1の14 グリフォン2
答えを得る前に、グリフォンがいよいよ縦横無尽に飛び回り始めたので、ウェスリーはスヴェンの許を離れて今度はフロルの近くへと箒を飛ばした。
フロルが放った攻撃魔法も、高速度で飛翔するグリフォンの足先に当たるかというところで避けられている。舌打ちするフロルの後方に滞空し、移動しながら唱えていた呪文を完成させる。術が掛かり、フロルの身体も防御膜で覆われるのを確認すると、ウェスリーは次にヤンの許を目指すことにした。
再び詠唱に入るヤンの姿をやや離れた所に認め、向かって箒を前進させていると、視界の端、横手の空中からくぐもった声が聞こえた。と、思う間も無くウェスリーのすぐ近くに翼の発する飛翔音が接近する。総毛立つような感覚と共に咄嗟に無詠唱の障壁魔法を音のした方へ展開する。
「Air Guarder!」
直後鍋底を刃物で殴ったかに聞こえる音が響き、ウェスリーの斜め後方に張った障壁がびりびりと振動し歪む。振り向くと、グリフォンの巨大な嘴が障壁に突き立てられていた。白い羽毛に覆われた頭部に黄色く太い嘴が付いていて、猛禽類に酷似した鋭い両眼は真っ赤に光っている。
間近に見たグリフォンの顔貌に恐怖を感じ身震いすると同時に違和感を覚える。
魔物の嘴が離れ、次の瞬間両前脚の鉤爪が振るわれて障壁に突き刺さる。障壁は硝子の壊れるような音を発して砕け散った。グリフォンが甲高い声で吠える。
思考に邪魔され身体が竦むウェスリー。
「後ろへ飛べ!」
硬直した体が鼓膜を通じて震え、反射的にウェスリーは箒を後方へ飛ばした。ウェスリーのいた位置にグリフォンの鉤爪が空を切る。魔物から視線を逸らせない視界の左手より猛然と飛び込んでくる者がいる。
「スヴェン曹長!」
「何をぼうっとしている! 訓練通り動くんだ!」
怒鳴りながらも振るわれたスヴェンのサーベルの切っ先がグリフォンの翼を切り裂いた。獣は女の金切り声のような鳴き方をしたが、羽根を数枚落としただけで深い傷は負わせられていない。怯んだところにイヴァンが横から斬りかかる。グリフォンの巨躯が上方へ飛び上がり、彼の刃は魔物を捉えられずに空振る。
「くそ!」
「ズデニェク! 降下したフロルを補助しろ!」
イヴァンが短く叫び、スヴェンが離れた位置を飛ぶズデニェクに指示を出す。先程のグリフォンの突進でフロルは箒ごと弾き飛ばされている。力無く降下していくフロルを、スヴェンの指示を受けてズデニェクが追った。
フロルは無事で済むだろうか。ウェスリーの脳裏に実戦訓練でのことが想起される。また足手まといになるのは、嫌だ。知らず眉根に力が入る。
グリフォンは羽音を響かせて勢い良く上昇していく。見る間に遥か高く昇ったその動きに、次の行動を察してスヴェンが声を上げる。
「攻撃来るぞ、備えろ!」
その声とほぼ同時に、グリフォンは一声高く鳴いて翼を数回羽ばたかせたと思うと、頭を下方、ウェスリーらの飛ぶ辺りに向けて降下し始めた。両の翼を半分に折り畳んで高速度で迫ってくるそれを見上げて、ウェスリーはスヴェンとイヴァンに鋭く呼ばわる。
「障壁張ります!」
即座に詠唱に入る。
「我祈りの門より小径を歩みて慈悲へ至らん。玉座に坐す慈悲深き王、維持、安定、堅固なる守護を以って。あらゆる邪悪をはらいたまえ。かくして汝は死することなし。―Obstruction!」
先程よりも冷静になり淀み無く唱えた上位障壁呪文を完成させる。呼呪と同時に、揃えた人差し指と中指で宙に描いた正方形の始点と終点が重なると、彼等の頭上に数メートル四方に及ぶ魔法障壁が現れる。
障壁が展開されるや否やという瞬間に、急降下してきたグリフォンの双爪が激突した。身の毛がよだつように耳障りな衝突音がする。そのままグリフォンは障壁に身体を叩き付けられた形になった。
