1の34 オーガ戦1

 入隊したのは木々の枝先に萌黄色の芽が付く頃であったが、気付けば山野の木々は紅や黄にその葉を染め上げていた。吹く風も日に日に冷たくなっていく。

 リパロヴィナでは毎年この季節になると市民は収穫祭の準備に追われる。五穀豊穣を精霊に感謝し、翌年もまた豊かな実りを与えられんと願う祭りである。どこか浮足立つ市井の人々とは半ば無関係に、西部方面軍は別の理由で準備活動に時間を割くことになる。

「合同演習……アーデルランドと」

「そうだ。一年おきに実施されているんだが、今年はアーデルランドの演習地で行うらしいね。君はアーデルランドに留学したかったと言っていたな」

 日朝点呼を終えて午前の体力練成の時間、練兵場の外周を走りながらスヴェンは合同演習の話題を振ってきた。ウェスリーにとっては初耳である。

「初めて聞きました」

「まだ本式の発表はされていないね。この数日内に上層部からお達しがあるんじゃないか」

「何故そんなことが分かるんです」

「一応恒例行事ということになるのかな。勿論両国に何かしら事情があれば行われない年もあるようだが」

 駆け足の状態で話しているのにスヴェンの息は乱れない。ウェスリーは息が上がって首が前に出てくる。だが走れなくなるということは最近になって無くなった。僅かながらではあるが体力練成の賜物ということだろう。そんなウェスリーを横目で見ながらスヴェンが続ける。

「少し楽しみにしておくといい。アーデルランドはリパロヴィナより色々進んでいるし、飯も旨い。女も綺麗だ」

「……俺は魔法書専門店に行きたいです」

「色気の無い男だな君は」

「余計なお世話です」

 半年余りを経てウェスリーは随分砕けた態度でスヴェンに接するようになっていた。文字通り四六時中一緒にいるパートナーという存在はただでさえ家族同然の関係になりがちな上、スヴェンは何かとウェスリーを気に掛けてくれるのだ。兄のように、という表現はウェスリーにとって面映ゆいものだが、頼りになる年長者として、ウェスリーはスヴェンを慕っていることを自覚していた。

 スヴェンは目を細めて笑みを含んだ声で更に言い募る。

「魔法書もいいが、女はどうかね。君はまだ」

「朝っぱらからやめてください!」

「僕はまだ何も言っていない」

「言わんとすることは分かりますっ」

「本当かい。じゃあ答え合わせをしようじゃないか。僕が言おうとしていたことと君が想定していたこと、合っているかどうか」

「俺の口から言わせようとしても駄目です!」

「何故? 口に出すのも憚られるようなことを想定したのかね?」

「とにかく駄目です!」

 やいやい言い合う二人の後ろから、同じように走る同班のズデニェクが声を掛けてくる。私語が過ぎますよお二人、と丁寧だが手厳しい注意である。ウェスリー伍長をあまりいじめるのは感心しない、とイヴァンが言う。

「やれやれ、怒られてしまった」

 さして気にしない風でスヴェンがぼやき、ウェスリーが何か言おうと口を開きかけたその時。

 耳障りな警報音がけたたましく兵営に鳴り響いた。


 突如オーガの群れが国境近くの平野部に出現したとの通達。その数は数百単位らしい。

 二個連隊で討伐に向かうことがすぐさま決定され、ウェスリーらの所属する第十四連隊と、第十五連隊が駆り出されることとなった。

 近くに人家はないが、数が数だけに悠長なことはしていられない。迅速な作戦行動が求められる、と連隊の総員を集めて連隊長が指示を飛ばす。

 そして隊員達は速やかに行動を開始した。

 入隊して以降、大隊での行動すら未経験のウェスリーは、いきなりの連隊行動に僅かに戸惑う。連隊での作戦行動も勿論訓練は行っているので、どう動けばいいか分からないということはない。しかし気持ちが付いて行かない。

 装備を整えた後、進軍のため集合する営庭へと移動を開始しながら、スヴェンはそんなウェスリーの心情を見抜いたように彼に声を掛けた。普段通りの柔和な声音である。

「心配しなくともいい。オーガはさほど強力な魔物ではない。訓練学校で習ったろう」

「そう、ですね」

「それに君は自分で思っているより強い。魔力だって一回の戦闘で到底消費しきれないくらい保持しているではないか。平時の通りやればいいんだ」

「分かっています」

 無意識にぎゅっと箒の柄を握りしめる。速足で歩きながら、スヴェンはウェスリーの固く握りしめられた拳を彼の空いている方の手で軽く握り込んだ。ふふっといつもの笑い方をする。

