1の29 岩窟型ダンジョン3

 とうとう箒を降りざるを得なくなる。

 偵察隊の作成した簡易地図の通り、亀裂から入って暫く飛んだところに開けた空間があったが、魔物はそこにはいなかった。四方に幾つか伸びた細い横穴を移動して行ったのだろうと見当を付け、中隊長は二班一組での別行動を指示した。第七中隊はダンジョン北西亀裂から敵を掃討しつつ進入し、別進入経路よりダンジョン中心部へ向かう第五中隊を支援する手筈なのである。

 二班で魔物のいると思しき横穴を進んでいったが、途中からごつごつとした壁が入り組んで狭く、到底箒で飛行できる状態ではなかった。邪魔にはなるが箒を背に負い、ウェスリー含む班員らは足で横穴を移動することにする。

 人が歩くために作られているのではない岩窟である。高低差は酷く、ずるずると滑る正体不明の粘液も垂れ落ちていて非常に歩きにくい。

「こんなに狭いんじゃトロルはこっちの穴には来ていないですね」

 魔法灯を足元に照らしながら先導するズデニェクが言う。

「そうかも……だが分からんぜ。食事制限して痩せたトロルもいないとは限らんだろ」

 イヴァンがふざけているのか分かりにくい真剣に聞こえる声音で返すが、スヴェンはその後ろでふっと吹き出している。釣られてズデニェクも笑う。

「人食いトロルには食事制限してもらわんとですね!」

 よくこんな場所と状況で笑えるな、とウェスリーは眉根を寄せた。歩くだけで息が切れるような酷い道に、澱んだ瘴気まみれの空気。魔物から見つかりにくいようにと足元だけを弱く照らしているため、手を少し伸ばせば指先が見えないほど真っ暗闇でもある。

 その上頭痛までしてきて、ウェスリーは冗談でなく吐きそうな気分だった。

 目の前をしっかりした足取りで進むスヴェンに何とか付いて行っているが、気を抜くとすぐにでも置いて行かれそうだ。背後にはフロルとヤンがいて、更にその後ろには別班が後方を警戒しながら付いてきている。

 また手を使ってよじ登る必要のある段差が現れる。難無く先に登ったスヴェンが振り返って、ウェスリーに手を差し伸べるため段差の上でしゃがみ込んだ。

「ウェスリー伍長、手を」

「すみません」

 下ろされた彼の手を掴もうと、岩肌を支えに右手を伸ばした時、スヴェンの頭の向こうからズデニェクの声が上がった。

「うわあっ」

 ズデニェクの手元にかざされていた魔法灯の光が岩壁を慌ただしく揺れて滑って行ったと思うと見えなくなり、すぐにイヴァンの詠唱の声が響き始める。魔物が現れたであろう気配にウェスリーは一瞬身を固くした。

 段差の上からスヴェンがウェスリーに向かって叫ぶ。

「ウェスリー、照明!」

「Lighting!」

 詠唱省略の照明魔法を即座に発動させる。くうに向けた人差し指の先に白い魔法円が浮かび、真っ暗な横穴の中を煌々と照らすだけの光量で光の球体が出現する。と同時に黒い影がスヴェンの頭上を飛び越えてきた。影はウェスリーの立つ場所とフロルとヤンのいる辺りとの間に着地する。

 小ぶりの馬程度の体躯に犬に似た頭、全身は濡れそぼったように黒く、魔法灯の白けた光の下でまるで影そのものである。目だけは赤くぎらぎらと光っていて、眼窩からは煙のようなもやが噴き出しているのが見える。

「ガイトラッシュだぞ! 全員戦闘態勢!」

 スヴェンが鋭く指示の声を発した。彼の手元からサーベルを素早く抜く音がする。ウェスリーは目の前の黒い魔物から目を離せず、しかし次に取るべき行動を選べずにいた。自分の鼓動が煩くて頭の中が真っ白になるのを感じる。そんな呆けた頭にスヴェンの声が刺さる。

「ウェスリー! 登れ!」

 獣の獰猛な唸り声が同時に響き、ウェスリーは咄嗟に段差の方へ振り向いて無我夢中でスヴェンの伸ばした手を掴んだ。半ば引き摺られるような形で段差をよじ登る。肋骨や膝が岩に擦れて痛む。

「こっちの方が少し広い。幾らかは動きやすい筈だ。まだ先の方に他にもいるぞ、イヴァン組と合流しよう」

 登ってすぐの、体勢を立て直せていない四つん這いのウェスリーにスヴェンは早口で言う。それを聞きながら慌てて下を見返すと、ガイトラッシュはフロルとヤンの方へと駆けて行くところだ。後方の兵が二人に防御魔法を掛け、フロルは距離を取りながら詠唱を始めている。彼等の姿を尻目に、スヴェンに伴われてウェスリーは前方へ走った。

 スヴェンの言った通り少し幅や高さに余裕のある空間に出ると、魔物の唸りが幾つか反響して聞こえ、敵は複数体潜んでいるように思われた。が、暗くて全体が把握できない。魔法灯は後方に置いてきたので、ウェスリーは再び照明魔法を使って光球を出現させた。隣ではスヴェンがサーベルに強化魔法を掛けている。

 辺りが明るく照らされてすぐに、二人はイヴァンとズデニェクの位置を確認するべく視線を巡らせる。道をやや先に行ったところにイヴァンがサーベルを構えてガイトラッシュと対峙しているのが見えた。

