1の35 オーガ戦2
途中何回かオーガの攻撃魔法を食らい、都度防御魔法を掛け直してはウェスリーは戦場の上空を飛び回った。
もはや当初の塊ごとの配置も意味をなしていないようだ。オーガは指揮系統があるわけではなくただいたずらに暴れ回っていて、戦場が一つの大きな塊と化している。上空にいれば魔法で落とされ、地上に降りればオーガの持つ巨大な棍棒や槌、そして牙の餌食になるのだ。
上手く避け、魔法や武器で攻撃してオーガを倒していく兵士達も多い。オーガも確実にその数を減らしている。だが優勢という風には見えない。魔法を使えると思っていなかった敵が魔法を使用したことで出鼻を挫かれた分、心理的に劣勢なのだ。
そして何より、とウェスリーは歯噛みする。
(防御魔法を併掛できる者がいないのか……ならば端から上空組は後方で魔法防御を掛けてもらってから出るべきだったんだ。地上に降りる者は物理防御を掛けて最初から地上で戦うべきだった)
思うが、しかしそれも今になってから言えることだ。オーガが魔法を使うとは聞いたことが無い。新種なのか、彼等に魔法を教えた者がいるのか。どちらにしろ考えたところで詮無いことだ。
地上は人間とオーガの死体が無数に転がり酸鼻を極めている。負傷者も多数確認できる。だがミハルの姿を見つけられない。
(どこだ隊長……)
探しながらも、同じように上空を飛ぶ将兵を捕まえては魔法防御の術だけでも掛けていく。単体だけでも防御魔法を使用できない者がざらにいるのだ。防御魔法を施した者にはミハルの所在を問う。皆知らないと答える。
どれほどの時間飛んでいただろう。探し切れない。戦場の空気にあてられたのか頭がくらくらして、自分がどこを飛んでいるのかすら怪しくなってくる。そもそも箒二はまだこの近辺で戦っているのか。歩兵か箒兵かの区別すら遠目には分からない。地面には死体も多い。まさか既に戦死しているなんてことは……。
思って胸に気持ちの悪い感覚を抱えながら死体に目を遣っていたその時、ウェスリーの目に信じたくないものが映る。
入り乱れる敵味方の間、オーガや他の将兵の死体と共に横たわるそれは。
金茶色の短髪。横倒しになっていて顔は分からない。
「……スヴェン曹長?」
心臓に冷水をぶちまけられたように感じ、ウェスリーは意識的にでなく箒を止めた。目を凝らして注意深く見る。人違いならいい。人違いであってほしい。
堪らず箒を降下させ、地面に転ぶように降り立つと箒術を解除する。横からオーガの棍棒が振るわれるが、ウェスリーは箒から手を放し倒れながらそれを避けると、無詠唱の風刃魔法を放ってオーガの首を飛ばした。赤黒い血が噴き出し辺りに飛び散る。手を地面について体を起こすと、絡まりそうになる足で夢中に駆けた。
ただ走っているだけだと戦っている者達の目には意外と留まらないのか、ウェスリーはすんなりその倒れ伏す男の許へ辿り着くことができた。自分の鼓動がうるさい。喉がからからに張り付いて気持ち悪い。動悸に合わせて震える手を伸ばして彼の肩に手を置き、顔が見えるようにぐいと引いた。力なく仰向けになる体。整えられた顎髭が見える。ウェスリーは息を漏らした。
「ああ」
紛れもなくスヴェンその人である。
今や光を失った両目は虚ろに開かれている。右腕が肘の上部分から無くなっている。致命傷だったのだろうか、首には大きな裂傷があり、大量に出血した跡がある。その場に膝から崩れ落ち、パートナーだった男の体を抱き上げる。
ウェスリーは何も考えられなくなった。
死んじゃったら元も子もない。
衝撃から何とか意識を持ち直し再び上空へ戻ったウェスリーは、目を見開いて戦場を見渡す。ミハルを探す。スヴェンが何故そのことを厳命したのか、理由はもうどうでもいい。
すうっと息を吸い込むとウェスリーはあらん限りの大声を上げる。
「ミハル大隊長は何処か‼」
何度も声を張り上げ、彼の名を呼ばわりながら箒を飛ばす。オーガの攻撃魔法の射程範囲内に優に入っているが、構うものか。防壁を貫通などしない。ウェスリーの術式は訓練学校時代から精度が高いと評価されていたのだから。
地上の将兵達がその声に何事かと視線を遣る。ウェスリーにはそれは見えていない。
飛び回りながら何度目か分からない叫び声を上げる。
「ミハル大隊長は何処におられる‼」
「ここだ!」
良く通る声が斜め後ろ下方から聞こえる。
目が覚めるような思いがしてウェスリーは箒を転回させた。
ミハルは腹部を負傷していた。深い傷ではなさそうだが、出血が酷そうに見える。
「回復を……隊長のパートナーは?」
「戦線離脱だ。腕を食われた」
オーガの少ない一帯を探してミハルを岩陰に座らせると、狭い範囲に二人を囲うよう障壁を張る。狭いが強固な障壁だ。オーガの攻撃数回程度ではびくともしないだろう。ウェスリーはミハルの横に跪くと、彼の上衣とシャツを開き、傷を確認する。思った通り深い傷ではない。これならこの場で回復できる。
重傷の将兵は、動ける状態なら自分で、動けないなら他の者に運んでもらい、戦線より後方に設置されている傷病者集合地点まで戻ることになっているのだ。戦闘地点では確実な治療は行えないし、回復を行う側が危険だからである。
