第5話「女傑と雷帝」1



 ヴェロニカはニックの勤め先をあとにすると、その足で『ブラフマー魔術師派遣会社』へ向かった。


「いらっしゃい、って――どうしたの、酷い顔をしているけど?」


 ブラフマー魔術師派遣会社社長サビーナ・ブラフマーが、社長室でヴェロニカを出迎えてくれるが、いつもとは違う知己の顔に驚いた表情を浮かべた。

 二十代後半という若さでありながら、魔術師業界で若き女傑とも言われるサビーナ。黒髪をまとめ、いかにも女社長という出で立ちの姿は、ヴェロニカ同様に魔術師には見えない。


 そんな彼女はヴェロニカにとってよき相談相手であった。

 サビーナの指摘に、それほど酷い顔をしているのかと顔を触ってみるがわからない。失礼を承知でバッグから手鏡を取り出すと、覇気のない顔をした自分が写っていた。


「とりあえずそこに座って。珈琲を用意するから、話をしましょう」


 気をつかわせてしまったことを謝罪すると、ザビーナは気にしないでと暖かな笑みを浮かべてくれた。


「エークヴァル魔術事務所とブラフマー魔術師派遣会社は同盟関係で、今のあなたはエークヴァル魔術事務所の代表。それを抜きにしても私個人が気に入っているから、困っていたら相談に乗ってあげたいと思うのは当たり前よ」

「ありがとうございます」


 二人はテーブルを挟んでソファーに腰を落とす。

 スカートから伸びた足を組み、サビーナが尋ねた。


「それで、なにがあったの?」

「少し前に、ニックと会ってきました」

「ああ、あの坊やね。何度も会社に誘ったけど、フラれ続けたのが昨日のことのようだわ」

「……そんなことをしていたんですか?」


 ジト目で睨んでくるヴェロニカに、しまった、とつい口を滑らしたことを後悔するサビーナ。

 ヴェロニカも、まさか同盟関係のブラフマー魔術師派遣会社が、ニックをスカウトしていたとは思ってもいなかった。


「ま、まあいいじゃない。昔のことなのだから。それに、あの坊やは考える素振りもしないで何度も即答で断ったのよ。まったく、うちに入りたがる魔術師が毎年何人応募してくるのか知っているのかしら?」


 途中からニックに対する不満になっているが、彼女はそんな青年を気に入っていた。

 サビーナ・ブラフマーは祖父が立ち上げ、父が受け継いだ『ブラフマー魔術師派遣会社』をオウタウ五指まで成長させた女傑だ。年齢こそまだ若いが、無能でプライドだけが高い兄たちを容赦なく排除して社長へとのぼり詰めた実力者でもある。


 そんな彼女だからこそ、高い金額を積もうと首を縦に振らなかったニックのことを気に入っていた。金では動くことがなく、心で動くニックだからこそ手元に欲しいと思っていたのだ。


 その想いはいまだ変わっていない。信頼することができ、腕も立つ優秀な部下は喉から手が出るほど欲しいのだ。

 そういう意味では、ヴェロニカ・マージもサビーナにとって欲しい人材だった。


 しかし彼女は一年前とは違う。刑務所に入っているシャスティンの代わりに事務所の所長代理として、可能な範囲で仕事を請け負うことで、エークヴァル魔術事務所がいまだ健在だということを知らしめるために努力を続けている。

 そんなヴェロニカをサビーナは邪魔することができない。


「シャスティンは幸せものね、羨ましいわ」


 女傑もシャスティンには何度も世話になっている。だからこそ、エークヴァル魔術事務所と同盟を組んでいるし、見捨てる気はない。だが、たまに彼のことが羨ましくなるのだ。


「魔術師証明書取得最年少記録を塗り替えた、オウタウ最強の称号を持つニック・リュカオン・スタンレイに慕われるだけでは飽き足らず、『雷帝ヴェロニカ』も彼のために負わなくてもいい苦労をしているのね。もし、シャスティンが自分のことを少しでも不幸だと思っていたら、第一級戦略魔術を数発叩き込んであげるわ」

