1の31 近衛と面会人1

 七月、花蜜かみつの月に入り、先月のあの生温なまぬるいダンジョン戦の気色悪さを肌に思い出すことが随分減った。何度か医務室に通う内に背中の痣も綺麗に消えた。

 第七師団では将兵が交代制で順次夏季休暇に入っている。ウェスリーにも夏季休暇の順番が回ってきて、同時に休暇に入ったスヴェンは生家に戻って家族と過ごすのだという。

「君はどうするんだい? 中央のご実家に戻るのかね」

 相部屋で荷拵えを進めるスヴェンにそう問われて、直前まで迷っていたウェスリーは自分でも驚くくらいはっきりと答えたのであった。

「戻りません。兵営に残ります」

 そんなウェスリーにスヴェンは特段疑問を差し挟むこともなく、休暇中は初年兵でも単独で外出できるから自由にするといい、と言い残して発って行った。

 ウェスリーはせめてと思い手紙を書いて生家に送った。父宛てとジェマ宛てである。内容はほとんど同じで、来月実施される中級魔術士試験の対策のために兵営に残って勉強するから帰らないというものだが、ジェマに宛てた方には少しだけ本音を溢しておいた。

『兵営は居心地が悪くて嫌いだがそちらに帰っても何を話していいか分からない。大事は無いから心配するな』

 我ながら無愛想だ、と書きながらウェスリーは思った。そして大隊事務室へ書簡として提出する際に当番下士官の目に触れることを思い出して、居心地が悪い云々は消しておいた。

 手紙に書いた通り、ほとんど自室内で試験対策をして休暇を過ごす。

 スヴェンが発って三日後、その日もウェスリーは自室の簡易机を前に椅子に腰掛けていた。

 日に日に気温が上がり、兵営内の植木の緑も眩しく濃くなっていく。いつもと違いスヴェンのいない部屋で、窓を開け放ちうっすら汗を掻きながら魔法書をめくる。普段顔の横に垂らしている前髪も全部後ろで一つにまとめているのを忘れて、そこにない髪の束を耳に掛けようとする仕草をしてしまったところに、扉を叩く音がする。

 怪訝に思って返事をしつつ扉を開けると、本部付きの下士官がいて面会人があると告げた。衛兵所に併設される面会所に行ってかかりに取り次いでもらえばよいと、ぞんざいな調子で言われ、ウェスリーは鈍色の勤務服を取り急ぎ身に着けて隊舎を出た。

 今は午前の巡回の時間であり隊舎にも営庭にも人影はほとんど無い。当番勤務の雑務を行う兵がちらほらと見えるのみである。

 強い日差しの照り付ける中、地面に落ちる自らの濃い影を見るともなく見つめて歩いていると、目指す衛兵所の方向から二人の男が近付いてくるのに気付いた。彼等が身に纏っている兵営では見慣れない真っ黒い勤務服を、帝都ではよく見かけたことのある軍服だと判断するのに一瞬の時間を要する。

 黒い肋骨服、帝室を警護する近衛科の軍服だ。

 何故近衛科の者がここに、とウェスリーが疑問に思う間も無く、二人の内の一人の将校が声を掛けてくる。

「そこの奴、ここの箒二だな!」

 その剣のある調子にたじろいでしまい反応が遅れる。声を掛けてきた方の男は鋭い眉毛を更に鋭角に吊り上げて続けて怒鳴りつけてくる。

「貴様! 敬礼をして返答をしろ!」

 神経質な響きだがやけに空気を震わせる質量を持っているその声音に、圧倒されるようにウェスリーは敬礼した。黒い勤務服の男は目の前まで歩いてきて腕を組んで立った。

「速やかに所属を述べろこの間抜けめ」

「第七師団箒兵第二大隊、ウェスリー・ポーター伍長です」

 答えながら横目で確認する。肩の階級章から見るにこの男はどうやら大尉のようである。そして襟章から箒兵であることも分かる。男の顔に視線を戻すと、青みの強い緑の眼の中の瞳孔が獰猛な様子でウェスリーを睨み付けている。

「貴様のところの大間抜けはどこにいる」

「……は」

「あの腐れ狂戦士のことだ! わざわざ出向いてやっているのだ早くしろ」

 誰のことを言っているのか分からずに短い疑問符を発して固まるウェスリーにほとんど掴み掛かる勢いで言い募る男を、制する言葉が掛かる。

「ガブリイル大尉、余りに言葉が足りないねえ」

 先程から男の背後で二人のやり取りを眺めているだけだった、もう一人の近衛将校である。無表情なのか微笑んでいるのか分かりにくい半眼を閉じた表情で佇む、細長い長身の彼に振り向いて、ガブリイルと呼ばれた大尉は焦った様子で返す。

「この者が呆けているものでつい……! それに彼奴きゃつの名前を出すのも癪で」

「ウェスリー・ポーター伍長。中央スルツェ近衛第一師団第二連隊連隊長リーアム・ロイド大佐だ。この子はガブリイル・ノプスキ大尉。そちらの大隊長ミハル・クシードル大尉に観兵式の件で用があって来たんだが、大隊本部まで案内してもらえるかなあ」

 ガブリイルの言い訳を無視する形で、リーアムと名乗る近衛将校はウェスリーにそう告げて穏やかな笑みを寄越した。眠そうな半眼はどうやら元の眼の形がそうらしい。彼自身の言葉に挙がったミハルほどではないが、彼もまた浮世離れした雰囲気を纏っているように思える。細身の長躯も手伝って、どこか人ならざる存在を思わせた。

「大隊本部、であればこちらです」

 二人の様子に気圧されていたウェスリーはやっとのことでそう言って、右腕を大隊本部事務室の方向へ差し伸べて先導しようと動き出す。

「ミハル大尉は元気かなあ」

 軽い世間話といった風にリーアムが問う。ウェスリーにはどう答えて良いか分からなかったが、ガブリイルが口を挟んできたことで答えずに済んだ。

「あんな者の調子など気にされずとも!」

 そこに、先程ウェスリーの部屋まで来て面会人の来訪を告げたあの下士官が駆け寄ってきた。

「リーアム大佐殿! 失礼致しました、ご案内致します!」

 どうやら本来ならこの下士官が案内する手筈だったらしい。彼に付いて歩き始めたリーアムとガブリイルを見送って、ウェスリーはそっとその場を離れた。


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