1の12 夕食
二階建て白壁の第二大隊隊舎、一階の廊下を入って右に進んでいくと、幾つかある下士官室の一番奥まった部屋が下士官の食事場所となっている。
スヴェンに伴われて夕食を摂りにやって来たウェスリーは、席に着いて炊事兵の配膳してくれた兵食を口にした。そして唇を妙な形に歪める羽目になる。
ソーセージ入りのキャベツスープ、見た目は非常に美味そうなのだが。
変な顔をしているウェスリーに気付いて、隣の席で同じように匙を口に運んでいたスヴェンが尋ねる。
「口に合わんかね」
戸惑いつつも匙を置くことはせずに再びスープを掬いながら返す。
「……前から思っていたのですが塩味が強いことが多いように感じます」
「身体を酷使する仕事だからね、多少濃い味が皆好きなんだよ」
言いながらこってりしたソースの掛かったローストポークを口に入れるスヴェンは、特に味については不満が無いように見える。
ウェスリーはふうと鼻から息を吐いて、スープをまた一口飲んだ。そんなウェスリーを横目で見て、スヴェンは笑う。
「沢山食べたまえ。君はどうも栄養が足りないように見受けられるよ」
「……疲れると食欲が湧かない人間なんです」
「頭も体も食わんと働かんよ。ほら、食った食った」
スヴェンはウェスリーの食器に自分の器からローストポークを一切れ移して寄越した。正直有難迷惑だ、と思ってしまうウェスリーである。
「スヴェン、それが今度のパートナーか」
食事を終えた他の下士官が通り過ぎざまにスヴェンに声を掛けていく。軽く振り向いて返事をするスヴェン。
「そう、大学出たてだから僕らと違って若々しいよ」
「大学卒かよ! 何で
ちらと見てみると、スヴェンに声を掛けた男は笑っている。にやにやと笑いながら言われたその言葉に、今のウェスリーは悪意しか感じることができなかった。
とは言え自分自身何故箒兵科にいるのか疑問に思っていることもあり、ウェスリーは何も言わずに黙っていることにする。スヴェンが男に笑い返す。
「とてもきれいに箒に乗るのさ。お手本みたいにね」
ウェスリーはスヴェンの言葉に目を丸くする。
「それで箒兵科? はは、笑うぜ」
男はそれだけ言って去った。
何も無かったように食事を再開するスヴェンを、ウェスリーは目を丸くしたままで横から見つめてしまう。暫くそのままでいると、スヴェンは気付いて顔を向けてくる。
穏やかに笑って言う。
「ウェスリー、君がここにいることを難しく考えなくていい。箒にきれいに乗れる、そんなくらいの意味付けでもいいじゃないか」
「な」
一声放ち、ウェスリーはまた自分の顔が赤くなるのを感じた。
「何故お……私が」
「考えていることが分かったかって? ふふふ、妖精が教えてくれたのさ」
妖精が教える、とはリパロヴィナの慣用句で、知りようのないことを何故か知っている者に対して使われる。お喋りな妖精は人の秘密をこっそり教えてしまうことがあると言うが、今よりもっと人と妖精との距離が近かった時代は本当にそういうことがあったのかもしれない。
尤も、今スヴェンが言ったのは勿論文字通りの意味ではないだろう。
スヴェンに自分の思いを語った覚えは無かった。ウェスリーの表情や態度から読み取ったのだろうか。昔から表情が薄いと言われてきたものだが、この齢になって分かり易い男になったとでも言うのか。
ともあれ今のスヴェンの言葉は恐らく、とウェスリーは遅ればせながら気付いて、ローストポークの器に視線を移す。先程スヴェンが寄越した一切れを突き匙で刺して口に放り込む。
やはり味は濃い。
歯応えのある肉を咀嚼して、飲み下すとウェスリーは呟くように言う。
「……有難うございます」
既に卓の方に顔を向けて、ローストポークの脇に添えられている茹でパンを食べ始めていたスヴェンは、声に出さずに頷いた。
良かった、聞こえていた。
