1-10 やるね神様この調子で仕事して!
とうとうこの日が来てしまった。日曜日だ。どきどきを隠せないまま、俺は待ち合わせの十分前から校門の近くの塀にもたれかかっている。
……本当に朱野さんの家に行くのか。まだ夢の中にいるような気分だ。でもきょどり過ぎるときもいからな。外面だけでもきりっとしていないと。
俺は何度目かわからぬ服装のチェックを行う。玲司にお勧めされた格好にしようと思ったが、妙に落ち着かないので深緑のカーゴパンツに赤の英字がプリントされたグレーのパーカーに黒の斜め掛けの財布とスマホだけを入れるような小さめのバックという、いつも通りの楽なスタイル。
つくづく俺はパーカーが好きだなと思う。組み合わせたりするのは何かおかしいのではという感覚が拭えない。上下の組み合わせを選ぶ時にそうなっているのだからそれ以上悩みの種は生みたくないのだ。
「あ、天篠君」
朱野さんの声が俺の鼓膜を震わせる。見れば、朱野さんがこちらに手を振りながら近づいてくる。
白のV字ネックのニットにデニムジャケットを合わせて、下は黒のスキニーパンツ、白のスニーカー。可愛さがありながら何処かかっこよさがある。
ヤバい、またドキドキしてきた。落ち着け俺、ここでやらかしたらBLルートまっしぐらになるぞ。
「やあ、朱野さん。おはよう」
「うん、おはよ。それじゃあ早速行こっか」
「ああ、そうだね」
朱野さんはすぐに歩き出してしまう。俺は追いつくまで小走りして、道路側の横に並んだところで歩調を合わせる。並んで歩いている所を見られた誤解を招くのではと考え、適度な間隔を保っているが。
「それで、どうだった?」
「……何が?」
と聞いておきながら一応はわかっている。玲司とのお出かけはどうだったかと聞いているんだろう。でも即答すると待ち構えてたみたいになる気がして一度ぼかした。
「何がって、わかってるくせに」
朱野さんはそう言って、柔らかく笑いかけてくる。一々ドキッとするな天篠巽。油断したら腐の嵐が来るからな。
「……玲司とのお出かけのことか」
「そうそう、宮原君とのデートのこと」
「デートじゃないから」
「あははっ、はいはいそうだね。で? デートはどうでしたか」
「まあ、うん。楽しかったね。友達ってのも悪くないと思ったね」
わりと本当に思ったことを言ったんだけど、朱野さんは、は? 何言ってるの? みたいな顔をしてきた。
「な、何さ」
「ちょっとよく聞こえなくて。何が悪くないって? 彼氏?」
「空耳ってレベルじゃないんだよなあ」
まあ、わざとだろうけど。本当にこの人はすぐBLの方向につなげようとする。厄介極まりない存在だ。今日で意識させるまで行けるのかこれ。
「とりあえず無理にBL方向に曲げるのはやめようか」
「ふふっ、仕方ないなー」
そう言って一歩前を歩く彼女が、何処か浮足立っているように感じるのは気のせいだろうか。俺から有益なBL情報を聞き出せるとでも思っているのだろうか。期待され過ぎじゃない? 辛みが深い。
「じゃあ無理やりにならないようにするね」
「そもそもBLの話を振らないでほしいんだが。ていうか玲司に聞けば……」
……あれ? 何で朱野さんは玲司に聞かないんだろ。朱野さんと玲司が出会っちゃった日に話した可能性がなくはないが、それでもたかが十分程度しか遅れていない。満足行くまで話しを聞けたとは思えないが。
「……天篠君? どうしたの?」
「え? ああ、うん。ごめん、考えこんじゃって」
深く考え過ぎないでおこうと思った。きっとチャットアプリとかで連絡を取り合っているのだろう。そうだ、そうに違いない。だから俺からは男から好意を向けられることをノーマルの視点から話すことになるだろうな。
「まあ、それはいいんだけどね。あ、着いたよー、天篠君」
こちらに向き直って指で朱野さんは自分の家を指す。あり溢れたような外観の一軒家。二階建てで、ベランダがあって、小さな庭があって……
本当に来たんだなぁ。
「ご立派」
「そうでもないでしょ。ささ、上がって」
「うん。お邪魔しまーす」
玄関に入ると、爽やかなフローラルの香りが鼻腔をくすぐる。靴箱の家を見れば小洒落た瓶に紫の液体が入っており、木の棒が数本刺さっていた。
あれは女子人気の高い芳香剤だっけ? まあ、あまり興味はないけど。
「二階に私の部屋があるから先に行ってて。どこかは見ればわかるから」
「ああ、うん。了解」
良いのだろうかと思ったが、行っててと言ってくれたのだから、断るのも変な話な気がする。
玄関を上がって目の前の通路の右手にある階段を上り、左右二つのドアを見てみる。左手にはKanameと彫られた木の壁掛けの小さな看板のようなものがあり、右手には何も掛かっていない。空き部屋か。なるほど確かに見ればわかる。
「……」
や、やっぱり躊躇ってしまう。部屋の主がいないのに入るのはやはりまずい。
こめかみを押さえてうーんと唸っていると、背後からふふっと笑い声が聞こえてきた。朱野さんがコップと飲み物、お菓子を乗せたお盆を持ってきていた。
「やっぱり入ってなかった」
「……すまん?」
「別にいいのに。じゃあ開けてくれる?」
「ああ、おっけ」
俺はドアを開け、朱野さんが入るのを待つ。朱野さんはそんな俺を見てまた笑って入る。
「どうぞ」
「……お邪魔するよ」
中に入って、少し驚く。部屋は別段女の子らしい感じはなく、基本的に白と黒で統一されたシンプルな部屋だった。BLのポスターとかもないし、本棚は布が垂れ幕のように垂れ下がっていて捲らない限り見えないようになっている。
「意外だった?」
「そうだね、凄くシンプルで。勝手なイメージだけど、ザ・女の子の部屋って感じだと」
「何それ。まあわからなくもないけど」
朱野さんはふふっと笑いながらコップに飲み物を注ぎ、どうぞと差し出してくれる。
「それで、どんな所が好きなの?」
「好きって、え?」
まさか俺が朱野さんのこと好きなのバレて――
「宮原君のどこが好き?」
……知ってた。知ってたはずなのに何で期待しちゃったんだ俺!