間髪入れず、スヴェンは障壁を回り込んで飛ぶとサーベルで魔物に斬り付ける。鈍い音を立て、刃はグリフォンの首に傷を負わせた。赤黒い血が飛ぶ。
衝撃から体勢を立て直す間も無くスヴェンの攻撃を受けたグリフォンは、ぎいと鳴いて距離を取るように体を捩った。そこへイヴァンが一太刀をくれる。これも魔物の肩口に傷を作る。グリフォンの爪が振るわれ、イヴァンの腕を薙ぎ払う。防御魔法が掛けられているため爪による外傷は負わずに済んだイヴァンだが、勢い後退せざるを得ない。
攻撃により生まれた隙を見逃さず再びスヴェンが剣を突いた。炎の強化膜に覆われたサーベルはグリフォンの顎を深く刺し貫く。獣の絶叫。
「スヴェン班長!」
近くまで飛んできていたヤンの呼ぶ声に反応し、サーベルを引き抜いたスヴェンは素早く魔物から離れる。
「我が敵をその赤き舌で舐めよ、猛き霊! Furious Fire!」
ヤンの詠唱に呼応して、轟と空を渡り火炎がグリフォンを飲み込んだ。鷲と獅子の身体を持つ魔獣は恐ろしい咆哮を上げながら狂ったように暴れ回る。
「これではまだ死なない!」
スヴェンが怒鳴ってサーベルを構え直し突撃する様子を見せたが、間隙無く尾や四肢を振り回す燃えるグリフォンに阻まれる。そして苦悶の鳴き声を上げる獣は翼を激しく動かして再度上昇しようとしている。
「また降下攻撃をするつもりだ!」
イヴァンが忌々し気に声を荒げる。スヴェンとイヴァンは追う構えを見せるが、そこをウェスリーの声が制止した。
「離れてください! 峻厳の御柱、其の央に在わす破壊と恐怖よ! 槍を持て、御霊は障りを打ちたまえり! ―Radiant Trident!」
かざした腕の先、閃光と共に光線状の三叉の槍が風を切って走り、背を向けて飛翔していたグリフォンの頭や首を貫いた。ぐらりとその巨躯が揺れ、殆ど首が千切れた姿で血飛沫を撒き散らしながら落ちていく。少し後、重い肉塊が地面に落ちる気味の悪い音がする。
極度の緊張から肩で息をしてその姿を見守るウェスリーの横に、強化術を解除したサーベルを収めながらスヴェンが箒を飛ばしてくる。肩に手を置かれる。
「よくやった。と言いたいところだが戦闘中に考え事は良くない」
「はい」
「何を考えていたんだね?」
ウェスリーはスヴェンに振り向いた。浅緑の瞳が潤んでいる。
「グリフォンは通常自ら人を襲わない気高い魔物では……何故あれは……」
さてね、とスヴェンは鷹揚に返した。
「言われてみればグリフォンとの交戦は常に人間側が排除に出た結果起きている。だが例外だってあるのだろう」
「目が赤く染まって、興奮している様子でした。あれを逆上させたのは一体何なんでしょう」
「考え過ぎると体に毒だよ、ウェスリー伍長。素直に初の討伐を喜ぶがいい」
「喜ぶ……」
ウェスリーは地に落ちたグリフォンの骸に再び視線を落とした。
若緑の草の覆う地面に錆びたような色の血が流れだしている。肉の一部で漸く繋がっている魔物の首と頭部の断面はてらてらと赤黒く、時折痙攣しているようにも見える。
先程まで真っ赤だったグリフォンの眼は今はどうやら本来の金色に戻ったようだ。しかし光を失った瞳はいずれ濁って行くに違いない。
命を終わらせたんだ、という実感が湧いてくる。魔物とは言え、生きているものを殺した。しかも好んで人を襲い喰らうような魔物ではないと言われる存在だ。事実としては村民を襲い、班員にも逃げるではなく反撃している。あの巨体と俊敏さである、人間など少しの攻撃で簡単に死ぬだろう。殺されないために殺した。
血の匂いがここまで届くかに錯覚する。
「……気持ち悪いです」
胸がつかえるような気がしてウェスリーは呻いた。
「飛行酔いかね?」
スヴェンはそう返すとウェスリーの肩から手を離して、地上に降りている他の班員の所へ向かっていった。
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