第24話
いやいや馬鹿か。難しく考えなくとも相手は子供。しかも女児ではなく男児である。何を戸惑う必要があるか。ごく自然に接すればいいだけだ。
自然体だ。自然。自然。
肩の力を抜き子供に隣接。多分大丈夫だ。怪しくはないだろう。
「……」
「……」
反応がない。開幕絶叫などという悪夢は回避したようだ。次のステップへ移行しよう。
「こんな時間にこんな場所にいたら危ないぞ」
とりあえず無難に声掛け。さすがにこれで事案にはならぬだろう。
「……」
あ、いかん。こいつ防犯ブザーを構えたぞ。
「まぁ、待て。怪しいものじゃない。ここいらは危ないから気になっただけだ。何もしない」
「……信用できません」
疑うか。まったく可愛げのない。まぁ関係ないし放っておいてもいいのだが……
「分かった。では、しばらくそこにいるから困ったら呼ぶがいい」
「……」
踵を返し再びビルの入口に戻る。やはりこのまま捨て置くのは良心と正義に反する。奴が警戒し近づこうとしないのであれば、それはそれでよかろう。だが、こちらはこちらで大人の責務は果たさねばなるまい。
図太く馴れ馴れしいよりは余程いいか。
そんな風な事を考えながら壁にもたれ、やる事もなく子供を見つめる。依然こちらを怪しんでいるのか表情は硬く、時折俺に対して睨みを効かせている。少々心外であるが何かあるよりはいい。あの子供が無事に家に帰って「変な人に付き纏われた」とでも言えばさすがに両親も身の安全について一考し、夜の街に放り出すような真似はしなくなるに違いない。その為にもしばらくは勝手に見守ろうではないか。酒に溺れるよりは幾分か有意義なはずである。それにしても何故こんな場所で突っ立っているのだろう。人待ちだろうか。誰を? あ、もしかして女か? 確かに最近の児童はませていると聞く。塾やら習い事の帰りに一と時の逢瀬というのもなくはないかもしれん。いやもしかしたらこの先のラブホテル街に繰り出すなどという事も……いいのかそんなふしだら。倫理的、風紀的に許されるのか? いくらなんでも子供同士というのは……いやしかし……
馬鹿馬鹿しい。やめよう。
いかんな。際どく気色の悪い妄想だ。露悪的で下衆が過ぎる。
どうやら色街の空気にあてられてしまったようだ。らしくもない。あの子供はなぜかあそこで立ち尽くしている。ただそれだけ。それだけの事実があればいいのだ。その他の邪念は捨てよう。それが健全。正しい思考である。
……まて。国の未来を背負う子供の素行について憂慮するのは正しくないのか。過剰な想像は確かにあったが、それもあの名も知らぬ子供を思うが故。混沌と無法が蔓延る昨今においては楽観もできない。されば、先までの心配は人としては間違ってはいないだろう。逆に周りの人間はどうだ。皆、子供を目にしても動じず驚きもせず、道端の石を跨ぐように去って行く。夜長に一人立つ児童を見て普通おかしいと思わないのか。異常だと感じないのか。いや心中では絶対に一物浮かんでいるはずだ。それを適当な言い訳を並べて「関わらない方がいい」とか「関係ない」とか結論付け冷血を肯定しているのだ。あぁ情けなや。そんな非道ばかりのこの国はもうお終いだ。先行く未来には絶望があまねいている。かくなる上は他国言語を極め脱出する他ない。南米辺りに居を構え健やかに暮らすのだ。覇道を歩めぬのは心残りだがどうせ俺に金の獅子の真似は無理だった。何もかもを忘れて朝日と共に起き星と共に眠る余生を過ごすくらいがちょうどいいのだ。なれば言語学習予定を組まねば。とりあえずスペイン語とポルトガル語辺りを……
「あら僕一人? どうしたのこんな時間に」
お。
国外脱出の企てをしている間に子供に話しかける女が一人。風体はもろに夜の生業に就く者のそれであるが見てくれで判断するのはよくない。奴にももしかしたら子がおり、あの生意気な小僧にその姿を重ねたのかもしれない。そうだ。それが人の情。正しい人間の姿というものである。いいではないか人情。これで日本も安泰。俺の役目も終わりが近そうだ。
「あの、お母さんを待ってます……」
女に対しては素直だな……まぁいい。ともかくより適任な保護者代わりが現れたのだから、後は高みの見物といこう。
「そう。残念だけど、お母さんとは会えないから、私と一緒に行きましょう」
……ん? なんて?
