1-19 ピンチの後の小さな変化?

 翌日。目を覚ますと、薄暗い自分の部屋の天井がある。のそりと体を起こして時計を見る。午前六時。体調は恐らく良好。昨日帰ってきて咲哉に風邪ひいたかもと言ってしまったのだが、病は病でも恋の方だったか。

 ……やっぱ風邪ひいてんじゃなかろうか。体温計を取って腋に挟み、しばらくぼーっと待つ。ピピピとなるとすぐさま確認した。三十六度五分。至って平熱だな、うん。

 俺はベッドから起き上がり、リビングに向かった。そしていつものように家事を行う。両親は昨日は会社に泊まり込みだったようで、家にいなかった。六時半頃、俺は一人分のサンドイッチを作ってテーブルに置いておく。するとタイミングよく咲哉が降りてきた。


「おはようお兄ちゃん。体調は?」


「おはよう。風邪は気のせいだった」


「そっか、よかった! あ、じゃあボク朝練行ってくるね」


「ああ、サンドイッチ食いながら行くといいよ」


「うん、行ってきます」


 程なくして、バタンと扉が締まり、鍵をかけた音が聞こえた。

 ……静かだな。俺はいつも思う感想を浮かべながら、家事を進める。ひと段落して、朝ご飯を食べて、テレビを見て、時間になったら学校に行く。向かう足取りは少しばかり軽く感じた。


 ***


「おはようみんな」


 学校に着くと、玲司に魅羅、正臣が話しているのが見えたので挨拶をすると、みんな一斉にこちらを向いた。その表情はどれも不安そうである。


「おはようたっつん。昨日は大丈夫だった?」


「昨日はあんまり。でも一晩寝たら治ったよ」


「よかったよ、巽が無事で。おはよう」


「心配かけたな」


 俺はニッと笑ってそう言う。自然と笑えていたからだろう。三人は安堵したように見えた。その後、正臣が小さくおはようごさいますと言った。

 そういえば、昨日は混乱で気にしなかったな、魅羅とルーシーさんの馴れ初め。ふと思い出してしまうと、少々……いやかなり気になる。


「なあなあ魅羅」


「ん? 何かしら」


「魅羅とルーシーさんの馴れ初め聞きたい」


 そう言うとスゲー嫌そうな顔をした。初めて見た気がするなあ。


「嫌よ」


「へい言っちゃいなよ」


「いーや」


「ならば私から言っちゃうよー!」


「あ、ルーシーさん」


「え!? ルーシー?」


 唐突にボーンと乱入してきたルーシーさんは、魅羅に抱きついた。俺には抵抗されないようにしているように見えるが。


「初めて会ったのはねー、中学二年生の頃にバスケ部でね、後輩にミラがいたのよ」


「ちょ、ルーシー!?」


 あ、ルーシーさんって先輩なのか。


「てか魅羅バスケ部だったの?」


「まあね。辞めちゃったけどね」


「ケガ?」


「いいえ、そんな大層なものじゃないわ」


「そうだねー、つまらなくなったとか抜かしてたなコノヤロー」


 ルーシーさんは一層強く魅羅に抱きつく。何か羨ましくなってきた。俺から聞いておいてなんだけどもう教室向かっていいかな。

 その願いが届いたのか否かは定かでないが、授業十分前の予鈴がなる。いつも通り家を出たはずだが、結構ゆっくり登校してたようだ。


「あ、チャイム鳴ったね」


 ルーシーさんがぽつりと呟くと、魅羅は安堵のため息を吐く。


「じゃあ続きは放課後にでもね。今日もそっちにお邪魔できるし! それじゃ!」


 一瞬で絶望の顔になった。忙しそうだな。


「なんか、ごめんな魅羅。つい気になって」


 顔の前で手を合わせて少し頭を下げると、玲司がふっ、と笑った。


「いいんだよ、巽。魅羅は恥ずかしがってるだけさ」


「まあ、ね。確かに恥ずかしいだけで隠すようなことじゃないわ」


「そっか。てかさー魅羅」


 教室に向かいながらとりあえず聞いておきたいことをひっそりと聞いておいた。


「性行為はどのくらい?」


「今は月一くらいかしら」


「ほう、今は」


「ええ。今は、よ」


 それ以上は答えないわ、と言わんばかりにウインクして、上履きに履き替える。まあこういうのって実際、詳しく聞かない方が面白かったりするしな。

 俺も上履きに履き替え、それぞれの教室に向かった。

 教室に入ると、その姿を見た朱野さんが駆け寄ってくる。


「おはよう天篠君、昨日は大丈夫だった?」


「おはよう。昨日はやばかったけど、寝たら元気になったよ。ありがとう、気にしてくれて」


「うんん、今大丈夫なら、それで」


 ……両者沈黙。どうしようかと悩んでいると、後ろからドアが開く音がした。思わず振り向くと、華さんが駆け込んできていた。華さんは顔を上げて俺を視界に入るや否やひらひらと手を振る。


「せ、セーフ。あ、天……」


 突然、不自然に言葉を切る華さん。彼女の視線は俺ではなく、朱野さんに向いているように感じる。


「……? どうかしたの?」


「……んーん、何でもない。おはよう、巽君!」


「ああ、おはよ……う?」


 あれ? 何で今、名前で呼ばれたんだ? 俺は真意を聞こうと口を開こうとするが、聞けなかった。何でだろうか、朱野さんに対する華さんの視線に、敵意を感じるような気がするのだが。


