挿話 烏と祭

1 引っ越し

 物入れを開けて、通函かよいばこの中身を順に手に取り収めていく。用具類に下着と、棚部分に収め、衣服は掛けられるようになっていた。一通り収納を済ませて立ち上がると、ウェスリーは尖らせた口から細く息を吐いた。

 決まってしまえばあっという間に事態が進み、ウェスリーはミハルの言っていた通り一人部屋に移された。隊舎では、兵卒は四人部屋、下士官は二人部屋の使用が定められているのだが、稀に士官とパートナーになった場合下士卒にも一人部屋が割り当てられるようなのだ。大隊本部付きの下士官が二階のこの部屋までウェスリーを案内してくれたが、彼はそっけない態度で部屋を示すとさっさと行ってしまった。

 ウェスリーは改めて室内を見渡し、次いで開かれたままの扉から廊下を眺める。

 何とミハルの部屋と廊下を挟んで向かいである。

 扉を開けば目の前にミハルの部屋。これから毎日あの男と朝から顔を突き合わせるのか。思わず額に掌を押し当てて項垂れる。

「下士官部屋と同じで個室に鍵はないです」

 いつの間にか戻って来た下士官がそう声を掛けてきてウェスリーははっと顔を上げた。

「勝手に魔法錠を掛ける士官殿もあられますが、隊長に知れるとです。されるなら分からぬように。シーツ類はここに置いておきます。ウェスリー殿、他に何か不明な点はありますか」

 そう彼が呼んだ呼称にウェスリーの眉根が寄る。

 先日のオーガ戦の後、ウェスリーはその戦績(主にミハルの補助だが)を司令部に評価されて昇級させられている。二階級上がって曹長となったが、妙に居心地が悪く感じる。無理に辻褄合わせをされたようなそんな感覚がするのだ。険しい表情のまま答える。

「いえ、特には」

「ああ、食事はお分かりかと思いますが今まで通り下士官食堂でお願いします。ただ大隊長殿に夕食を共にするよう誘われることもあるかと思いますので、その際は経理部へ一声掛けてください」

「分かりました」

 そう応答したものの、その状況を想像してウェスリーはぶるっと身震いしてしまう。

 ミハル大尉と夕食? 冗談じゃない。ぞっとしない。とてもじゃないが楽しい時間になる予感がしない。

 できる限り、業務後は速やかにあの男の許を離れよう。でないとあの遠慮の無い距離感覚で何をされるか言われるか分かったものではない。

 心に秘かな決意をして小さく頷くウェスリーを怪訝な顔で見て、下士官はそれまで表情に出していなかったであろうある感情を呟きで吐露した。

「……いいもんですな、特別待遇とは」

 え、と聞き返す間も無く彼は敬礼を寄越して再び部屋から去って行ってしまう。去り際扉を閉めていったものだから、ウェスリーはぽつねんと新しい自室に残されることになった。もう一度室内に視線を巡らせる。ここに置いておく、と下士官がシーツ類を重ねていったのは入って右手の作り付けの棚の一段である。棚の横には狭いながらも洗面台と鏡がある。洗面台の向かいには先程ウェスリーが用具や衣服を収めた、背丈ほどの高さの物入れが置かれていて、その横には同じような仕様の箒保管架。

 部屋の中央部右手には、下士官二人部屋にあったものと比べるとやや造りのしっかりした書机があり、その脇には本棚も見える。今まで物入れに無理矢理魔法書の類を収めていたウェスリーにとってはこの設備が一番嬉しいかもしれない。中央部左側には背の低い茶卓。そして部屋の奥、格子窓の手前に寝台が横向きで置かれていた。

 大学時代、友人が寝起きしていた寮の部屋と構造は然程変わらない。変わったところと言えばあまりに殺風景な点であろうか。

 シーツを寝台に移動させ、手巾類は洗面台横の棚にきっちり揃えて収めた。

 次に魔法書を本棚に並べてしまおうと通函を持ち上げる。そうは言っても持参しているのは精々十冊程度だ。他は全部生家に置いてきてあるから、どうも棚の上が寂しい風情になりそうだ。

 今度必要な分だけ持ってこようか、と考えたところで、はたと思い留まる。

 どうせ二年が経てば除隊するつもりなのだから、わざわざ荷物を増やすことも無いかもしれない。新しく買うものなら兎も角、何も生家に取りに戻ってまで本棚を埋めることをせずとも。

 考えながら一冊ずつ本棚に並べていて、たまたまチャデクの『博物誌』の表紙が目に留まりウェスリーは動きを止めた。

 ふっと脳裏に浮かんだのは晩春の洗濯洗面所の空気だ。色々と出来事があり過ぎて忘れていたが、自分はグリフォンについて気懸かりで調べていたのだった。あの時風でめくれた頁の音、同僚達の洗濯物の重み、何でもないような顔でそれを奪っていったスヴェンのあの。

 う、と喉元に硬いものを詰め込まれたような苦しさを覚えてウェスリーは呻いた。

 手の指の先が痺れて冷たく感じるが、拳の形に握り込んでそれを誤魔化してから、最後の一冊を棚に押し込んでウェスリーは立ち上がった。部屋の外へ出よう。


 業務が終了した後に部屋の移動を行ったため、隊舎の外に出ると薄く陽が沈んで暗くなっていた。営庭を挟んで向かい側に箒兵第一大隊の隊舎に灯る明かりがぼんやり見える。そちらには背を向けて、隊舎脇の第二大隊本部の建物を回り込んで歩いていく。

 途中何人かの将兵とすれ違うが、皆ウェスリーを奇異の眼差しで窺う様子が分かる。ミハルがウェスリーとのパートナー申請をした当初は、純粋な好奇心で話し掛けてくる者が多かったが、ある程度情報を得てウェスリーに対する評価が固まると今度は不躾な視線を送ってくる者が増えた。ウェスリーには今の立場が分不相応だと判断されたということだろう。

 妖精の遊び場に放り込まれたような居た堪れない気持ちになって、ウェスリーは歩調を速めた。足下を掬い上げるように風が吹き上げて、軍袴の繊維の間に冷たい空気が差す。もう秋が深い。炊事場の煙突からもうもうと立ち昇る白い蒸気の、群青に変わりつつある空に溶けていく様が、ウェスリーには一層寒さを感じさせる。

 その炊事場からやや離れたところに酒保しゅほのある建物が見える。今はそちらには足を向けず、その奥の人気の少なそうな小庭園を目指して歩を進めた。

 樹木に遮られて周囲よりも暗がりが深い気がする。そんな中に薄明るく浮かび上がって見えるのは鈴生りになった山査子さんざしの赤い実だ。小庭園には山査子の生い茂る一角があり、その前には浅くて狭い池と小祠が設けられている。こんな時間に祠に詣でる者もいないため池の周りには誰もいない。

 と思っていたのだが、先客がいることにウェスリーは気付いた。

 池のほとりの、魔物の形を模した庭石に、こちらに横顔を向けて腰掛けた男。何故かその頭上を二羽の鳥が懐くように飛び回っている。

 辛うじて届く営内灯の光が、彼の肩から頬までを白っぽく照らしていた。その光が何だか場違いに眩しく感じ、ウェスリーは目を眇めた。

「よお」

 低い声が自分に呼び掛けるのを聞いて、ウェスリーは被っていた軍帽の庇を摘まんで目深に被り直した。そのまま右拳を胸の前に力無く掲げて敬礼すると彼の名前を呼ぶ。

「ミハル大尉」

 振り向いたミハルの白い顔に営内灯の光が落ちる。にこりともせずにミハルが問う。

「お前何やってんのこんな所で」

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