3-4 乗り越えるために

 板書して、板書する腕が止まってを繰り返しつつ授業を受け流す。そして佳那芽さんの後姿を見てはため息を吐いていた。

 甘えを許さない佳那芽さんの「訊かない」の言葉。もう甘えたがりの俺じゃない何て咲哉に言っておきながら、未だに抜け出せていなかったという事実を突き付けられた。


「現実はつらいなあ」


 頬杖をついて小さく呟いた。言った方が楽なのは百も承知だ。でもあの記憶だけは誰かに話そうと思うことができない。そもそもイジメの記憶なんて誰かにべらべらと話すもんじゃないでしょうに。

 ……佳那芽さんは知りたいのだろうか。知りたいと思ってくれているのだろうか。

 ともかく、話すならまずしておきたいことがある。橘花音から、俺を狙う理由を、あったなら奪う。もうあいつに踊らされる訳にはいかない。げろってる暇もない。シャキッとしろ。話はそれからだ。

 その後ならきっと、言えるような気がする。そんな気がするだけで何も根拠なんてないけれど、何もしないよりかはマシだ。


 ***


 昼休みに入り、スマホを開くと通知が一件あった。橘花音からの着信が一つ、十分前にきたものだった。折り返すべきか……いや別に折り返す必要なくね?気付かなかったことにしとこーっと。

 そう思ってスマホをポケットに入れようとした時、着信が入った。表示されている名前は橘花音。思わずうわ、と声を漏らしてしまった。


「……はい、もしもし」


「あ、巽?無視するなんてひどいじゃん」


「いや授業中だったんだが」


「あ、そうなんだ。それはごめんね」


「……それで?何の用なの」


 語気は強くならなかった。俺の心情は、俺の声音は至って冷静だった。


「ね、巽。よりを戻さない?」


「電波が悪いみたいだから切るわ」


「え、ちょ、待って待って待って」


「何」


「いや、聞こえてたっしょ?」


「まあ聞こえてはいたよ。何を言ってるかはわかんなかったけど」


 本当に何を言ってるのかはわからなかった。何で俺がかつて俺をいじめた女とよりを戻さないとならんのだ。直接手を下してないからってバレてないと思うなよ。


「そりゃさ、あの時はいろいろあったけど、もうあいつらとは縁切ったし!だからちゃんとやり直せるよ?」


「仮にそうだったとしてももう君とはよりを戻そうと思わない」


「……あの時一緒にいたこのどっちかが好きなの?」


「それを言う義理はないと思うけど。つーかそもそも関係ない」


「私とは遊びだった?」


「遊びだったのはそっちだろう」


「なんでそんな言い方するの?私は今でもこんなに好きなのに」


 こんなにってどんくらいだよ、わっかんねえよ。俺はムカデ見ると即逃げるくらい嫌いなんだけど、それと同じくらい嫌いです。つーかこいつ演技力高くなった?気持ち悪いくらい自然で逆に疑わしい。一片たりとも信用できねえ。

 ああくそ、こういう反応になるのは向こうがわからないわけない。なのになんで俺を狙う?何が目的なんだよ。もしくはおもちゃは俺じゃなかったりするか?となるとターゲットは佳那芽さんか華さんになるけど、狙って何になるんだって話だ。

 頭の中がごちゃごちゃしてきた。ここは無様晒してでも撤退すべきだ。


「わあ凄い凄い。じゃあ切ります」


「待って待って待って!」


「何」


「会って話そ?私たち、何かがすれ違ってるだけだよ」


 すれ違っている、か。キスや手をつなぐことを嫌がり、剰え一緒にいることすら嫌々だったって言うのに?少なくとも心はすれ違ってないな。すれ違いが起きるほど近づけた覚えがない。


「会っても、何も変わんねえよ。あんたの取り巻きの男子に俺はボコられて、あんたはそれを笑ってみてた。この事実がある以上は」


 問答無用で切った。橘花音は「違う」と言おうとしていたのか、「ちが」まで聞こえてから切れた。俺は教室に戻って、スマホをリュックの中に入れてまた教室を出た。

 それから友達と会わず話さずで放課後までの時間を過ごした。意図して避けていた。心はだいぶ落ち着いた。それなりにいつも通りに過ごせるだろう。こうやって放課後まで友達と話さないことはなかったわけじゃないから、何かしら疑いを持たれるようなことはない、と思うけど。


