第6話「女傑と雷帝」2



 珈琲が用意され、部屋によい香りが広がる。


「最近は解決しない事件が多くてね、珈琲くらいしか楽しみがないのよ」


 カップから整った唇を離すと、ため息交じりにザビーナが言う。心なしか、目元が緩んだように見えたのは、珈琲が満足できる味だったからかもしれない。ヴェロニカも舌に広がる珈琲の苦みと旨味にほっと息をつく。

 女傑にとって、言葉通り、本当に珈琲くらいしか楽しみがなく、楽しむ時間もあまりない。


「私に手伝ってほしいというのは、その事件のことですか?」

「ええ。こういう言い方はしたくないのだけれど、うちの社員では心もとないのよ。ヴェロニカくらいの実力がなければ、正直今回の事件の解決は難しいと考えているわ。事実、警察や他の事務所では死者が多数出ているのよ」

「そんな事件が?」


 ヴェロニカは驚きを浮かべる。彼女が知る限り、この一年でそこまで大きい事件は起きていなかったはずだ。

 彼女の驚きを察したサビーナが苛立った様子で口を開く。


「遺憾なことだけど情報操作がされているのよ。警察もそうだけど、今回の事件にかかわった事務所が被害を出し過ぎたのがいけなかったの。事件の大きさと失態から情報を規制しているの」

「ですけど、そんなことをしたら被害が……」

「もちろん私もそう言っているのだけれど、あちらは面子の方が重要なのよね。魔術師協会も今回の事件はどう対処していいのかわからなくて、他事務所には手を引かせて直接依頼があったのよ。だけど、事件の内容から私が動かせる社員は少なく、数も足りない」

「それで私に、いえ、エークヴァル魔術事務所に依頼ということですか?」

「ええ。同盟関係を組んでいるし、あなたの実力はよく知っているから是非にでも受けてほしいのだけど、どうする?」


 ヴェロニカは頷く。断る理由はなかった。

 サビーナには恩があるので助けになりたい。なによりも、難易度の高い事件なら、解決後にエークヴァル魔術事務所の名前も残るはずだという打算もある。

 だが、彼女を信頼しているからこそ、頼られれば受けたいと思った。


「依頼を引き受けます。詳しい内容は、ここで教えてもらえますか?」

「ありがとう。実はもう資料を用意してあるから詳細はそちらでお願い。もちろん、今この場で大まかな説明はさせてもらうわ」


 その前にね、と前置きをしてサビーナがヴェロニカに尋ねる。


「魔術師が【異界の住人】を操ることができると思う?」


 突然の問いかけに、ヴェロニカは大きく目を見開いて驚く。


「正気ですか。【異界の住人】を操るなんて、どうしてそんなことを?」


【異界の住人】とは、文字通り【異界】から現れる住人である。ただし、人ではない。もっと恐ろしい存在だ。

 詳細こそわかっていないことだらけだが、異界という別世界から次元を割いて現れる異形たち。それを【異界の住人】と呼ぶ。


 下位種から上位種まで分類され、姿形はもちろん、力までが個々様々で、下位種は外見が完全に化物だ。

 しかし、これが上位種になるとその姿形は人に近くなり、知性も同じように高く人間に近づいていく。さらに厄介なことに、上位種は下位種を統率することができるのだ。


 彼らには人間のように食事をすることが必要なのだが、人間と同じものは食べようとしない。

 ならばなにを食べるのかと誰もが疑問に思うはずだ。答えは【異界の住人】異界の住人がはじめてこちらの世界に現れたときにすぐにわかった。


 答えは――人間だ。


 上位種が魚や動物を食べていた例もあるので、別の物が食べられないわけではないと思われているが、【異界の住人】異界の住人の好物は間違いなく人間だった。

 食事以外にも、遊戯として人間を狩ることもあり、言葉を発することのできた上位種は人間のことを家畜と呼んだこともある。

 

 ――まさに人類の敵だ。

 

 奴らが現れれば、魔術師は怯え、一般人は神に祈りはじめる。まるで天災に等しい存在だ。

 平均的な実力を持つ魔術師が十数人がかりでやっと下位種を倒すことができる。上位種になると、死を覚悟した魔術師が数十人から百人を超える人数でやっと倒すことができる。戦った半数以上の人間の死と引き換えで済むことができれば、まだ幸運だ。


 ゆえに、【異界の住人】を操る術があるなどとは信じられない。操ろうなどと普通はまず思わないのだから。

 しかし、ヴェロニカの思いに反してサビーナは言い放つ。


「今私たちが追っている事件は、【異界の住人】を操る魔術師が起こす連続殺人事件よ」

「まさか、そんな馬鹿なことが……」

「実際に起きているのよ。まだ目撃証言だけだから明言はできないのだけれど、魔術師と【異界の住人】が行動を共にしているの。それも、【異界の住人】を完全に制御下に置いているそうよ」