「それじゃね」


「え? あ、うん……」


 ああもう、混乱してきた。やっぱり女の子はわからないや。


「とりあえず、もう席に戻ろうか、朱野さん」


「……」


 返事がない。顔を見ようにも、下を向いていてわからなかった。


「朱野さん?」


「え? あ、そうだね。じゃ」


「うん」


 何か様子がおかしいような。でもこういうのって本人に聞いちゃいけないことの方が多い。向こうから相談されない限り聞かない方がいいと思うが、放置するのもな……

 俺は一応魅羅にメールをして、気にかけてくれるように、とルーシーさんにも伝えるよう頼んだ。こういう時、頼りになるのはきっと同性だ。魅羅はどちらにも対応可能そうだし。これで少しはホッとしていいだろうか。

 そんなことを思いつつ席に座って気付いた。一部男子から睨まれていることに。いやまあ、ですよね。俺は気にしないようにした。


 ***


 授業を半分聞き流し、昼休みはいつもと何ら変わらない時間を過ごした。その後の授業も午前と同じ。何故なら若干楽しみにしているからだ。魅羅とルーシーさんの馴れ初めを聞けることが。

 放課後になると、俺はすぐさま部活に向かう。早く言っても大して意味はないことはわかっているが、朝から男子の目線が変わらず痛いんだよなあ。

 まあ朱野さんも華さんも男友達少ないので、その両方と関わりがあるのが妬ましいのだろうか。

 別に関わりがあるだけでそれ以上でも以下でもないように思うが。

 ……なんか鈍感主人公みたいなこと思ってるな、俺。なんて事を考えてる間に部室に到着。ドアを開けると、既に玲司と正臣、部長がきていた。


「お、天篠。今日は大丈夫か?」


「はい。ご迷惑おかけしました」


「いいんだよ。これからは無理せず言うんだぞ?」


「こうなることはそうそう多くないと思いますけど、わかりました」


 気持ちふんわりと笑顔を浮かべてそう言った。部長の優しさが染み渡るぜ。なーんて思いながら適当に椅子に座った。

 ふと目線を感じてその方を見ると、正臣がじっと俺を見ていた。


「ど、どうした? 正臣」


「いえ、何だか自然に笑えてましたね」


「そうか? ……そっか」


 自分はうまく笑えないと思っていたが、案外改善されつつあるのかもしれない。そう考えると、かなり嬉しく思う。ここにくるきっかけを作った玲司には感謝しなければならないかな。


「あら早いわね、たっつん」


「やぁ、タツミ!」


「ん、魅羅にルーシーさん。こんにちは」


「ええ、こんにちは。語りにきたわよー、馴れ初め!」


「やったーー!」


 待ってましたと言わんばかりに喜ぶと、魅羅が引いていた。うんまあ、ですよね。


「期待してるとこ悪いんだけど、大層なもんじゃないわよ?」


「大丈夫。他人の恋愛を聞くことほど面白いものはない!」


「わぁ、いい笑顔……」


 魅羅は呆れたように笑って、ため息をつく。その直後部室のドアがまた開いた。入ってきたのは朱野さんと光だった。


「こんにちはー」


「こんにちはです」


「お、新しく入った仁科もきたようだな!」


「はい。よろしくお願いします」


 ああ、マジで入ったんだ。結局俺がいるからここに入ることがほぼ確定していると言った真意がまだ聞けてない。聞いていいものか。なんだか、聞くと面倒ごとに足を踏み入れることになる気がする。い、一旦保留しておくか。


「とりあえず今日は魅羅とルーシーさんの馴れ初めを聞く会でおけ?」


 みんなに向けて言うと、魅羅以外は首を縦に振った。満場一致だね! うん!


「まあ、こうなるわよね。ていうか玲司たちは知ってるじゃない」


「まあ、何度でも聞けるよ、僕は」


 玲司はニッと笑ってそう言うと、正臣と部長がうんうんと頷いた。その様子を見た魅羅は小さくため息をつく。たくさん冷やかされたのかな、やっぱり嫌そう。


「じゃあ話しちゃうね。ええっと、どこまで言った?」


「まだそんなに話してないですよ。魅羅とルーシーさんがバスケ部だった話だったっけ」


「大体合ってるわたっつん。まあルーシーは今もバスケしてるけど」


「……あ、体育館の方からきてたのはルーシーさんに会いに行ってたとか?」


「その通りよ。暇な時は行くようにしているのよ」


「へえ、ラブラブだな。羨ましいねえ」


「たっつんも頑張りなさいよ」


 魅羅は朱野さんをちらと見る。ああ、わかってるさ。負けるわけにはいかないし、逃げてばかりではいられない。ああわかってる。頭ではわかっているんだ。でも、イマイチ踏み込めないでいるのは、逃げちゃってるんだろうなぁ。


「でも今は魅羅とルーシーさんの話を聞く」


「そうなるわよねぇ」


 魅羅は諦めたように肩を落とし、ルーシーさんを見る。その視線をもらったルーシーさんは、笑みをこぼしてから口を開いた。


「初めて会ったのは私が二年の頃ってのは言ったよね。ミラってね、その頃からまんまこれだったのよ!」


 ミラを指さしてすごいにこやかに笑うルーシーさん。その一言に俺と朱野さん、光は啞然とするのだった。





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