「こんちゃす」


「おお、こんにちはだ。天篠」


 にかっといつも通りな笑顔を見て、少しほっとした。体にのしかかる重りが、いくつか降りた気がする。


「珍しいな、天篠が俺の次に部室にくるなんて」


「ほんとだ、いつの間にか玲司追い越してたんでしょうかね」


「まあゆっくりと待とうじゃないか」


「ですね」


 俺は席につき、欠伸を噛み締めながら単行本をリュックから取り出す。が、一ページも読むことなく部室のドアが開いた。


「お、巽が僕より早いなんて」


「あら、珍しいこともあるのね」


「よ、玲司、魅羅」


 首だけで振り向いて、適当に手を振る。すると玲司が後ろから腕を俺の首に絡ませてきた。そんな玲司のでこに「こら」と言いながら手の甲で軽く小突いた。


「いきなりイチャコラしている、だと?」


「一方的に絡まれてるだけなんだよなあ」


 苦笑いを浮かべつつ、単行本にしおりを挟んでリュックにしまおうとする。玲司が邪魔なので先ずはどかすかー。


「玲司、本しまうから」


「あ、おっけ」


 玲司は絡ませていた腕を解き、俺の隣に座った。それから適当に駄弁っていると、部のメンバーが全員揃う。部長は特に何かを言う様子はないので、今日はのんびりと過ごすだけになるだろう。


「そういえば巽君」


「ん、なに?佳那芽さん」


「今度デートしてよ。宮原君と」


「倒置法やめてくんない?上げて下げんのやめてくんない?」


 そのパターンの倒置法地味にトラウマになりかけだぜ?忘れはしない、「付き合って、宮原君と」という言葉。浮かれた俺も悪いけどさあ。まあ浮かれる方がおかしいな、俺が佳那芽さんと釣り合うはずもない。


「大丈夫、私も後ろからついて行くから」


「得してんの二人だけじゃね」


 ていうか佳那芽さん惚れさせるとか無理だろ。何でできると思ってたんだよ。それに惚れた基準ってなんだ?佳那芽さんが決めるなら嘘なんてつき放題だろ。


「そんなことないよ、巽君はBLの良さを知れる!」


「んなこと言われてもなぁ」


 トラウマがあるにも関わらず何でまた彼女が欲しいとか思っちゃってるわけ?しかもあんなふざけた絡みがファーストコンタクト。

 だというのに何で俺はマジになって惚れさせようとしてんの?すでに笑いものにされてたらどうすんだ。

 ……あれ?なんで俺、こんなに疑ってんだっけ?その訳を、冷静になって考えて、サァッと血の気が引いて行く。


「わり、ちょいとトイレ」


 自然と笑顔を作って、部室を出る。早歩きでトイレに入って、個室に誰もいないことを確認した俺は、おもいっきし掃除用具入れの扉を殴った。

 いつの間にか思考がマイナス方向に向かってた。いつの間にか女子を疑ってかかる思考になっていた。トラウマが蘇っても大丈夫だと思っていたが、自分が思ってる以上に大丈夫じゃないみたいだ。昔の俺に逆戻りしている。


「どうしたの、たっつん」


「……魅羅。玲司も」


「……昔の巽みたいだね」


 玲司の言葉を聞いて、反射的に玲司を睨んでしまう。けどすぐに目を閉じて下を向いた。八つ当たりはよくない。玲司に当たったって何の解消にもならない。

 俺はゆっくりと息を吐いて、正直に話すことにした。


「なんだろうな、こうなった原因が直前にあったわけじゃないんだけど、突然、佳那芽さんのこと疑ってかかってて。信じなきゃいけないのに好きなら信じないといけないのに……」


「……別にいいじゃない。疑ったって。好きだからって、無条件で信用になきゃいけないわけじゃない。もしそれを強要される環境ならさよならすべきだわ」


 魅羅が何を言っているのか、一瞬理解ができなかった。でも何とか理解して、言葉を返す。


「でもそれじゃあ、疑ったら疑いっぱなしかよ。その方が胸糞悪くないか?」


「そうかもね。なら話さないとね。疑ってもいい、でも疑ったのならその責任を取って、お互いが納得するまで話すべきよ。けんかになったとしても。私とルーシーはそうして付き合ってきたわ」


 たっつんはどうするの?と、どうしたいの?と、目線でそう訴えかけているように見えた。

 魅羅の意見に合わせる必要はない。俺がしっかりと気を持てばいい話だ。トラウマと向き合って、克服したらいい話だ。やり方を、変える必要なんてない。

 そうだ、きっかけを作ろう。佳那芽さんと付き合いたいと思って、傍にいられるきっかけを勝負するといった形で作った。今回も、同じように。


「俺は、全部信じる。佳那芽さんのことは、疑いたくなんかない。ずっと信じていたい。そのために、トラウマなんてものぶっ壊してやる。やればできるところ見せてやるよ」


 空元気で精一杯笑って見せる。魅羅は驚いた顔をして、玲司そっぽ向いてトイレから出ていった。その際微かに微笑んでいたように見えたのは、きっと気のせいじゃないのだろう。

 あいつに聞きたいこと、たくさんあるけれど。先ずは目の前の問題が先決だ。頬を叩いて気合を入れる。


「よし、部室戻ろうぜ、魅羅」


「……ええ、そうね」


 呆れたような笑いをする魅羅。これからもこいつに助けられるのだろう。他のみんなにも。いつかちゃんと、礼を言わないとな。





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