女から発せられた不穏な言葉が生み出された安堵を吹き飛ばす。
「私、貴方みたいな子供欲しかったの。だからちょうどよかった。古い女の事は忘れて
「お願い」じゃない馬鹿! 止めねば!
「おい馬鹿やめろ! 手を離せ馬鹿! 馬鹿な真似をするな馬鹿!」
思考が混線し一時的に言語機能の低下が自覚できる。仕方ないだろう。こんな場面で冷静になれるか馬鹿。
「誰だお前! 私とこの子の邪魔するな! 死ねぇ!」
襲いかかる拳を回避。感一杯の事態に冷や汗が流れた。やけに早い拳と隙のない体捌き。動きが素人じゃない。さてはこいつ、プロだな? ノータイムで肋に右フックを刻んでくるような輩が素人なわけがない。確実にその道を歩んでいる。
まずいな。
やってる人間とは実に厄介だ。応戦せねばまずいが女を殴りたくはない。逃げるにしても子供がお荷物。万事窮すか……
「……死!」
きた! 右の正拳! どうする!
……ま、いっか。
「!」
クリーンヒット! 振り抜かれた打撃に合わせてカウンター一閃! 致し方なし!
古傷引きずる
「痛い! 殴ったの!? なんで!? どうして!?」
馬鹿な! なぜ倒れない!? 左クロスが完全に入ったのに……
「許せない! もう殺すしかないじゃん! どうしてみんな私に手を汚させるの!」
いよいよもって本格的にヤバイ。こいつ本物だ。身体と精神が振り切れている。今の俺では恐らく勝てん。しかし、差し違える覚悟があれば……
スタンスを狭め左半身を前に出す。奴の一撃に壊れた右拳を差し込む迎撃態勢。全力で殴れば恐らくもう使い物にならぬだろう。しかし、一言で申せば……
それがどうした!
覚悟は完了! 戦うべき時に戦わずして何が正義か! 俺は名も知らぬ子を守るため散るのだ! それこそ本懐! 男の矜恃! さぁ化物よかかってこい! 貴様の命、俺の拳と引き換えだ!
一瞬の静寂。雑踏の音さえ止まる刹那。間合いが縮まる。
今!
互いの呼吸がピタリと合わさり永遠の時間が流れる。いずれかの命散る間際の光景。果たして地に足をつけているのは……
「はい。はい。またあんたね。路上で暴れるなって言ってんでしょ。警察いくよ」
羽交い締めに合う女。見れば複数人の警察。屈強ながたいの二人が取り押さえ、他は避難誘導や聴取をしている。
「君大丈夫? 災難だったね。あの女この辺でよく暴れるんだよ。この前も二人やられてねぇ」
「はぁ……」
警察の一人がそう言った。
そんな物騒な問題を茶飯事的な日常感丸出しで話しないでほしい。
「怪我とかしてない? もし必要なら被害届受け付けるよ? あまりおすすめしないけど」
「……いいです」
「あ、そう。じゃあ、気を付けて」
退散していく警察。騒然としていた往来の人々もしばらくすると川のように流れすぐに享楽の賑わいを取り戻していた。先までのできごとが、まるで夢であったかのように。
俺は何をしていたんだ……
頭が上手く回らない。ともかく何をすべきか考えねばなるだろう。
「お兄さん」
「……うん?」
そんな俺に渦中の人物であった子供が寄ってきた(警察はこいつを無視していったようだ。職務怠慢である。)。そうだ。こいつを守る為に俺は戦ったのだ。
「大変でしたね」
「……あぁ」
他人事か!
そう叫びたかったが、すっかりと気力が抜け落ちた俺にそんな力は残っていなかった。
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