第21話「病院と見舞客」4




 体の繋がっている点滴の管を外し、血に濡れた服に袖を通しながらニックは、亡きコハクを思い出していた。

 出会ったばかりのころは、年上というだけでなにかと兄貴面をする彼に突っかかってばかりだった。

 やたらと偉そうな態度や物言いと、なにかと構ってくる彼に苛立ちを覚えたことは数え切れない。


 どこか気品があって女性のように美しい容姿のもち主だった。その一方で、子供のような一面を持ち、負けず嫌いで些細な遊びであっても勝利することに貪欲だったことを覚えている。


 そして、なによりも刀を大切にしていた。それこそ自分の命よりも。

 それほどまで大事にしていた刀を、なぜ自分に残したのか不思議に思う。

 確かにコハクから刀衝術をはじめとする戦いというものの手ほどきを受けている。彼が編み出した刀衝術を教わったのは、ニックが最初で最後だった。


 才能がないと言われていたし、なによりもニック自身が刀の才能を持っているとは思っていなかった。だからこそ、どうして自分に刀衝術を教え、刀を残したのか理由がわからない。


 可能であれば理由を知りたかった。


 もしかしたら、きっとそれは守りたいものを守るために、戦わなければならないときに、ひとつでも戦う術を多く持っているべきだと遺してくれたのかもしれない。

 あまりにも自分に都合のいい推測だが、ニックにはそう思えてならないのだ。

 だからこそ、ここで無理をしないでどうする。


 奥歯を噛みしめて着替えを終えた青年は、足取り重く病室から出ていく。病院の出口が、どこまでも続いていく果てしない道のように感じた。

重い体を引きずり、なんとか病院から出ると、外は暗くなりつつあった。


「……ニッくん?」


 人気のない病院の前の大通りで、この一年間ですっかり聞きなれた声が聞こえた。声のしたほうに顔を向けると、若干呆れた表情を浮かべる。


「どうして君がここにいるんだ?」


 心配そうにかけて寄ってくるシャーリーに、大きくため息をつく。


「どうして外出をしているんだ。いくらこの街で犯罪が珍しくないからといっても、それとこれは別問題だ」


【異界の住人】のことを言うわけにはいかないが、彼女を窘めなければいけない。犯罪が日常茶飯事だからこそ、警戒してほしいと思うのは講師としてだけではなく、彼女の友人としてもだ。


「そんなことはどうでもいいの! 手術をしたって聞いてたのに、どうして出歩いてるのっ?」

「そんなことよりもって、まったく。僕のことは大丈夫だから、早く家に帰るんだ」

「大丈夫じゃないよ! 私はひとりじゃないから平気だけど、ニッくんは病室に戻らなきゃ。連れていってあげるから、早く!」


 ニックの手を取り、引っ張ろうとしたが、彼はピクリとも動かない。


「ニッくん?」

「心配してくれるのはありがたいと思う。でも、僕はいかなきゃいけないところがあるから、手を放してくれ」

「嫌だよ。ニッくん、私は本当に心配してるんだよ?」

「わかってるよ、シャーリー」

「わかってないよ! ニッくんが大怪我を負ったって聞いて、私がどれだけ心配したのかわからないでしょ! 私のせいで大怪我したんだから、心配と謝りたい気持ちがごちゃごちゃになって、でもローディー先生は病院にきちゃ駄目って言うし、どうしていいのかわからないの! ごめんなさい!」


 シャーリーはニックの怪我が自分のせいだと悔やみ謝罪する。だが、彼は不思議そうに首を傾げた。


「どうして君が謝る必要があるんだ?」

「だって、イリーナのことでニッくんはこんなに怪我をしたんでしょう。私のせいじゃないなら、誰のせいなのっ?」

「少なくとも、君のせいじゃない。だから、気にすることなんてないんだよ」

「そんなこと言ったって、はいそうですか、ってなるわけないじゃん! 私は、イリーナのことをニッくんに話したのだって、不安だったから相談に乗ってほしかっただけなの。まさかニッくんが警察の人と知り合いだなんて思ってもいなかったから……」