「ウェスリー、防御魔法を僕とイヴァンに!」

「了解です!」

 ウェスリーに指示を出すと同時にスヴェンはイヴァンの元へと走り出した。ウェスリーは短く詠唱を完成させ、防御魔法をスヴェンに掛け終えると、自らも彼の後に付いて駆け出す。イヴァンに防御魔法を掛けるためは勿論だが、何よりこの岩窟で一人取り残されたくない。

「イヴァン一旦下がれ!」

 怒鳴りつつスヴェンはガイトラッシュに斬り掛かっていく。黒い身体を仰け反らせるようにして魔物は横合いからの攻撃を避けてみせる。イヴァンは言われた通りに後ろに距離を取り、ウェスリーは彼に向かって防御魔法を発動させた。

 そこに、奥から悲鳴が聞こえてくる。

「ズデニェク!」

 イヴァンが歯噛みしながらパートナーの名を呼ぶ。ガイトラッシュはそのイヴァンの隙を察知してか彼に飛び掛かった。魔獣が腕に食らいつくのをイヴァンは必死で引き剥がそうともがく。スヴェンは暴れる両者の後ろから攻撃の機を窺っている。

 ウェスリーは弾かれるように走り出した。悲鳴の聞こえた、ズデニェクのいるであろう奥の方へである。

「ウェスリー! 待て!」

 スヴェンが魔物に身体を向けたまま視線だけ送って呼んでくるが、ウェスリーは止まらずに走った。ズデニェクの声。ぞっとするような悲鳴だった。援護しに行かなければ殺されるかもしれない。怖い。自分が死ぬのも他人ひとが死ぬのも。

 道の先で黒い影がもう一体蠢いているのが視界に入った。一瞬全身が粟立つ。ひと際大きなガイトラッシュがズデニェクらしき人間の上に覆い被さっているのが見て取れたからだ。

「ウェスリー伍長殿ぉ!」

 ズデニェクの必死の声。ウェスリーは唇を噛み締めて泣き出しそうに安堵する。生きている。

 駆け寄りながらよく見ると、襲い掛かられながらも短刀を抜いて牙を防いでいる。その刃に強化術が掛かっていないため、ガイトラッシュに斬撃を与えられないでいるのだ。攻撃魔法は使えない。魔物とズデニェクが密着し過ぎている。

 何かしなければ、もう魔物が近い。

「峻厳の御柱、小径を往く猛き戦士のそのつるぎの如く! 緋色の火炎の精霊から御力を彼の鉄へと運ばれよ! 我原初の薔薇のその花弁を数え奉る、花弁は蛇に、蛇は炎に! 禍事まがごとを打ち払う助となれ! Flame Edge!」

 ウェスリーの口から淀み無く発せられた詠唱は力ある形となって魔法円を宙に描いた。ごんっという無機質な音を立てて魔法円は消え、代わりに前方で魔獣と組み合っているズデニェクの短刀が緋色の炎を纏う。

「あぁ⁉」

 短い声を上げて動揺するズデニェクにウェスリーは叫んだ。

「攻撃を!」

 叫んだとほぼ同時に、組み合うズデニェクと魔物の向こうからもう一体のガイトラッシュがウェスリーに跳び掛かってきた。そのまま岩壁に打ち付けられる。

「がぁっ……!」

 喉から勝手に声が漏れる。打ち付けられた背中がみしりと鳴るのが骨を伝って耳に届いた。腹に魔物の身体の重みが掛かり、何か熱いものが喉元にせり上がってくる。そして魔物は赤い目を爛々とさせてウェスリーの首筋に牙を立てる。生臭い吐息。

 死ぬ。

 死にたくない。

 一人で死にたくない、寂しい。死にたくない。

 どこかから女性の声がそう言うのが聞こえる。

 が、目の前にある犬のような頭部に真横からサーベルが突き立てられた。一撃、二撃、三撃と頭部に刃が抜き差しされる。サーベルを引き抜いたスヴェンがごっと鈍い音をさせて魔獣の頭部を蹴り飛ばした。ガイトラッシュはだらしなく舌を出した状態で地面に投げ倒される。ばしゃっとどす黒い血が飛び散った。

 首筋に牙の傷が浅く抉れただけで済んだウェスリーは、岩壁から力無くくず折れた。ぎくしゃくと蹲ってげえげえ吐いた。

「ウェスリー、やられたか?」

 スヴェンの慌てたような声が言うのがまるで遠くに聞こえる。口の端から胃液を垂らしながらもウェスリーは顔を上げて視線を彷徨わせる。

 ズデニェクの方はどうやらイヴァンの援護もあって無事なようだ。イヴァンに肩を借りて立ち上がる彼の姿を視界にぼんやりと確認して、ウェスリーは頭を地面に横たえ目を閉じた。

 ズデニェクが何か興奮して話している。

 イヴァンのぼそぼそ言う声。

 スヴェンが昂ったように言う言葉だけ、ウェスリーは聞き取れた。

「そういうことか……」


 ウェスリーが意識を失った後、第五中隊がダンジョン中心部へ到達。率いていたミハル大隊長の手により核敵である人食い巨人は討伐され、数時間後にダンジョン制圧が完了した。

 ウェスリーはそれを目が覚めた応急処置所で聞いたのであった。

 傍らにはスヴェンが付いていて、穏やかな声ですまなかったねと言われた。

「何故謝るんです」

「僕がもっと的確に指示をできていれば君がこんな目に遭わなかった」

「私が勝手に動いただけですから……」

「しかし君は、他の者の持つ武器に強化魔法を掛けられるんだな」

 そうです、と答えた後に何も続かないので不審に思っていると、暫し経ってスヴェンが呟いた。

「そんなのは初めて見たなぁ……」

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