5 煙突

 川沿いを暫く練り歩くと、子供達は今度は街道を通って兵隊店の建ち並ぶ街の方へ戻って来るらしい。ウェスリーとミハルは子供達より先に兵隊通りまで戻って来た。砂利道から石畳の道に変わり、街灯の柔らかい光が足元を照らしてくれるのでウェスリーはやっと人心地付く。

 兵隊通りは常と比べて多くの人で賑わっていた。民間人も軍人もいる。今夜は軒先で屋台を出している店が多く、あちらこちらから温かくて良い匂いがする。先程の騒動でやけに疲れてしまっていたウェスリーは、胃の腑の辺りがきゅうっと絞られるような感覚を覚えた。腹が減った。

「なんか食うか」

 見計らったかのようにミハルが言う。

「しかし俺は兵食もありますので……」 

「なあ」

「はい?」

 先を歩いていたミハルがぴたりと足を止める。

 怪訝に思ったウェスリーが彼の肩越しに前方を窺おうとしたところで、ミハルは首だけ振り向いて何かを指差し言葉を続ける。

「あれすげえうまそう」

 声にも表情にも締まりが無い。眉根を寄せてウェスリーはミハルの指差す方を見る。

 街灯の下、濃い赤色の外壁に大きな窓と硝子扉の店の前に他と同じように屋台が出ている。他と少し違うのは、その場で何やら実演調理をしていることだ。持ち運びできそうな簡易の焼き台の上に何本かの金属製の細長い棒が差し渡してあって、棒にはパン生地のようなものが巻き付けられている。店の男が頃合いを見て棒の取っ手を掴み順次回す。巻き付けられた生地は焼き台の上をころころと転がされて次第にこんがりときつね色を帯びていく。

 生地を焼いている横の台では、女が手慣れた様子で焼き上がった生地を棒から外して、調理板の上に放り出す。そこでまんべんなく粉糖をまぶされ、円筒状の形をした焼き菓子は角皿の上にどんどんと綺麗に積み上げられていくのだった。焼き立ての菓子の山からはほわほわと湯気が上がっている。

「煙突ケーキ」

「初めて見た、これ食べようぜ」

 屋台の黒板に書かれたその焼き菓子の名前を読み上げたウェスリーの横で、ミハルがやたら華やいだ声を出す。何だ? この男のこんな声を初めて聞いた、とウェスリーは面食らう。ミハルはウェスリーの返事は待たずに屋台へ近付いていってしまう。

 二人の目の前で先客が一つ菓子を購入する。見ていると店の女性は客から幾つか注文を聞き取って、積み上げられた菓子の一つを手に取り要望通りの具材を筒状になった中の空洞に塗り付けている。客はどうやらカスタードクリームを選んだようだった。更に何かのナッツを砕いたものをクリームの上に散らし、完成したそれを客が受け取る。

 一連の流れをじっと見つめるミハルの顔を、横に追い付いたウェスリーはちらりと盗み見た。彼の表情に当惑して身動ぎする。

 うわあ。滅茶苦茶きらきらした目で見てる。

「おや隊長さん。美味しいよ、おひとつどう?」

 女がミハルに気付いて、手元の菓子に粉糖をまぶしながら声を掛ける。

「とりあえず二個くれ」

 即答するミハル。

「二個?」

 ウェスリーはつい聞き咎めてしまう。二個も食うのか。見たところ結構大きい焼き菓子だが。

「はいよ。中に入れるものはどうする?」

 女は微笑んで言いつつ顎をしゃくって、台の上に置かれた黒板の方を示す動きを見せた。品書きがそこに書いてあるということのようだ。

 腕を組み真剣な眼差しで品書きを眺め始めると、ミハルは視線はそこから外さずにウェスリーに言う。

「お前どうするの」

「えっ」

「中に入れるクリーム選べるんだってよ」

「クリームなしでシナモン掛けただけのやつも美味しいよ」

 女がさり気なく口を挟む。

「俺も頼むんですか」

「いっこお前の分だよ」

「ええ……?」

 この男、人の話は何も聞いていないんだな。

 自然と眉間に皺が寄るが、再び己の腹がその空虚を主張してきたことでウェスリーも誘惑に乗らざるを得なくなった。未だに黒板の文字を睨み付けているミハルの横に立って、自らも品書きを注視する。

