洗い物1

 箒兵第二大隊の隊舎の裏手にある洗面洗濯所で、昨日着用していたシャツと袴下こしたを金盥に浸け置いたまま、ウェスリーは傍らの椅子に座って本を読んでいる。

 午後の巡回を終えてこの時間は、洗濯や繕い物の時間だ。

 洗濯所周辺は他にも洗い物をしている者達がいて少しだけ賑やかしい。

 浸け置きの間は特にすることも無いので持ってきた本を読むことにしたのだ。魔生物学者チャデクの『博物誌』、有翼類の章からグリフォンの項を拾い読む。

 基本的に高潔な性質で、喰らうために人を襲うことは無い。反面非常に獰猛でもあり、縄張りを侵された時や、攻撃を受けた際は執拗な反撃行為に及ぶ。貴金属を集める性質があり、巣に溜め込む。

 以前に読んだ通りの解説が並ぶ。目新しいことは書いていないな、とウェスリーは溜息を吐いた。

 これだけではあのグリフォンの行動の不可解さを説明できない。今度市の図書館に行って資料を漁った方がいいかもしれない。とするとスヴェンに同行を頼まなければいけない。初年兵は一人での私用外出が認められていないのだ。

 無理もないよな、とウェスリーの思考は脇へ逸れる。

 軍隊生活、楽しいものではない。娑婆っ気が抜けない、とは二年兵以上の将兵がよく口にする言葉だが、要は入隊以前の一般人としての気風が抜けきらない初年兵を指して言うのだ。その娑婆っ気が抜けない初年兵の頃は脱走する者が最も多い、のだそうだ。無理もない。今までの生活や人間関係とはあまりに違う。ウェスリーだって何度逃げ出したいと思ったか。

 逃げ出さずにいるのはただの自分の矜持だ。

 風が吹いて手元の本の頁がめくられてしまう。ん、と呻いて元の頁へ繰ろうとしているところに、視界に飛び込んできた白い物で本が見えなくなった。

「わ」

 腕に重みが掛かる。何かと思えば、本を載せていたウェスリーの膝の上に大量のシャツや袴下が積まれているのだ。口を開け放して顔を上げた。

 目の前ににやにやと笑う男が立っている。誰だったか、名前は思い出せない。階級章を見るとウェスリーと同じ伍長である。

「ウェスリー伍長、洗濯がお好きと聞いたんでねえ」

 ウェスリーは眉根を寄せる。

 確かに洗濯は好きだが、そんなことを誰かに言った覚えもないし、自分の膝の上に大量の衣服を置かれることと何の関係があるのやら。

 見れば、彼の背後には同じようににやにや笑いの兵卒が幾人か立っている。

「俺達のもついでに洗っておいてくれよ」

「随分汚れちまったんで得意な方にお任せした方がいいと思いまして」

 あいつ、前に絡んできた内の一人じゃないか。

 伍長の横から口を挟む男の顔を確認してウェスリーはうんざりと思い出した。

 衣服の合間に靴下なんかも挟まれていて、何とも言い難い鼻を衝く臭いがする。鼻で呼吸するのが躊躇われるが、かと言って口呼吸にして口いっぱいにこの臭気を頬張りたくない。ウェスリーは衣服の接している腕や膝から毒のある汁が滲み込んでくる錯覚をした。

 ぞわぞわしながら、勢い言い返す。

「自分達で洗ってください」

 投げ捨てたいがそれは堪える。男達のにやにや笑いが酷くなる。

「まあそう言わず」

「その中に小隊長の分も入ってますんで」

 姑息だな、とウェスリーはどこか冷めた風に思う。上官の洗い物を混ぜておけば拒否できない、拒否すれば非礼だ。

 誰かが耐え切れないというように吹き出す。

 汚れ物を抱えてずっとこうしているくらいならもういっそ言われるがままに洗ってやれ、と投げやりに考えてウェスリーは立ち上がろうとした。

 すると、横合いからごそっと布の塊を奪っていかれる。膝の上が軽くなる。

 ウェスリー含め全員の視線が洗い物を横取りした男に注がれる。

「え。スヴェン曹長」

 大量の衣類を両腕で抱えたスヴェンは、ウェスリーに呼ばれてちらりと視線を寄越すが、すぐに背を向けて空いている洗濯台に衣類の塊を放り込んだ。

 ふうっと尖らせた口から息を吐いて、言葉を失くしているウェスリーと男達のどちらに言うでもなく、張りのある声を上げる。

「ウェスリー伍長はミハル大隊長殿の洗濯物を任されているんだったね。ほら、大隊長殿が丁度そこに」

 またしても全員で示された方に視線を遣る。

 確かに隊舎の裏手をむっすりとミハルが歩いてくる。やや後ろには彼のパートナーだろうか、明るい表情の士官が一人。

 スヴェンが声を張り上げた。

「ミハル大隊長殿ぉー、洗い物はございませんかぁー」

 何処を見ているやら分からなかったミハルは、スヴェンの声に引き上げられるようにこちらを見る。表情は変わらないが、呼ばれるがままに歩み寄ってきた。

「は?」

 近くまで来る前にミハルがぶっきらぼうな声で問い返す。ウェスリーがふと絡んできていた伍長らを見遣ると、彼等は今はびしりと直立して敬礼している。

 それを見てウェスリーも椅子から立ち上がった。

 スヴェンがそのウェスリーの両肩をはっしと掴まえてにこやかに言う。

「ここなウェスリー伍長が大隊長の洗濯をしますので、洗い物があれば是非」

「え、え」

 ウェスリーは目を白黒させる。

 そんな二人の前に辿り着いたミハルは眉を顰めて訝しげだが、唐突にぱっと眉を開くとあっけらかんとした声で言った。

「んじゃ、頼むわ」

 そして目の前で脱ぎ始めた。

 ウェスリーは目と口をあんぐりと開く。見る間にミハルは上衣と長靴ちょうか軍袴ぐんこを脱ぎ捨て、シャツと袴下をするんと抜き去ると、とどめに片足ずつ立って靴下も引き抜いて見せる。

 彼の後ろにいる青年士官は笑いを堪えたような顔をしているが何も言わず、スヴェンはにこにこしている。

 伍長らはと言うと何やらひゅーひゅーと囃し立てている。

 何だこれ。頭が痛くなりそうだ。

 ウェスリーは途中から俯いてしまっていて、スヴェンに支えられるような形で立っているが、そんなウェスリーの腹の辺りにずむんと何かが押し付けられる。見なくとも分かる、今し方脱いだばかりのミハルの衣服である。生温かいそれを力無く両腕で受け取った。

 何だこれ何だこれ。

 頭の中が疑問符で埋め尽くされるウェスリーをよそに、ミハルは軍袴と長靴だけは再び身に着けると、上衣を肩に引っ掛けて気怠い声で言い捨てた。

「よろしう」

 来た方とは逆の方角へと歩み去って行くミハルを追う青年士官の、まだ寒いからシャツ取りに戻りましょう、と言う声が遠ざかっていく。

 茫然として、先程よりは少ない洗い物を抱え込んで立ち尽くすウェスリーにスヴェンが声を掛ける。

「さあウェスリー、それだけさっさと洗ってしまおう」

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