ウェスリーが中級の回復魔法を数節の呪文を唱えて発動させると、ミハルの傷は見る間に癒えた。ミハルは腰に提げた雑嚢をごそごそと漁り、中から小瓶を取り出す。瓶の色から見るに気付け用の魔法薬だ。意識はしっかりしているように見えるが、失血のため多少ふらつくのかもしれない。瓶を開け飲み干すとミハルは額を左手で押さえてふうっと息を吐いた。
「まだいけるな……お前何でここにいる。スヴェン班はもう少し離れてるはず」
「……班長は死にました」
「そうか。で、何でここにいる」
ウェスリーは顔を上げてミハルを睨んだ。ミハルはそれを平気な顔で受け止める。
「スヴェン曹長はあんたを援護しろと言った! 俺があの人に付いて行っていれば今頃まだ生きていたのに、あんたに付けと!」
ミハルの動揺が欠片も見られない表情に何か刺激されて、ウェスリーはここが戦場で相手が上官であるということも忘れて怒鳴った。
「それなのに、あんたはそうかの一言で済ませるのか!」
続けてミハルを責める言葉を吐き捨てる。完全な八つ当たりだ。ミハルはウェスリーをじっと見ている。その目は、あの鋭いがどこか遠くを見るような眼差しのままだ。ウェスリーは肚の底に沸き上がった熱い衝動を抑え切れずになおも続ける。
「俺はあの人がどうやって戦死したのかも見てない! 遺体をその場から動かすことだってできずに……!」
「おい」
低い声で遮られて、ウェスリーは言葉を飲む。
「スヴェンは俺にお前をパートナーにしろと言ってきてた。何故か知っているか」
そんなことをスヴェン曹長が。
ウェスリーは狼狽する。
「知りません」
「俺にも理由は言わなかった。だがお互いちょうどいい。今臨時にパートナーを組むぞ」
「俺は……」
「おいおい」
言い淀むウェスリーを見据えて、ミハルは呆れたように声を上げる。呆然とするウェスリーの顔間近に己の顔を寄せると凄むよう言う。
「了解しました、だろうが。俺に付いてこい」
血の匂いに混じって、あの菫のような香りがした。
胸を衝かれたような気がしてウェスリーはたじろぐ。反射的に俯き、返答する。
「……了解しました」
「お前魔力はまだ残ってんのか」
「恐らく半分ほどは」
「何を使える」
「何でも」
今度はミハルが面食らう番だった。
「何でもってなんだ」
「およそ必要とされるような術式は網羅しています。回復だろうが防御だろうが強化だろうが攻撃だろうが」
羅列して言い募り、そこで言葉を切るとウェスリーは顔を上げてミハルを睨む。
「俺は何をすればいい」
問うウェスリーの視線を真正面から受け止め、ミハルはにっと笑った。ウェスリーは思う。ああこの笑み。面白がっているような、こそばゆいような、子供じみた。
俺はきっとこの笑顔が嫌なんじゃない。怖いんだ。
顔からすぐに笑みを消すと、ミハルはまた雑嚢をごそごそ漁りだす。先程とは色と大きさの違う小瓶を取り出し、ウェスリーに向けて放る。慌てて受け止めるウェスリー。こんなに近くにいるのだから普通に手渡せばいいものを、と妙に冷静に考える。こうしている間も周囲では戦闘が続いているのに、障壁の中とは言え変に落ち着いてしまったことをウェスリーは不思議に思う。
小瓶を受け止めたまま控えているウェスリーを見て、ミハルはまた呆れた声を出す。
「固まってんじゃねえよ。魔力回復の魔法薬だよ、飲め」
「え、しかし」
「俺はどうせ必要ない。士官用に支給されてるから持ってるだけだ。結構回復するらしい、俺は使ったことねえけど」
「使わずとも」
「つべこべ言うな。二人で戦況をひっくり返す。お前には死ぬほど魔法を使ってもらう」
「死にたくはない」
「比喩だ」
栓を抜いて飲み干す。甘苦い液体が喉を焼くように滑り落ちていき、胃の腑が熱を持った。魔力というのは減っても回復しても何かはっきりした実感があるわけではないと言われる。ウェスリーは回復すると微妙に体の芯が満ちる感覚を覚えるのだが、周囲はそれを気のせいだと言って笑っていた。
ウェスリーが魔法薬を飲んだのを確認すると、ミハルは刀の柄を握り直して鋭く言う。
「障壁外せ」
「了解」
解除の呪を唱える。ぃいんっと高い音を立てて障壁は消滅する。一気に周囲の雑音が音量を増して耳に入ってくる。ミハルはすぐさま立ち上がった。ウェスリーも彼に倣う。
岩陰から出ると、変わらぬ状況が待っている。入り乱れる将兵とオーガ。荒れた砂と岩の地面にはどちらのものとも分からない血液が夥しいまでに流れている。吐き気を催すようなその熱気も、今は何故かウェスリーを打ちのめさないでいる。
「俺が先行してオーガを蹴散らす。お前は俺の開いた道を通って付いてこい。それなら詠唱の時間も稼げるから攻撃もできるだろ」
「了解です」
矢継ぎ早にミハルは言い、ウェスリーが首肯すると、飛び出そうと身動ぎした。ウェスリーは右手を挙げて制する。
「待て、防御と強化を」
「あ? 強化ってお前……」
強化の術式は通常自身の体を媒介として武器に効果を及ぼすものだ。他者の持つ武器には使用できないというのが常識としてある。それ故当然とも言えるミハルの疑義には反応せず、ウェスリーは素早く数節の呪文を口ずさむ。立て続けにミハルを三層の防壁が包み、遅れて手に提げた刀を青白い炎が覆う。
「切れ味を気にせず済みます。攻撃力も上がる」
「……すげえね」
ミハルは刀を目の高さに掲げて嘆息する。が、すぐに剣呑な表情に変わると足を一歩踏み出した。
「行くぞ」
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