1の26 閃光と
茫然とする間も無く、ウェスリーの斜め前に座っていたスヴェンがさっと立ち上がり、飲食代の紙幣を卓上に押し付ける勢いのまま店外へ向かって歩き出した。客達は今し方の閃光は何事かと声を荒げ、俄かに店内は騒然としている。奥の席では第一大隊の男達が、スヴェンと同じく立ち上がって代金を置いているのが見える。
ウェスリーも雑嚢から財布を取り出し、絡まりそうになる指で何とか紙幣を抜き出して卓上に置く。スヴェンの後を追って扉に向かうウェスリーの背に、痩せた給仕の声が掛かる。
「あんたら! もらい過ぎだよ!」
さてはスヴェンが自分の分まで置いていたか、と察するがウェスリーは肩越しに振り向いて軽く頭を下げ、そのまま扉に手を掛けた。
「受け取っておいてください! ご馳走様でした!」
扉の上に付けられたベルが澄んだ音を響かせる背後に、まだ何やら給仕の言う声が聞こえたが、ウェスリーは街路に飛び出しスヴェンの背中を見つけて駆け寄る。
それまでプラセ街を愉しげに歩いていたであろう人々も、辺り一帯を照らした先程の閃光を受け、皆不安そうに空を見上げて声を掛け合っている。
「スヴェン曹長、今のは」
スヴェンに追い付いて尋ねたウェスリーをちらと顧みて、彼は早歩きを維持しつつ答える。
「出現時発光だ。こんな街中から見えたのはまずいぞ」
出現時発光。
異界から魔物が出現する時に発するという光をそう呼ぶ。ウェスリーはこれまで一度も見た経験が無かったので、先程の光がそれだと初めて分かる。一体から数体程度の小規模な魔物群であれば軽い火花程度と聞いていたが。
「た、大群でしょうか」
「すぐに兵営に戻ろう。哨戒所は街外れで遠い、警保の保安課で予備箒を借りる」
「はい」
「出現場所が街の中ではないことを祈るね」
スヴェンにしては珍しく焦ったような早口で言うその言葉に、ウェスリーはぞわりと身中に寒気を覚える。街中に魔物が出現するなんてこと、帝都では想像もしなかった。魔物の種類にもよるが、人間が密集しているところに魔物が多数現れたなら、最悪の事態しか想定し得ないだろう。
困惑する様子の人々の間を抜けながら、プラセ街を来た方向へ戻るが、行きに通った道とは違う細い路地へ入るスヴェンをウェスリーは追う。近道だったのだろう、ほどなくして見覚えのある広場へ出た。イェレミアーシュ広場だ。
ぱっと視界に青白色の政庁舎が入ってくるが、スヴェンは中心の噴水を挟んで向かい側の白茶色の建物へ向かっていく。正面階段を勢い良く駆け上がると簡素な円柱に挟まれた重い扉を開く。開かれた扉の内側から慌ただしく武装警官が数名駆け抜けていった。ウェスリーは彼等とぶつかりそうになり、すんでのところで横に避ける。
「早く、ウェスリー」
「はい」
スヴェンに促されて付いて行く。署内に入ると中はまるでピクシーを怒らせたかのような騒ぎである。ホールの左右に部署ごとの受付と執務室があるようだが、その至る所で警官達が互いに怒鳴り合っている。聞こえてくる内容は先の出現時発光に絡む対応についてと思われた。
「どうやら街の中ではなさそうだ」
警官らのやり取りから推し量ってスヴェンが安堵したように呟いた。ウェスリーは彼の後ろを遅れないように小走りに付いて行きつつ頷く。
「だが随分近い位置だろうし……もしかするとアレかもしれん」
スヴェンの言う「アレ」を、ウェスリーも薄々考える。書物や講義、訓練によって知ってはいるが未だ見たことは無い。
そうこうしている内に保安課の窓口に着き、スヴェンは係の者を周囲の騒ぎに負けないよう大声で呼びつけ、警察署所有の予備飛行用箒二本を一時借受けしたいと告げた。よくあることなのだろうか、特に問答をすることなく、署名をそれぞれ求められただけで箒二本を係から受け取り、ウェスリーとスヴェンは再び外へ出た。
広場には今や立ち止まっている者はおらず、逃げるように家路を急ぐ者、状況を確認しようと警察署へ駆け込む者、ひとまず職場に戻ろうとする者、皆が忙しなく行き交っている。
扉の前に立ち箒を携えたスヴェンはその様子を見て、ウェスリーに振り向いた。
「本当は良くないんだがここから飛ぼう。人気の無い場所まで辿り着くのに難儀しそうだからね」
人心を刺激せぬよう、市街地における箒飛行の離着陸は人目をはばかるべし。
リパロヴィナ軍の規則にそうあるのをウェスリーも知っている。だが緊急時はこの限りでないとも定められているのだ。ウェスリーは雑嚢から飛行用眼鏡を取り出して紐に頭を通しながら答える。
「分かりました」
「少し飛ばすがしっかり付いてくるんだよ」
「……善処します」
「うむ」
そう応じ自らも飛行用眼鏡を装着すると、スヴェンは箒術の短縮呪文を唱えながら箒に跨った。ウェスリーも遅れず続き、二人はすぐにその場から垂直に上昇した。
言っていた通り、普段の彼よりも随分と速度を上げて飛ぶスヴェンに必死で付いて飛んでいると、見る見る内にクヴィエトの同心円状の街並みが眼下に遠のいていく。
ふと鼻に付く生臭いような湿りを帯びた匂いを感じ、ウェスリーはスヴェンの背中から視線を外した。何気無く目を遣った先、クヴィエトの街から数区画ほど離れているであろう南西の草原にそれはあった。
『さながら悪夢で見たような醜悪さでそれは眼前に佇んでいた』
脳裏に、愛読書であるアルカイン・ルウェリン著『幽境の果て』の一節が思い起こされる。
心臓が痛くなるような気持ちで息を呑んだウェスリーに、スヴェンの声が言う。
「見えたろう、あれがダンジョンだよ」
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