1の36 オーガ戦とその後

 ミハルが戦う姿はさながら舞いのようだった。

 オーガの振り回す棍棒や槌を凄まじい速度で躱しつつ懐に踏み込むと、全身をばねのように使って躊躇なく喉を一突きする。そのまま横薙ぎに刀を引き抜いて敵の喉を裂くと、返す刀で横から襲い掛かるオーガの腹部を切り裂き、跪いたところ首を刎ねる。

 一つ一つの動作が目で追うのも困難なくらいに速い。

 そしてどんな脚力と平衡感覚をしているのか謎だが、オーガの肩を踏み台に飛び越えたり、武器を打ち下ろした相手の腕の上を駆け上がったりする。魔物を翻弄するほどの突飛な動きである。

 ウェスリーはこんな戦い方を見たことが無かった。

 リパロヴィナ兵は刀その他の近接武器を用いる者が少なくない。それはそうなのだが、基本的には皆間合いを取って攻撃しては下がり、敵に隙ができれば攻撃魔法を打ち込む、という戦い方をする。文字通り魔物に肉薄して切り捨てるミハルのやり方はどう考えても普通ではない。血塗れになるわけだ、とウェスリーは合点がいく。

 そんなミハルの後を追い、彼の刀の届かぬ範囲の敵を魔法で攻撃する。ウェスリーがオーガの標的にされると、すかさずミハルが切り捨ててくれる。ウェスリーも、ミハルの背後にオーガが迫ると無詠唱で使用できる術式で即座に対応した。時折オーガの反撃を体に受けているミハルだが、物理防御魔法の効果で威力は大幅に減殺され、動きに支障はないようだ。

 そうしてウェスリーの補助を受けて切り進んでいくミハルを見て、周囲の歩兵や地上戦にならざるを得なかった箒兵が士気を取り戻していくのが分かる。恐らく戦況は五分だったろうが、落ち着きと気概を取り戻したならば知恵がある分こちらが有利だ。

 ひと際体格の大きなオーガの首を、防御する腕ごと切り落として、殺気立った目のままミハルは平常の彼からは想像もできない大音声で周囲の将兵に呼ばわった。

「とっとと全部殺して終わらせるぞ‼」

 なんて荒っぽい鼓吹か、とウェスリーが思うより早く、ミハルの声が届く範囲にいたであろう将兵達が一斉に応と声を上げる。男達の諸声に空気が震えた。


 そこからは早かった。

 士気を取り戻した第二大隊を始めとする第十四連隊は態勢を立て直し、次々オーガを討伐。混乱の最中後方へ指示を仰ぎに戻っていた一部箒兵達も、支援部隊より回復と防御の魔法を受け、戦線へ復帰、上空から地上の将兵達を援護した。箒兵の援護の甲斐もあって、一足早くあらかた目標を殲滅した第十四連隊はやや南方にて戦闘を行っていた第十五連隊に合流、オーガの群れを挟撃しこれも撃破した。

 散り散りになって逃走を始めたオーガの残党を狩るのは箒兵の役割である。

 日がまだ東にある頃に開始されたオーガ殲滅作戦は、西日が差す頃終わりを告げたのである。


 戦場跡に処理科が到着する前に、生きている将兵にはやることがある。処理科の仕事はあくまで魔物の死骸や血痕の処理であり、戦死者の遺体は概ね同班の者が回収することになっている。個人特定の意味も兼ねているのである。

 日が沈み始め辺りが薄暗くなる中、そこかしこで魔法による光が松明に灯される。

 死んだ将兵とオーガが累々と横たわる戦場の跡を、顔を確認できるよう松明の明かりを下に向けながら無数の兵士が蠢いている様は、まるで絵画に描かれた地獄のようだ。

 ウェスリーはスヴェンの死を確認したと記憶している近辺を同じように彷徨っていた。

 あの後更に激しい戦闘が行われたのだろう、死体の数も増えており、暗くなってきたのもあって中々見つけられない。血生臭い匂いが鼻を衝く。

 結局スヴェン班は半数が戦死した。戦闘が終了した後班員と合流できたが、イヴァンとフロルは帰ってこなかった。ズデニェクとヤンは今、帰ってこないそれぞれのパートナーの死体を探して近くを彷徨っている筈である。