「……チョコレートクリームにくるみでお願いします」

「あれっお前決めるの早くねえ? チョコクリーム俺も狙ってたのに!」

 すんなり決めて女に注文を伝えたウェスリーに振り返り、ミハルが非難がましく言う。ウェスリーは先程から寄せていた眉根を思わず開いて、呆れた声で返す。

「狙ってたって……貴方もそれにすればいいじゃないですか」

「同じの頼むと損した気分にならねえ? ならねえか」

 自分で言って自分で否定すると、ミハルは両眉を下げて困ったような表情で声を上げて笑う。ウェスリーは溜息を吐く。この男の情緒がどうなっているのかよく分からない。

「んじゃ俺はチョコクリームとカスタードにアーモンドにして」

「はいよ、全部多めにしとくね」

 ミハルの注文に笑顔で応じ女は片目を瞑ってみせた。そして二人が話している間にクリームを塗り終えていた菓子を台越しにウェスリーへ手渡してくる。荒い手触りの紙で下の方だけくるまれた焼き菓子を受け取る。思った通りの重量感で、ほのかに温かい。

 ウェスリーは空いている方の手で衣嚢を探った。財布を取り出そうとしたのだが、そうこうしている内にミハルが目の前で衣嚢から剥き出しの紙幣を取り出した。

「二人分」

「どうもね、はいこれ隊長さんの煙突ケーキ」

「どうも」

 紙幣と菓子を交換する形で目当ての甘味を受け取ったミハルは、屋台から離れると早速溢れそうなクリーム部分を頬張っている。

「甘いうまい」

「あの、俺の分の代金払います」

 食べながら大股で歩く彼の後ろを小走りに付いて行って、ウェスリーは焦って声を掛けた。

「いらねえよ」

「しかし」

「うだうだ言ってねえで食え。冷める」

「うだうだ……」

 言い方っていうものがあるだろうと内心憤慨し、しかしミハルの言う通り折角焼き立てなのだから冷めない内に食べようと考えて足を止めた。通行人の邪魔にならないように道の端に寄ってみるが、食べながらも歩いて行くミハルと距離が開いていくのはどうしたものか。そもそもこういうものを歩きながら食べた経験が無い。

 いや、ずっと昔に一度だけあった気もする。

 まだウェスリーが代金の払い方も知らなかった幼い頃に、母と二人で何かの祭りを見に行って。あの時の母の声はとても。

「ウェスリー」

 不意に名前を呼ばれて、知らず俯けていた顔を上げる。

 先に行っていたはずのミハルが引き返してきてそこに立っていた。一瞬茫然とするが、その手に何も持っていないのを見てウェスリーはまた呆れた。

「もう食べ終わったんですか」

「うまかった。お前も早く食えよ」

 促されてようやく菓子に口を付ける。

 生地を齧り取ると、外側のきつね色の部分はかりかりしていて中はふわっと柔らかい。チョコレートクリームは沁みるように甘いが、香ばしい生地とよく合う。咀嚼しているとたまにクルミの歯触りと渋みを感じる。空腹には罪な味わいだ、とウェスリーは思って噛み締めた。

「うまいだろ?」

 何故か自慢げにミハルが言う。

「……あんたが作ったんじゃないけどな」

 ぼそっと呟いてしまう。

 聴こえているのかいないのか、ミハルは頭の後ろに両手を回して身体を反らせると変な声を上げた。

「あぁあ~腹減った。次何食おっかなー」

 まだ何か食うのか。ウェスリーは手元の大きな焼き菓子を見返して、信じられない気持ちになる。

 兵隊通りの東の方角から微かに歌声が聞こえてきた。

 先程の子供達が列を成して戻って来たようだ。次第に大きくなる歌声を聞いて、街の大人達が俄かに一層活気付く。ある者は菓子を取りに店の中へ。ある者は疲れた子供達のために飲み物を準備して。

  困った困った

  あっちもこっちも 化け物だらけ

  おいらの牛は逃げてった

  おいらの納屋はどこ行った

  困った困った

  種袋だけもっていけ

 のどかな調子で子供達の高い声が歌う。帝都で聞いたことのある歌とは歌詞が微妙に異なっていて、ウェスリーは不思議な気持ちになる。

 道の向こうに魔物の行列が姿を現すのを眺めて、ウェスリーはまた一口甘い焼き菓子を齧った。


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残夜のアマデウス 森 久都 @daruma53

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