「……」
「天篠君?」
「あー、うん。友達としてってことなら言えなくもないが」
「え? 恋人の視点は?」
「ないんだよなあ」
何なら何でその視点があると思ったのか聞きたいところである。が、聞けば朱野さんのブレーキが効かなくなりそうなので言わない。
「仕方ないなあ。じゃあ友達としてでもいいよ。私が勝手に脳内で絡ませるから」
「すごーくやめてほしいんだが? まあ贅沢は言ってられないか……」
俺はうーん、としばらく考えて頭の中で整理していく。
「何処が好きねぇ。……笑顔?」
「え、それってどんな笑顔?」
「どんな笑顔って言われてもな」
「個人的には宮原君ヘタレ攻めだから、攻めてるのに顔真っ赤ででも目を逸らさずしっかりと頑張って笑顔で見つめながらとか思うんですがどう?」
「うん、わかんない」
まず何を想定してそれを語ってるの? って聞くと嫌な予感しかしないから何も言わない。
「とりあえずごく普通の笑顔って言っとこうかな。あれがまあ、好きと言うか……羨ましいと感じる」
「……羨ましい?」
「うん。俺はあんな風に笑いたいんだけど、笑えないからな」
毎日俺に向けてくる玲司の笑顔をぼんやりと思い浮かべる。どれもこれも、俺にはキラキラって輝いているように見える。
それに対して俺はまだ一度しか、心の奥底から笑うことが、笑顔になることができていない。……って、なに感傷に浸ってんだか。
「……朱野さん? 反応がないとこっちも困るんだが」
「ご、ごめん。凄いいい展開だと思って」
「……? 何処が?」
「天篠君さ、羨ましいって言ったよね?」
「う、うん」
「何であんな笑顔になれるのか知りたい?」
「まあ、うん」
何の詰問だこれ。問われた以上、答えたくないもの以外は答えるつもりなのだが、少し疑心が芽生える。何の探りを入れてるんだ?
「きました」
「何が」
「BLの兆し!」
「知らぬ間に最悪の兆しがきてた!?」
「私の持ってるBL本にね、似たようなシチュがあるの」
シチュエーションって言おうね。略しちゃダメだよ。もしかしたら伝わらないから。
「……似たようなって、俺と玲司がか?」
「そそ。天篠君みたいにノーマルな子が、宮原君みたいな笑顔が魅力のイケメンにどうしてああやって笑えるんだろうって興味を持って、そのまま恋に落ちていくってやつが」
朱野さんは興奮気味に土台を持ってきて本棚の上の方にあるであろう似たシチュエーションのある漫画を取ろうと背伸びする。
危なっかしいような気がして、もしものためいつでも動けるよう構えてみた。その判断は、正しいものになる。
「わ――ッ!」
「ッ!? まじか」
朱野さんは土台の端に体重を乗せてしまったからか、体重が乗っていない方が床から浮く。一度は堪えたものの、体勢を崩したまま後方に倒れてくる。
体は無意識に動くことはなく、朱野さんの体がぐらついたのを見てからしか動き出せなかった。が、動き出してからはすんなりと動き、ギリギリスライディング紛いの滑りで落下地点に。見事キャッチとはならなかったものの、下敷きになることは成功した。腹痛いけど。
ぱっと見、朱野さんに怪我があるようには見えない。ありがとう俺の筋肉。ありがとう過去の俺。部長を見て俺も筋トレ少しくらいするか……って思ってくれて。あんま関係ないか。下敷きになっただけだし。
とと、今は自分を褒めるのは置いておこう。目に見える怪我はなくとも、何処か痛めた可能性は残っているのだ。
「朱野さん、何処か痛い所は――」
そう問いかけながら顔を覗くと、朱野さんは顔を真っ赤にしていた。
それを見て俺も顔を赤くしながらやっと気付く。これは俗に言う、王道ラブコメ展開では?やればできるね神様。なのでもう一仕事お願いしたい。
この後気まずくならないようにしてくれません?
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