第23話
ナイスミドル(もはや死語だろうか)の会計を済ませて見送りまで終えると店は幾らか暇となっていた。
余裕が生まれると視野も広くなる。今まで十分周りを見渡していたと思っていたが甘かったようで、茶を挽いていたり接客を終えたりしたキャストの表情や所作までは気が回らなかっていなかった。彼女達は一瞬で笑ったり怒ったりできるが、一人でいる時は決まって無表情で疲れきった顔をしておりまるで能のようだと思ったがそれもそうかと納得。好きでもない男の酌をし、下世話な話に花を咲かせねばならぬ労力を
負けてはおれんな。
煮立つ闘争心に競争心。昼間の虚脱が嘘のように仕事に対して情熱を発する。何かせねば。
いてもたってもいられず細かな掃除や片付けを始める。小さな事かなコツコツのコツ。些細な気配りが大事の一歩だ。何かをやれば結果の方からついてくる。ともかくやろう。仕事。仕事だ!
気力十分なところ裏にキャストのチワワ(源氏名)がやってきて何やら棚をあさり始めた。探しているのは恐らく救急箱だと思われる。出勤した時から既に体調が悪そうだったが、ついに悪化してしまったのだろう。難儀な事だ。
ちなみに救急箱らは先程俺が絆創膏を使用した際、不安定な場所にあった為に位置を変えている。元の場所を探してもあるはずがないと分かっているなら説明するのが人としての正道である。
しかし……
……
……
よし。声をかけよう。大丈夫だ、問題はないはずだ。行くぞ。
一寸の躊躇を跳ね除け忍足。未だガサゴソと棚を探すチワワに光明を照らしてやるのだ。
「あの……」
「え? あぁ、あんたね。何? 忙しいんだけど」
「あ、いえ。何か探していらっしゃるようでしたので」
怯むなよ俺。堂々としているのだ。
「べつになんでもないから。あんたもサボってないで仕事しなよ。じゃあね」
「あ……」
……行ってしまった。
冷淡な態度。堪える。
去っていくチワワを見送り胸を痛める。なんとも言えぬ苦しみに、吐く息が重い。
そうなのだ。これなのだ。これが問題なのだ。まかろん程ではないのだが、どうにも俺は女に拒絶されていようで、冷たくつっけんとんな態度を取られるのである。特に先のチワワは酷いのだが、実際他のキャストも多少の差はあれ同じようなもので、まかろんの方が敵意を剥き出しの分ましさえある。いったい俺が何をしたというのか。真面目に働き、あまつさえ認めているというのに、謎だ。
「上尾さん。ちょうどいいところにいらっしゃいました」
「……梵か」
「上尾さん。今日はもう上がっていただいて大丈夫です」
「……え?」
「最近よく頑張っていらっしゃいますし、お疲れでしょう。播磨さんも入られてお店は回るようになりましたので、今日は早めに帰ってゆっくり休まれてください」
「あ、そう……」
「江見さんと播磨さんには伝えてあります。また、別に休日も設定いたしました。今まで働き詰めでご苦労をおかけしました」
「あ、ありがとう……」
「とんでもない。帰えられる時は裏からよろしくお願いしますね。鍵は後で私がかけておきます。それではさようなら上尾さん。また明日」
「さようなら……」
なんだ慰労の一環か。驚かせおって、
しかし相談するタイミングを逸してしまったな。梵ら話しが終わるや否や否や凄まじい勢いで仕事を消化し始めてしまった。これでは声をかける隙はない。
いや、しかしこれでいいのかもしれん。「女に邪険にされている」などとどの面下げて言えばいいのか。今更ながら短慮を恥じる。
帰ろう……帰って休もう……なに、夜の女など気にするな。あいつらは客にこそ靡くが金を落とさない男など誰でもあんなものだろう。引きずる事はない。