 ウェスリーは猛烈な疲労感に襲われる。何故自分はこんなことをしているのだろう。今朝笑って話していたパートナーの死体を探して、血塗れの地を徘徊している。

 悔しい、気持ち悪い、辛い、虚しい、怖い……堪えていた負の感情がどっと襲い掛かってくるようだ。臍の辺りが震えて足が止まる。松明を持って立ち尽くしたまま、少し吐いた。胃液しか出てこない。

 吐いたせいで涙が滲む視界に、暗がりを向こうから歩み寄ってくる人影が映る。

 松明でかざしてみるとミハルである。手に箒を携えている。ぼんやり見ているとウェスリーの目の前で歩みを止めた。

「お前の」

 ぶっきらぼうに言うと持っている箒を突き出す。ウェスリーは口許を袖で拭って、呼吸を整えてから箒を受け取った。確かにウェスリーの箒である。

「……ありがとうございます」

 意外な感じがしてウェスリーは窺うようにミハルを見つめる。

 薄暗がりの中、松明で照らされるミハルの顔は整った顔立ちのためまるで彫像のようである。瞳の色は今ははっきり見えない。夕焼けの時の東の空のような色だった、とウェスリーは顧みて思った。

 ふと素朴な疑問を口にする。

「わざわざ拾っていただいたんですか」

「高そうな箒だったから」

 あくまで仏頂面を崩さずミハルは答えた。あの混沌とした戦闘の真っ只中で、他人の箒の価値なんかに注目していたのか、この男は。ウェスリーは笑ってしまう。

 ふっと声を漏らして笑うウェスリーに気付いて、ミハルは眉根を寄せて目を見開くという器用な表情をしてみせる。

「なに笑ってんだ」

「とんでもない男だなあんたは」

 心のたががどこか外れているせいか、自分より遥かに上の階級の大隊長に向かってぞんざいな口調で話してしまうウェスリーである。ミハルは特に気にしていない様子で返す。

「とんでもないのはお前だよ。ばかすか魔法使いやがって。確かに使えって言ったのは俺だけど、戦闘中いつぶっ倒れるか気になって仕方ねえ」

「俺がそんな馬鹿に見えるのか」

「馬鹿に見えなくても馬鹿かもしれねえ」

「ふふ」

 やはり自分は今どこかおかしいのだ。こんな状況で笑えているなど。今からまたスヴェンの遺体を探さなくてはならないのに。彼を遺体確認場所まで運ばなければならないのに。運び終わったら顔を確認して、認識票を提出して、確かにスヴェン曹長です、と報告しなければならないのに。

「スヴェン曹長は……」

 思わず口を突いて出る。

 そこから容易に言葉が出ない。代わりに震えが出てくる指をぐっと握り締めた。ミハルは何も言わずにウェスリーの目を見ている。その不思議に優しい両の眼を見つめ返して、ようやく言葉を絞り出す。

「兄がいたらこんな感じかなと……面倒見が良くて、優し過ぎず厳し過ぎず……」

「うん」

「何を考えているのか分からないことも多かったけど、一緒にいて安心できる人でした」

 言い終わって、身体の力が抜けていくのを感じた。過去形で話す自分を殴りつけてやりたい、そんな風にも思う。ミハルはそっけないようにも聞こえる低い声で相槌を返す。

「そっか」

「何故スヴェン曹長は俺をパートナーにするようあんたに言ったんだろう……」

 理由に見当もつかない。思えば何かとミハルの話を振ってきていた。同じようにミハルにウェスリーの話をしていたのだろうか。

 ミハルの双眸が松明の下で燃えるように煌めいた。

「俺には分からん。何度もスヴェンからお前をパートナーにと推されていた。理由はいつもはっきりとは言わない。毎回聞き流してた。俺のパートナーなんてならないに越したことはない。付いてこれないか付いてこれても重傷を負ってしまう。俺はパートナーなんていらない」

 早口で吐き捨てるように言う。ウェスリーは思いがけずミハルの感情の激する様を見て息を呑んだ。そんなウェスリーの前で、急にミハルは迷子のような不安げな表情になって言葉を継ぐ。

「いらないと思ってた。数時間前まで」

 ミハルの継いだ言葉にウェスリーは理解が付いて行かない。しかしその先の言葉は更に驚くべきものだった。

「お前を俺のパートナーにするよう申請する」

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