「あの、それはシャスティンでも死にますからやめてくださいね」

「ふふふ、冗談よ。今はね」

「今は、って。はあ、いいです、もう。でも、サビーナはニックがシャスティンのことを今でも慕っていると思っているんですね」


 ヴェロニカの呟きとも取れる問いに、女傑は不思議そうに首をかしげた。


「あら、違うのかしら?」

「もしニックがシャスティンをいまだに慕っているのなら、事務所をどうして離れたんでしょうか? どうして事務所に戻ってきてくれないのでしょうか?」


 俯いてしまうヴェロニカの様子から、酷い顔をしていた原因を悟ったザビーナは不器用な彼女にほほ笑む。


「あの坊やに事務所に戻るように言ったけど、あなたの望む返事はもらえなかったようね。もしかして、それで言い争いでもしちゃったのかしら?」

「……はい。しちゃいました」


 予想していた答えに、ザビーナはわざとらしく嘆息した。


「まったく。あなたは相変わらず不器用なんだから。ニック・リュカオン・スタンレイがどれだけシャスティンを慕おうと、事務所に残るのも、残らないのも彼の自由。もちろん、戻る戻らないもね」

「でも!」

「いいから、聞きなさい。一年前、シャスティンが第一級禁則術式を使って実刑を受けてしまったとき、私はあなたにシャスティンが刑期を終えるまでの間でいいから、うちで働かないかと誘ったわよね?」


 ヴェロニカは頷く。

 かつてエークヴァル魔術師事務所の所長であったシャスティン・エークヴァルは、倒さなければならない敵を倒すために禁術を躊躇いなく使用した。敵は倒すことができたが、代償は大きく、シャスティンは禁固刑となってしまったのだ。


 途方に暮れていたときに、励まし、一緒に働かないかと声をかけてくれたサビーナには、いまだに感謝している。だが、ヴェロニカはその誘いを丁重に断った。

 あくまでもエークヴァル魔術事務所の魔術師でいたかったから。そして他の所員も気持ちは同じだと思っていた。だが、結果は事務所に残ったのは彼女だけだった。


「私はニックにも声をかけたのよ。そうしたら、あの子なんて言ったと思う?」

「わかりません」

「――俺はあの人がいなければ魔術師になっていなかった。あの人がいなければ俺は今の俺ではなかった。だから、あの人がいない事務所に意味を見いだせないし、魔術師を他の事務所で続ける理由も見つからない。ですって」

「そんなことを言ったんですか?」


 初めて知る事実にヴェロニカは目を見開いた。


「そうよ。私はニックとシャスティンがどういう経緯で知り合ったのか知らないけど、彼らには彼らだけの関係がきっとあったのね。羨ましいわ、私の部下にそこまで言ってくれる人間はいるかしら?」


 その問いにヴェロニカは答えることができない。サビーナもそのことはわかっている。

 ブラフマー魔術師派遣会社は、エークヴァル魔術事務所のように少人数精鋭ではない。社名の通り、ひとつの会社という組織なのだ。社長としてサビーナのことを社員が慕うことはあっても、シャスティンを慕うヴェロニカやニックのようには彼女を想ってはいないだろう。


 信頼できる部下もいるが、彼らがどこまで自分に忠義を果たしてくれるかまでわからない。

 その点では、エークヴァル魔術事務所は事務所と名乗っているが、ひとつの家族のようだったとサビーナは思う。しかし、その家族も今は崩壊してしまっている。羨ましく思っていたひとつの事務所の在り方がもう存在していないことが、ひどく寂しく感じられた。


「私はどうしたらいいと思いますか?」

「あなたはしたいようになさい。だから、ニックの坊やにもしたいようにさせてあげなさい。あなたも坊やもまだ若いのだから、たくさん迷って答えを出すのに時間がかかってもいいのよ。だからあまり気負わないようにね」

「サビーナ……ありがとうございます」


 ヴェロニカはただそう返事をすることしかできなかった。

 出会ったころから不器用な彼女にサビーナは、妹を見守る優しい姉のような笑みを浮かべていた。

 願わくは、ヴェロニカにとってよい答えが出ますようにと願うのだった。



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