無理矢理に納得させ帰り支度。薄いトートバッグを握り外に出る。夜風に溜息を滲ませ落胆。気にすまいと言い聞かせても、やはりあぁいう態度は考えてしまう。邪険にされているからではない。業務において知らぬ間に下手を踏んでいるのではないかと不安になるのだ。
もしかしたらまかろんが裏で手を引いているのでは。
邪推。あり得る陰謀。しかし、もしそうであればキャスト全員で結託し俺を辞めさせるくらいの事はしそうであるがそれがない。今日に至るまで私物の盗難や破損などもないし、陰湿な嫌がらせなどもされていないのだ。その線は浅い。ながそれがむしろ辛い。明確な敵意が形となって現れているのであればこちらも対処のしようがあるが、ただ「嫌い」というような感情を出されるだけだとどうしようもないし、こちらが悪くないのに悪辣な人格をもっているような錯覚に陥る。俺は
……酒でも飲もう。
ヤケクソだか自暴自棄だか知らんが心が荒んでいる。暴飲など低俗かつ醜悪な所業は自己嫌悪しか生ぬがリップシュタット戦役後のラインハルトもキルヒアイスにヴェスターラントの件を諫められワインを煽っている。あの大事とは比較にならぬ些末な事案とはいえ俺の心は確かに凍てつきささくれだっているのだ。酒くらい、飲む権利はある。いや、なくとも飲もう。今日くらい飲まれてしまおうではないかと、そう思い立つ。一人で酌める店を知っていればよかったが生憎遊びを知らぬ身なれば、コンビニエンスストアでの安酒に手を伸ばす他ない。千円一枚で足りる陶酔の狂を今宵催そうではないか。
心中高らかに宣言した決意を馬鹿な覚悟だと自嘲しながら前を見る。今日は執行本部ではなく、久方ぶりに部屋へと帰ろう。自室へ戻る際に通るコンビニチェーンは三店。どこでもいい。こだわりがあるわけではない。適当に気が向いた店に入り、ビールを二、三缶。それとワインと簡単なアテを買って終いだ。あまり飲む方でもなく、また食にも無頓着な為比較はできないが最近のコンビニも馬鹿にしたものじゃない。ランチョンミートや焼き鳥の缶詰は勿論、乾物漬物煮物生物。果てはフライにおでんまである。場末の居酒屋と遜色ないラインナップであり値段も据え置き。一人で楽しむ分には申し分ない趣である。
たまにはそんなものもいいか。
少し気が晴れ愉快になってきた。快楽主義など褒められたものではないが、刹那の遊興を糧とするのもまた人生。今日は少し気を抜こう。
重い足取りを軽くして、未だ明るい歓楽街をいざ進まんと帰路を見る。夜は更けたがまだ浅い。道ゆく人はもう一軒もう一軒。弛緩した顔のだらしなさといったらない。
俺もこうなるのか? なっていいのか?
こいつらと同類になるのかと思うと少しばかり気が引けてきた。
やめよう。考えるのは。
不毛な意識に情緒の安定が欠かれている。よくない兆候だ。目を閉じ耳を塞いで思考を止めよう。疲れるだけだ。
落ち着かない気持ちをようやく抑えさぁ帰ろうとテナントから離れる決意をする。自分でも驚いた事に、俺はずっとビルの入り口付近に立っているのだった。とんだ間抜けだ。
帰ろう……
……うん?
一歩踏み出す。そして違和感。
この場にそぐわないものが目に入る。道沿いに走る壁に、年端もいかぬ子供が持たれているのだ。酔っ払いひしめく夜の繁華街においてどう考えてもいてはいけない存在。緊張感が身体を走る。
……親はいないのか? いや、いたとしてもこんなところで待たせとおいてはいかんだろう。このご時世、何があるか分かったものではないぞ。
嫌な想像が頭に流れる。これは駄目だ。放っておくわけにはいかん。
俺は怯えられないようゆるりと動き、子供に近付いた。ただ残念な事に、なんと言って話しかけるかは決まっていない。
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