ウェスリーは安堵する。
自分を励ましてくれたのだろうスヴェンの言葉は、さりげなくて柔らかいものだった。最初にパートナーになった人がこの人で、自分は運が良かったのだ。
訓練学校で初めて箒に乗った時のことをウェスリーはよく覚えている。
机上の勉強である学科教練とは違い、実践的な事柄を教わる術科教練については実のところウェスリーは少し不安だった。魔法大学校で学んだことはまさしく机上の論である。幼少期より用いてきたのは簡単な日常使用魔法である。そのいずれでもない軍用魔法の実践、上手くできるか分からなかったからである。
その不安は割と早い段階で払拭された。魔法術科教練が始まり、回復魔法、防御・障壁魔法、攻撃魔法等、基礎的な魔法を教官の指導の下に使用する。どれをとっても何ら支障はない。寧ろウェスリーの発動させる術は教官からお墨付きを貰える精度を持っていた。
それでも
箒術教官を担当していた中尉によると、箒術起動には術式の理解や魔力供給は勿論のことながら、身体的能力特に平衡感覚が重要なのだそうだ。軍訓練学校に入るまで運動らしい運動をしてこなかったウェスリーである。果たして箒に跨って宙に浮くなんていうことができるのか。
結論から言えばこの心配も杞憂であった。
風の少し冷たくなった晴れた日。訓練学校の校庭に同期生らと横一列に並び、箒を跨ぐ。教官の号令で、予め頭に叩き込んだ術式を思い浮かべ短縮呪文を唱える。
一瞬臓腑が浮くような底気味の悪い感覚を覚えたかと思うと、もうウェスリーは箒ごと地面から浮き上がっていたのである。何故だか慌てて足元を見る。間違いなく両の足は校庭の土から離れていた。
心配していた平衡を保てるかという問題も、どうやら何のことも無かった。自転車には乗ることの多かったウェスリーだが、何となくそれと近しい感じがする。
ウェスリー・ポーターを見ろ、と教官が上手く浮かび上がらない同期生達に声を掛けていた。あれは教科書通りだぞ、と。
その後、問題無く浮くことができた者達は一度箒から降りるよう言われ、貸与品の防寒着と飛行眼鏡を装着して再び箒上の人となった。浮くことに困難のある生徒を助教に任せ、教官はウェスリーらを指揮して上空へと飛び上がった。
上昇する際重力に逆らう抵抗を強く感じたが、一定高度まで昇った所で上昇を止め、圧しつけられるような感覚から解放された時に生徒らが見たものは素晴らしい光景であった。
足元には小さくなった訓練学校の赤屋根の校舎が見える。広い校庭。その周囲は一層広い丘陵地帯だ。リパロヴィナには高い山は殆ど無い。見渡す限りに黄金色に色づいた草原が広がっている。少し遠く、まるでタイル模様のように四角く互い違いに開墾された畑も黄色や橙色に染まっている。黒々とした姿の糸杉の並木。赤や黄の屋根の農家。間を縫うように流れる、銀色に乱反射するカーフナ川。
あっちが第七師団の兵営だ、と教官がウェスリーらの見ていた方とは反対の方角の下方を指し示す。街道沿いに点々と人家が建つその先に、ひと際広大な敷地を門柱と塀が囲っていた。その敷地内を黒い屋根の建築物の数々が規則正しく並んでいる。その何れがどのような用途を為しているかはこの時はまだ訓練生らには知る由も無かった。何処か重苦しい、軍人達が日々起居するために塀で区切られた空間。
ウェスリーはすぐに目を元の方へ転じた。
遠くに小さく街も見える。帝都で教会堂の高い鐘楼に登った時でも、こんなに遥かに地平を見渡せはしなかった。今までこんな光景を見たことは無かった。大地が光っている。
暫く言葉を失くして銘々眼下の風景を見つめていた生徒らに、ややあって教官が再び声を掛ける。誇らしげな彼の声。
美しいだろう、お前達の護る国は。
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