1の25 昼食
「最近になってできたんだよ。フォーザンク国の、東洋風の料理が食べられるというんで、結構な評判らしい。行ってみるかい?」
後ろから追い付いてきて、先程より通りの幅が広いプラセ街に共に入ると、スヴェンは幾つかの飲食店を指して大まかな説明を加え始めた。
漸く血色が引いてきた頬に右手の甲を当て、ウェスリーは示された方をちらと見遣る。フォーザンク国の国旗が掲げられた以外、外観は特段他の店と変わりない石造りと木製扉の飲食店があった。店名にはウェスリーの読めない独特の記号のような文字が書いてある。ガラス張りの陳列窓に飾られた金属製の置物が、東洋のドラゴンであるということだけ辛うじて分かる。
「……今日は食べ慣れたリパロヴィナ料理が良いです」
「それがいいかもしれんね。話によると変わった匂いのするスープが出るらしい。匂いの気になる君には少々辛いことになるやも」
「何故勧めたのですか」
「リパロヴィナとは縁のあるお国の料理だぜ。それに、ミハル隊長は東洋の血が混ざっているらしいから、
箒二――箒兵第二大隊の将兵の間での流行なのだそうだ。
ミハルに東洋の血が混ざっているという話は初耳だった。古くからフォーザンク国と国交のあるリパロヴィナには稀にそういう者がいると聞いたことはあるが、東洋人の特徴など知らないウェスリーにとって真偽のほどは測れない。
「それ、本当だとしても、だから東洋料理を食べることとどう繋がるんでしょう」
「さてねえ。あやかりたいんじゃないか、あの人の強さに」
「同じものを食べて同じようになれるなんて、迷信じみています」
「気持ちの問題だろう。それに実際のところ、ミハル隊長が東洋料理を食べているのを見たことは僕は無いな」
だから本当に気持ちの問題なんだな、と笑うスヴェンは、結局別の店へとウェスリーを促した。店外にも備えられた客席の間を縫うように進んでいくと、白壁の瀟洒な趣をした料理屋の入り口に辿り着いた。頭上の壁にはアウレー共通言語ではなくリパロヴィナ固有語で「庭師」と店名が記されており、見ると吊り看板には
「ここは他の箒二の連中ともたまに来るんだがね、きっと君も気に入る」
特にウェスリーの返事を待つ様子も無く、スヴェンは臙脂色の扉に手を掛けて店内へ進んだ。中に入ると外壁と同じく白壁の内装で、整然と言うわけでなく並べられた円卓には多くの客が着いていた。窓から入る陽光に加えて、落ち着いた橙色の室内燈が店内を照らしている。がやがやと随分賑やかである。何だか料理の匂いだけでなく酒と男の匂いがする気もした。
スヴェンは慣れた様子で空いている席を見つけ出して座ると、店内の空気に気圧されて扉付近で立ち止まってしまっているウェスリーを手招きする。
斜めに掛けた
「おい箒二の!」
声のした方を見ると、店内奥の窓際の席に、見慣れた鈍色の勤務服を着た男が数名座っている。
知らない顔だな、と考えているウェスリーに、その内の一人が再び店内の喧騒に負けない大声を掛けてくる。
「細っこい身体で難儀だなあ! 大隊長殿にもよく召し上がるよう伝えておいてくれや!」
「ウェスリー、相手にするんじゃない」
相手の言葉を身動ぎして受け止めたウェスリーの上衣の裾を引っ張って、スヴェンが小声で言う。ウェスリーが振り向いて見ると、その顔は柔和な笑みを浮かべている。
「彼等は」
「第一大隊の奴等だよ。自分達の方が激戦区域に配備されていて上だと思い込みたいんだが、最近は箒二の方が何かと目立つんで突っ掛かってくるのさ」
穏やかに微笑んではいるがどことなく剣のある物言いをするスヴェンを横目で見ながら、上衣を引っ張られた勢いで椅子に腰を下ろす。見計らったように給仕と思しき痩せた男性が注文を取りに来た。
「何にすんだい」
「僕は本日のおすすめを。ウェスリー、君はどうする」
「あ、え、私も同じものを」
品書きなんて見当たらないのに、と狼狽えてついスヴェンに倣った。