 声がだんだんと小さくなり、最後には彼女は涙を流しはじめた。


「ごめんなさい。私、ニッくんがイリーナのことを協力してくれるって言ってくれたとき、凄くほっとした。でもね、そのせいでこんなに大怪我しちゃうなんて、思ってもいなかったの」


 涙を流し続け、謝る教え子の頭に青年は優しく手を置いた。

 彼女がここまで責任を感じていたなんて思ってもいなかった。きっかっけは友人思いの生徒の相談から始まったのかもしれな。だが、【異界の住人】を相手に戦ったのも、ここまで重傷を負ったのも、すべてニックが自分自身で判断した結果だ。


 彼女が謝る必要なんてないし、シャーリーのせいにするつもりなど微塵もない。逆に涙を流してまで謝る彼女に、心配をかけてごめん、と謝ることしかできない。


「君が悪いわけじゃないよ。僕自身が選択した結果こうなったんだ。怪我をしたことはすべて僕のミスだ。君が気を止む必要はないんだよ。ごめん、心配をかけてしまって。そしてありがとう、心配をしてくれて」


 安心させるように、言い聞かせるように、ニックは精一杯微笑む。

 きっと、今できることは、笑って安心させることだと思ったから。


「……ニッくん」

「大丈夫。今もこうしてしっかりと立っているじゃないか、だからもう心配しないで」


 青年は、シャーリーの頭から手を放すと、捕まれているもう片方の腕を解いた。そして、彼女に背を向ける。


「ねえ、ニッくんはこれからどこに行くの? 魔術師だったって知ってたけど、もしかして戦うなんてこと、ないよね?」


 不安を覚えた少女が、ニックの背中に問いかける。しかし、返事はない。

 青年はわざと聞こえないふりをして、言葉を無視した。まさか戦いにいくつもりだ、などと心配して泣いてくれた生徒に口が裂けても言えるわけがない。


 そもそも、彼女がどこまで事の顛末を知っているかもわからないので余計なことも言えない。


 少なくとも、ニックがイリーナを探し、その過程で戦い重症となったことは知っているようだが、さすがに【異界の住人】のくだりは知らないはずだ。教え子を必要以上に巻き込みたくないのだ。


「ねえ、返事をしてってば!」


 シャーリーは不安を掻き消そうと大きな声を出すが、そんなことで心に巣食った不安が消えることはない。

 観念したように、ニックは静かに振り返ると、曖昧な笑みを浮かべた。そして謝罪する。


「ごめん。僕は戦うよ。イリーナを助けないと、仲間たちを助けないといけないんだ」

「そんな大怪我をしてるのに?」

「うん。例えどれだけ怪我を負っていようと関係ないんだ。僕はね、いままで中途半端なことばかりしてきたんだ。そんな僕でも魔術師としては、実は凄いらしい。だから、するべきことを、やれるべきことをしたいんだ。僕は持っているこの力で誰かの為になることをしたい」


 真っ直ぐに立つことも辛い中、ニックはシャーリーに向かって心中を吐露する。

 きっと声は弱々しく聞こえるだろう。それでも、少女には、強い決意に満ちた瞳を向ける青年に、これ以上行かないでとは言えなくなった。


「死んじゃ嫌だよ、ニッくん。絶対に、無事に帰って来てね。約束だよ?」

「ああ、もちろん、約束するよ」


 指切りなどはしない。ただの口約束。

 教え子の精一杯の言葉を受け取って、ニックは必ず約束を守ると頷く。そして、再び少女に背を向けて、今度こそ歩きはじめる。

 シャーリーは、そんな想い人を見送りながら、大声で引き止めたい衝動を飲み込んだ。そんなことをすれば困らせてしまう。


「絶対に帰って来てくれなきゃ嫌だからね」


 彼に聞こえないように小さく呟いた少女は、彼の背中が見えなくなるまで見送り続けるのだった。




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