だと断定できる。それを放って見捨てるように断ってしまえば、きっと……
「卿はそれでいいのか」
はい! いただきました! いいお言葉です!
こうなってしまってはもう引き返せない! おのれ江見! 見事に厄介事を引っ張ってきてくれおって!
「あの、上尾さん……」
「卿はそれでいいのか」
「よくないですよね! そういうの!」
「は? え? あの……大丈夫ですか?」
「大事だ! それより分かった! 手伝おう! 学祭!」
「え! 本当ですか!」
「もちろんだ! 大船に乗ったつもりでいたまえ!」
「あ、ありがとうございます!」
馬鹿笑いを響かせる俺と頭を下げる江見の構図は傍目から見てどう映っているのか気になるところではある。
しかしそんな事より本当にこれでいいのか。確かに時間はあるが暇というわけではない。それに自分にとって人生の岐路に成り得るであろう目標もまだ定めていないではないか。にも関わらず、学祭の手伝いなどにかまけてしまっていいのものか。
いいわけがない。やる事、考える事は無数にあるはずだ。そんな中で一時の感情に絆され、ついさっき名前を知ったような男の為に貴重な青春を割いてしまっていいわけがない。いや失策だった。ここは利己を中心に考え自分優先の行動を……
「卿はそれでいいのか?」
「よくないです! 知ってます!」
「上尾さん?」
「あぁ、いや、何でもないんだ。気にしないでくれ」
「はぁ……」
刺さる奇異の目訝しみ。醜態を晒してしまったと悲しむべきか、群衆の中でなくてよかったと喜ぶべきか……悲しむべきであろうな。望まぬ展開による悲劇。これは涙無くして語れぬ悲哀。いやはや、聞くも涙語るも涙の哀歌絶唱。絶望に暮れるもやむなし。今日は飲もう。飲んで忘れてしまおう。それくらいしか、今の俺には縋るものがない。
「卿はそれでいいのか」
「これはいいでしょう!?」
「上尾さん!?」
「すまん! 大丈夫だ! 気にしないでくれ!」
まったく! 妙な事に巻き込まれてしまったなぁもう!
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