1の28 岩窟型ダンジョン2
「Spirit Armor!」
すかさず防御魔法を詠唱しスヴェンに向けて発動すると、ウェスリーは言われた通りに魔物から距離を取るため箒を再び旋回させた。
『迎撃する、各班攻撃態勢を取れ!』
中隊長の指示が飛ぶ。ハルピュイアの突撃で崩れた陣形を立て直し、各々が武器を抜き飛行しながら詠唱に入る。再度のハルピュイアの突撃までに詠唱を終えた者は魔物を迎え撃ち、詠唱が間に合わなかった者は上昇や下降によって回避している。
スヴェンはウェスリーの防御魔法を受けてすぐに武器強化の術式を完成させ、向かってくるハルピュイアへと箒を飛ばした。すれ違いざまに一太刀くれるが致命傷にはならなかったらしく、魔物は何事もなかったかのようにそのまま今度はウェスリーの方へ滑空してくる。
奥歯を噛み締め、ウェスリーは身体を右に傾けて箒の穂先をぐるんと返し、ハルピュイアへ背を向けた。風切り音で魔物が背後を追ってきていることを察しつつ、ウェスリーは背中を見せたまま飛行を続ける。だがハルピュイアの飛ぶ方が速く、あっという間に距離を縮められる。
翼を羽ばたかせる音がすぐ後ろで聞こえ、ウェスリーはその身を固くして思わず箒の柄を抱え込むように強く握った。
ぎゃっと人面鳥の鳴き声が背後で響く。ウェスリーを追うハルピュイアの後方を取ったスヴェンが、サーベルで魔物の首を突いたのだ。
やや前方へ飛んだ先で振り向いたウェスリーの目に、スヴェンがサーベルを引き抜き魔物の首から黒い血が噴き出すのが映った。反射的に一瞬目を閉じてしまうが、すぐに目を開いて今度は攻撃魔法の詠唱を始める。
すぐには死なない。魔物は大抵の場合、死に瀕してなお反撃してくる。
案の定、多量の血を吹き出しながらもハルピュイアは翼を激しく動かし、その嘴でスヴェンに襲い掛かっていく。初撃をサーベルで受け止め、ハルピュイアの嘴を押し返すように外したスヴェンはその場を離脱し、ウェスリーを呼ばわった。
「ウェスリー撃て!」
「Wind Blad!」
ウェスリーのかざした手の先に黒色の魔法円が一瞬浮かんで消え、ごぉっと突風のような音を連れた見えない刃がハルピュイアの頭部へと到達する。黒ずんだ褐色の嘴、爛れたような皮膚をした女の頬が順に上下に分かれ、次の瞬間後頭部までずぱんと切断される。黒い血を撒き散らしてハルピュイアの死骸は落下していき、ダンジョンの岩壁に叩き付けられた。いやに湿っぽい音がする。
「ぅぐ……!」
自らの行った攻撃によるものとは言え、その惨たらしい様相にウェスリーは呻いた。だがスヴェンが飛んで来て目配せしたのを見て、すぐに気を取り直し、スヴェンの斜め後方を付いて飛ぶ。
見渡すと、同じように討伐された魔物が落ちていくところや、追われる魔物や逆に追われて飛ぶ隊員の姿が目に入る。その光景にずきずきと心臓が痛む。眼前の全ての動きが不思議と遠いもののように感じる。
冷たいものが鼻先に当たって、ウェスリーははっと浅い息を吸った。
上空から降ってきたこれは、とうとう曇天から零れ出した雨だろうか。それとも魔物の血か。それとも。
拭って確認することはせず、スヴェンの背中を必死で見つめて飛ぶ。
その時、音声拡張器から再び中隊長の声が響く。
『ダンジョンからまたハルピュイア多数が出現! きりがない、奴等を振り切って作戦通り亀裂へ進入しろ!』
鳥の群れが鳴くような甲高い騒音がダンジョンの方角から聞こえてくる。枝葉に叩きつける雨音に似た雑音は無数の羽ばたきによるものか。
「ウェスリー付いてくるんだ!」
「はい!」
スヴェンの呼び掛けに上擦った声で応じ、離されないよう箒を加速する。飛行帽越しに鼓膜を震わせる風の音の合間に、怪鳥の発する鳴き声が
少し先を飛んでいた他班の兵達が続々と目標の亀裂に飛び込んでいく。背後に迫る羽音はますます大きい。スヴェンが前方を見据えたまま怒鳴った。
「奴等の方が速い! もっと飛ばせ!」
班員らは各々応答を返すが、ウェスリーは奥歯を噛み締めているため返事をすることができなかった。顔を向かい風が叩いて皮膚が痛い。
「ウェスリー伍長遅れるな!」
イヴァンの声が叫ぶのが聞こえる。振り返る余裕は無い。
「亀裂だ、入るぞ!」
スヴェンの指示が耳に届いたが、遅れるまいと彼の背中だけを見て飛んでいたウェスリーはその意味を理解するというよりただスヴェンの動きに追従した。ぐんと箒を降下させ、箒から引き剥がされそうな遠心力に堪え柄に身体を押し付けるようにして飛行を維持する。
黒々とした岩肌に開いた、任務でなければ金を積んで頼まれても入りたくはない巨大な空洞が眼前に迫る。と思う間も無くウェスリーはその穴の中に飛び込んでいた。他の者も次々と吸い込まれるように亀裂へ進入する。
入ってすぐに目に映るのは奥へと続く虚無のような暗闇だ。さっと鳥肌が立つのを感じ、ウェスリーはスヴェンに倣って速度を落とす。そこに大音声が掛かる。
「全員入った! 障壁魔法展開!」
『Mirage shell!』
中隊長の大声の指示に間髪入れず、数名の将兵による障壁魔法の唱和が響いた。見ると大空洞の入り口を取り囲む形で将兵らが構えており、彼等の足元に薄く魔法円が輝いて消える。次の瞬間、亀裂に飛び込もうと飛来してきたハルピュイアが数体、立て続けに障壁に身体を叩き付けた。窓を殴るような凄まじい音がばたばたと断続的に響く。
「間に合った……」
そう誰かが呟く。障壁の外でハルピュイアが忌々し気に金切り声を上げているのがぼんやりと膜を被ったように聞こえる。
「落ち着いている暇は無いぞ。注意して進め、偵察隊の報告通りだとこの先の小ホールにトロルが数体、ガイトラッシュ数体、他にも出現している可能性は高い」
中隊長の頼もしい声が今は直接全員に届いた。
「障壁も長くは保たない」
そう言って中隊長は、ハルピュイアが障壁を破って侵入してきた際の対応のために二班残るよう命令した。それらのやり取りを、上がった息を必死で整えながらウェスリーは聞いている。
「ウェスリー、平気か?」
横からスヴェンが小声で窺ってくる。ウェスリーは中隊長を見つめる視線を外さずに小さく答える。
「問題無いです」
嘘を
先程から吐き気が止まらない。この匂い、ぞわぞわと身体を這い上がるような冷気、目が潰れる気のする暗闇。全身がここにいてはいけないと教えてくる。ウェスリーは入隊して初めて心底から軍に入ったことを後悔した。
ここは魔界なんだ。人間界に間借りした魔界。
「……本当に平気なのかい」
スヴェンが念を押すように問い掛けてくる。からからの口内だというのに無理に唾を飲んで、ウェスリーはスヴェンに振り返った。
「大丈夫です」
スヴェンの顔は暗くてよく見えない。
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