1の24 小石

 政庁舎のあるイェレミアーシュ広場は、周囲を歪な円状に公園となっている林道で囲まれている。その林道を、広場に戻ることなく北へ進んでいくと、数分も歩いた頃合いにスヴェンの言っていた飲食街へと繋がる通りに出た。

 広くはない街路の両側には、店先に店名や標章が描かれた看板が吊られている。標章は料理人の絵であったり、うずらの絵であったり、中には魔物の戯画が施されているものもある。通りは大変な賑わいで、昼食にありつこうと闊歩する多数の男女で溢れ返っていた。絶え間無く耳に飛び込んでくる喧噪に気もそぞろとなるウェスリーを先導して、スヴェンはゆったり歩いて行く。

「この通りにもそこそこ旨い店があるんだが、この先のプラセ街の方が若者向けかな。小綺麗な店が揃っている」

「まああまり汚い店よりは」

「汚い店の方が不思議と飯が旨かったりもする」

「そうなのですか?」

「経験無いかね? そういうの」

「外食をあまりしたことが無いので……」

 俯きがちにそう答えるウェスリーの前で、スヴェンはまた顎髭を撫でているようだった。

 スヴェンの向けてくる話題に悉く碌な返事をできない。こんな男がパートナーでさぞかしつまらないであろう、とウェスリーは自嘲気味に考える。足下の石畳を無意味に見つめるが、そこには勿論気の利いた返答の種なんぞ落ちているわけもなく、擦り減った石の模様しか見えない。

 ふと、視界の左端にころころと小石が転がってくるのを認める。

 反射的に、転がって来たであろう先を見遣ると、今歩いている通りから左手に一本分かれた細い通りが目に入った。こちら側の喧騒とは無縁かのように、ひっそりと薄暗く静まり返っている。誰かが歩いている様子も無い。

 不思議に思って再び足元の小石を見返す。ウェスリーは何の変哲もない小石かと思っていたが、よく見ると昼時の光を通して淡黄色に煌めいているのが分かった。内部に黒くひびのようなものも透けて見える。

「……琥珀?」

 こんな所に何故琥珀が転がって来たのか。ますます不可思議に感じ、指で摘まみ上げようと身を屈めかけたところにスヴェンが声を掛けてくる。

「そっちの通りも案内してあげようか」

 琥珀に手が触れる前に、そう言うスヴェンに視線を遣る。一瞬の後に石に視線を戻すと、既にそこに石は無くなっていた。

「……は?」

「どうした? ウェスリー」

「いえ……何でも」

 屈めた上半身を起こす。気付けばスヴェンはウェスリーの前に向き合って立っている。二人の横を通行人が振り向きながら通り過ぎていく。

「この通りに興味があるかね」

「え……と、随分閑散としていますが何かあるのですか」

 ウェスリーは再び薄暗い通りの方を顧みる。スヴェンがなおも顎髭を撫でながらにっこりと笑う。

「ここはクロツァン通りと言って、女を買えるところさ」

「女を買える……」

 何気無く復唱して、言葉の意味に気付きウェスリーはぎしっと固まった。

「お」

「女。花街だよ、こっちから向こうは」

 顎髭を撫でていた右手で口許を覆ってスヴェンはくくくと可笑しそうに笑っている。固まった首をぎぎいと無理矢理回して、ウェスリーは通りから視線を外した。見てはいけないものを見たような気持ちがして、背中は冷や水を掛けられたようなのに顔面が異常に熱い。握った拳の中に変な汗が滲んできた。

 今にも蒸気を噴きかねない顔色のウェスリーを見て、スヴェンは一層可笑し気に目を細めている。口を覆っていない方の手でぽんぽんとウェスリーの肩を叩く。

「ウェスリー、随分おかしな顔になっているじゃないか。目なんかまるでコーボルトのひん剥いた両眼みたいだ」

 普段ならば心外であるとの感想を抱くだろうが、ウェスリーの脳内は今それどころではない。こんな、普通に思える飲食街からすぐの、うっかり一本間違えて足を踏み入れてしまいそうな通りなのに、淫靡な雰囲気なんて少しも欠片も伝わってこない静かな街並みにしか見えないのに。花街。花街って何だったか。

 件の通りから目を逸らしたまま、何も言わないでいるウェスリーを、スヴェンはにやにやと眺めつつ言葉を続ける。

「閑散としていると言ったね、今はまだ開業前。ここが大いに華やぐのは夕刻からだ。あすこ、店先に光の入っていないネオン燈があるのが分かるかね。暗くなるとこの通りには赤いネオンが点々と灯るのさ。それが娼館の目印で、重い扉の向こうには色んな綺麗な女がいる」

 説明と共にスヴェンの人差し指が通りの奥の方を指し示すが、ウェスリーは頑なにそちらには首を向けない。

「金さえ払えば誰でも艶っぽい夜の時間を過ごすことができるのさ、どうだい君も」

 目を細めたままのスヴェンがそう言いつつ振り向くと、ウェスリーの姿は忽然と消えていた。視線で少し探すとスヴェンはすぐにウェスリーの背中を見つけ出す。ウェスリーは彼らしからぬ凄まじい早足で、プラセ街へ向かう飲食街を人混みの中突き進んで行っている。

 スヴェンは自らも本来目指していたその方角へ歩き始めた。

 これはまだ早過ぎたか、苦笑いで呟き後を追う。

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