「手が氷のようだね。緊張しているんだな」

「……死にたくはないです」

「死なないさ」


 オーガとは、背丈は通常2・5メートルから3メートル。ほぼ人と同じような姿形をしているが、その体表は黒に近い灰色で象のように厚い皮膚に覆われており、耳は大きくまた尖っている。肉食獣を思わせる顔には鋭利な牙が外まで伸びる巨大な口が開いている。知性は有しているが低い。大抵棍棒や槌を持っていて、物理攻撃のみ行うとされている。

 獲物を求めてだろうか、いくつかの塊となって平野を移動する数百匹のオーガに、連隊長はまず砲撃を行わせ、集団が乱れたところに歩兵と箒兵を同時に投入した。歩兵がオーガの群れに突撃し、箒兵が上空から援護射撃する。

 箒兵第二大隊も割り当てられたオーガの集団上空へと飛んだ。魔法攻撃を行う者は射程範囲内限界から、武器にて近接攻撃を行う者は降下し攻撃してはまた上空の安全圏へ戻る、一撃離脱の形をとる。定石の戦法であり、箒兵部隊に損害が少ない戦い方である。

 筈が、大きな誤算があった。

「箒兵が落とされてる!」

 戦闘が始まってすぐ、そんな叫びがどこからか聞こえてきた。箒兵達に動揺が走る。原因はすぐに判明する。自分達の身にも間も無くその事態が迫ったからだ。

「こいつら攻撃魔法を使うぞ!」

 注意喚起の声を上げたのは誰だったろう。その事実が将兵達にはっきりと認識される前に数名の箒兵が敵の攻撃魔法を被弾し、墜落していく。

「一旦上昇!一旦上昇!」

 誰かまた叫んでいる。

 ウェスリーはその声に押されるように箒を上昇させ、オーガの攻撃魔法の射程範囲外まで脱した。後からスヴェンも上がってくる。

「ウェスリー」

 咳き込むようにスヴェンが言う。努めて表情を変えないようにしているが、その実動揺しているだろうことがウェスリーにも伝わる声音であった。

 ウェスリーの目を、妙な輝きを放つ眼差しで見つめながらスヴェンは続ける。

「ずっと射程範囲外にいるわけにはいかない。こちらの攻撃も敵に届かないのだから。だが敵が魔法で攻撃してくるとなると頭上を飛ぶのは良い的でしかない」

「魔法と物理、両方の防御魔法を併掛へいかできます! それなら頭上にいても敵の攻撃魔法は通らないし下に降りても戦える! 俺が掛けて回って……」

「いくら君の魔力が高いと言っても全員分など行き渡らんよ。それに時間が無い。早くせねば歩兵だけでは苦戦する。それより聞け」

 スヴェンがウェスリーに箒を寄せて顔を近付け声を落とす。先程からスヴェンの目が何か訴えるようにウェスリーには見える。

「君はミハル大隊長を探せ。彼はきっと降りて戦う。軍規には反するが僕の横にはいなくていい。隊長を探して彼を援護するんだ、いいかい?」

「仰る意味が分かりません……!」

「いいんだ。すぐに分かる。とにかくミハル大隊長を探すんだよ。自分に防御魔法を掛けて安全を確保して、上空から探すんだ」

 いずれ分かる。

 何故か父の言葉が今のスヴェンの言葉に重なって想起され、ウェスリーは寒気がした。一瞬言葉を失うが、すぐに我に返って声を上げる。

「しかしスヴェン曹長……せめて我が班だけでも……!」

「君は気付いていないのか。始まってすぐ班という態勢は崩れたぞ。敵の予期せぬ魔法攻撃で箒兵は崩された。この戦闘は混戦になる。班行動は忘れろ」

「では貴方は……」

「僕は降りるよ。上空で的になるよりは地上の方が動きやすい」

 言うなりスヴェンは箒の先を旋回させ、ウェスリーが何か言う間も無くオーガと将兵の入り混じる戦場へ向け降下してしまう。

 ウェスリーは混乱していた。今の指示は何だ? 何故ミハル大隊長の援護をしろと? 大隊長には彼の援護をできるパートナーがいるだろうし、経験の少ない自分が大隊長に付いていけるとは思えない。スヴェンは何を考えているのだろう。スヴェンの指示に従うべきか、無視して行動を共にすべきか。悩んでいる間にスヴェンは降り立ってしまったのか姿が見えなくなった。

 地上はスヴェンの言うように混戦の様相を呈している。今からスヴェンの姿を見つけるのにも苦労するであろう。こんな中大隊長を探すことなどできるのか。

 悩んだ末、ウェスリーは自分のパートナーの指示を遂行することに決めた。

 ミハル大隊長を探す。


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