第一章 蠢動
1の1 実戦訓練1
息を弾ませながら走る。
空は青い。前日の忘れ雪が融けてぬかるんだ地面を蹴ると、随分とくたびれた革の軍靴に泥が跳ねる。数人の男達と共に駆けているが、誰も汚れに頓着する者はいない。ウェスリーだけが秘かに、頭髪と同じ金色の眉を顰めた。
「おい遅れてるぞ! ウェスリー訓練兵!」
前方を走る訓練班の班長が振り向いて放った怒声に、肩を震わせて殆ど反射的に頭を上げる。
「はい!」
悲鳴のような声が出た。
「しっかりしろよ! ただでさえ我が班は戦闘訓練の成績が悪いんだからな!」
「はい!」
班長の叱責に、今度は低く抑制した声で返事をする。焦ると癇性な高い声が出る。昔から変わらないウェスリー自身嫌な癖である。
前方に視線を戻した班長は、改めて班員五名全員に声を掛ける。
「目標が近付いてきたぞ! 訓練通りだ、前衛、後衛、補助に分かれる! 各員戦闘準備!」
「了解!」
ぬかるみの荒れ地を駆けながらの班長の言葉に皆が応答していると、とうとう眼前に魔物が同じく走っているのを認める。
魔物の足は速くはない。のたのたとその巨大な脚を前へと運んでいるのを、ウェスリーはしかし怯みつつ見る。魔物が足を地面に下ろす度、足元の地面が揺れ軽い地響きが鳴る。巨大な体、鼠色の肌、隆々とした筋骨。トロルだ。
目標の魔物はトロルと予め聞かされていた。トロルと言えば御伽噺でも鈍重で頭の良くない笑い者として登場するほど、一般的には恐るるに足らない存在と認識されている。
だがウェスリーには、初めて見たトロルが、笑い飛ばせるような取るに足りない魔物とは感じられなかった。人間の二倍はあろう身丈、木の幹のように太い腕と足、知性の無い表情も却って恐ろしく映る。
それは他の者も同じだったようで、誰とは言わずトロルを追う足取りが重くなる。彼等の変化を鋭敏に察知した班長は、鼓舞する言葉を発した。
「上で
応答の代わりに、各々が呪文の詠唱に入る。
走り続けながら魔的な力持つ言葉を口ずさむ面々の中、息を切らしつつも一等先に呪文を唱え終わったのはウェスリーだった。発動の呪を声高く発する。
「善なる者を護り給え、Elemental Protection!」
言葉と同時、ウェスリーがかざした掌前方の空間に光で描かれた魔法円が浮かび上がる。青白く発光するそれは一瞬にして消えるが、代わりにウェスリーの前を走っていた訓練兵の身体が青い光に包まれる。防御魔法が無事発動し、彼の身体を防御膜で覆ったのである。発動時に生じる光は間も無く不可視となる。
ウェスリーが補助を担当している訓練兵は二名である。すぐさま次の防御魔法の詠唱に入る。
先を走る兵達の手にしたサーベルが赤く輝いた。前衛を任じている者達の武器強化魔法が完成したようだ。頃合いに後衛を任されている兵二人も術を完成させる。
「Flame Arrow!」
「Thunder Blade!」
中距離射程の攻撃魔法が放たれ、火炎と雷撃がトロルを目指して空を走る。その様を横目で眩しく見遣りながら、ウェスリーは二回目の防御魔法を放った。
サーベルを構えた兵を青い光が包み込むとほぼ同時に、先の攻撃魔法が少し離れたトロルの身体に命中した。轟、と炎と雷の炸裂音が響く。肉食獣の雄叫びのようなトロルの悲鳴。
爆風が収まる前に、前衛の兵二人がトロルへと突撃する。
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