「はいよ」
「ああ、それと僕は黒ビールを」
頷いて、額の毛の薄い給仕は立ち去る。ぞんざいな応対の彼の姿を何となく見ていると、給仕は厨房へ繋がるアーチ形の出入り口に向かって怒鳴るように注文を伝えた。ふと彼の頭上を見遣ると、カウンター席の上の壁面に品書きのされた黒板が掲げてあることに気付いた。金釘文字で幾つかの品名が書いてある中、一番大きく「本日のおすすめ」と記されている。
すぐにスヴェンの頼んだ黒ビールだけ先に運ばれてくる。雑嚢を下ろして、横でビールを飲むスヴェンを見ていると、先程声を掛けてきた第一大隊の男達の席から大きな笑い声が聞こえてきた。何となく自分を笑われているような気分がするが、気のせいだと思うことにした。
「何を調べていたんだい」
半分ほど干したグラスを卓上に置いてスヴェンが問うてきた言葉に、ウェスリーは正直に答えるべきか逡巡する。以前討伐したグリフォンの異状を未だに気懸かりに思っていることを、あの時のように訝しく捉えられるのではないかと思ったのだ。
だが結局ウェスリーは誤魔化さずに答えることにした。
「グリフォンの出現事例を……」
「ああ」
スヴェンはまたグラスを傾けてビールを口に含む。彼の喉に流し込まれていく黒い液体を眺めつつウェスリーは続けた。
「ですが該当事例は見つけられませんでした。もっと規模の大きい図書館に行くか、中央省庁」
「ほらよ」
目の前に毛むくじゃらの太い腕が突き出され、ごとんと音を立てて食器が置かれる。見上げると先程の痩せた給仕ではなく、顎の下の肉が豊かな中年の男である。スヴェンの前にも料理の盛り付けられた食器を置く。色褪せた黒い前掛けをしていて、成る程この男が「庭師」なのかとウェスリーは考えた。
「ありがとう」
笑いかけて礼を言うスヴェンに、店主らしき男は不愛想な顔付きを崩さずに応えた。
「毎度どうも」
それだけ言うと男は突き出た立派な腹を揺らして厨房へ戻って行く。
「怖そうな顔だがいい男なんだ。さ、食べよう」
促されて一枚の器に盛られた料理を見る。本日のおすすめというのは牛肉の野菜クリーム煮だったようだ。煮込んだ後で薄く削がれた牛肉の上に、薄橙色の野菜クリームがふんだんに掛けられている。その脇には白い茹でパン幾つかと、サワークリームが添えてある。
突き匙を手に取り、クリームを付けた牛肉を口に含んでウェスリーは驚く。
その様子を見たスヴェンが言う。
「旨いだろう」
咀嚼して飲み込み、ウェスリーは答えた。
「……旨いです」
旨い以上に、ウェスリーはこの味わいに懐かしさを覚えていた。完全に同じというわけではなくやや似ている程度だが、生家でよく出た同様の料理と近しい味だと感じたのだ。薄味だが肉や野菜の風味が強くて、塩味が濃い兵食に飽き飽きしていたウェスリーには大変な滋味に感じられる。
思わず黙々と食べ進めるウェスリーを微笑んで見届けると、スヴェンも自分の皿に向かう。
暫くは二人共話さず、店内の喧騒と食器の擦れる音だけが響く。
粗方食べ終わったところで、茹でパンの残りで食器に付いている野菜クリームを拭い取りながらスヴェンが言葉を発した。
「色々な店に連れて行ってあげよう。知らないというのは楽しいことさ」
「楽しい……」
そうなのかもしれない。少なくとも自分は勉学に関しては知らないことに負い目を感じたりしない。その後知ることができるのだから。他の事柄だって同じことなのだろうか。
途中あの給仕が置いて行ってくれた、煮出し過ぎた菩提樹茶を口に含む。それを飲み下してからウェスリーは口を開いた。
「私は——」
言い掛けたウェスリーの目に、近くで稲光でも走ったかのような閃光が飛び込んできた。
白けたような光に照らされたスヴェンの顔を見て、それが窓の外から入ってきた光だと一瞬後に気付く。
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