 ただし、目撃証言は少なく曖昧なことも多い。

 なぜなら、【異界の住人】に出くわしてパニックにならない人間の方が少ないのだ。さらには、遭遇してしまった者や、事件を追った魔術師の多くが死亡している。


 中には相当の使い手もいたというのに、命からがら逃げだしなんとか情報を伝えたものの、負傷した怪我が原因となり結局は死亡してしまった魔術師までいる始末。

 まさに【異界の住人】の恐ろしさが伝わる事件だった。

 情報規制をしていなければ、今ごろ街は大混乱になっていたはずだ。


「ヴェロニカ、【異界の住人】をたったひとりで倒せるあなたの力が必要なのよ」

「手伝うことに異存はありません。ですが、私が倒すことができるのは下位種が精一杯です。それも、多くの支援を得た状態で、命を捨てる覚悟で、です」

「命をかけても普通の魔術師には下位種すらひとりで倒すことはできないわ。問題は、【異界の住人】と行動をともにしている魔術師ね。まさか上位種を操れるとまでは思わないけど、下位種を操っているだけで、あなたと同等かそれ以上の実力者とみて間違いないと考えているわ」

「……なら、ニックを呼びましょう。ニックなら上位種を単身で殺すことができます」


 冷静になっている今のヴェロニカは、ニックが自分の進むべき道を模索しているのだということはよくわかっていた。

 事務所に戻ってほしい気持ちは強いが、サビーナにも言われた通り、したいようにさせてあげるのが一番なのかもしれないとも考えられるようになった。しかし、あまりにも事が事だ。


 かつてニックに魔術を基礎から教えたのはヴェロニカだ。しかし、あっという間に実力は拮抗し、そして追い抜かれた。

 嫉妬はなかった。教え子であり、弟のような彼が自分を超えていくのは純粋に嬉しかったからだ。


 だからこそ、【異界の住人】が関わる事件が起きているなら、彼の力が必要だとニックをよく知るヴェロニカは思う。


「……坊やが応じてくれるかしら?」

「サビーナが心配するのもわかります。私だってさっき言い争ったばかりです。だけど、ニックは自分ができることから逃げるようなことはしない。それだけは確かです」

「私も坊やのことはあなたと同じように思っているわ。でもね、今のニックに戦えるのか心配なの。きっと今のあの子には、守るものも戦う理由もないのよ。私の知る、ニック・リュカオン・スタンレイは常に戦う理由を持っていたから不安なのよ」

「そう、でしたね。でも例え、戦う理由がなくても、ニックならこんな事件を放っておくことはできない。優しい子ですから」


 姉が弟を思うようにヴェロニカは断言した。

 サビーナもそうあってほしいと願っている。ブラフマー魔術師派遣会社では今回の事件に対応できる人材が少なすぎる。


 数える程度しかいない実力者と呼ばれる社員でさえ、ヴェロニカと同等か、劣るレベルだ。もしも本当にニックが力を貸してくれるのなら、喉から手が出るほど欲しい戦力となることは間違いない。


「なにも今すぐにあの子の力が欲しいわけじゃないの。【異界の住人】が起こしたと思われる事件は数日前が最後よ。ただ、ちょっとね」

「なにか気になることでも?」

「この【異界の住人】が関わる事件が起こったとされる時期と同時時期に、連続して失踪事件が増えているのよ。私には、このふたつの事件に関連性があるようにしか思えないの」


 偶然にしては出来過ぎだと、女傑は言うが、肝心な確証がなかった。すべてはサビーナの培った感でしかない。

 しかし、一人の魔術師として、事件解決を託された者として、可能性はすべて潰しておきたい。それが例え、勘からくるものであったとしてもだ。


「ならこの失踪事件に関して私が調べましょう。その合間に、ニックに協力を頼みにいこうと思います。さすがに今日は顔を合わせられないですけど、構いませんか?」

「是非そうしてちょうだい。【異界の住人】に関しては社員が総動員で追っているから、動きがあれば連絡がくるわ。それがいつになるか私にもわからない。早いに越したことはないけれどね。だから今日に今日、坊やに話をしなくても、あなたができると判断したらお願い。でも、できることなら急いでほしいわ」


 ヴェロニカとニックの問題には、もっと時間をかけたほうがいいとザビーナは思っている。

 しかし、なにが起こるかわからない不安から、つい急かすような言葉を言ってしまうことに、内心謝罪する。


「明日にでも、ニックに話をしてみます。事務所に戻るとか戻らないではなく、街の危機の力を貸してほしいと」

「ええ、お願いね。ごめんなさい、本来なら私がニックにも頼むべきなのだけど、私自身が今回の事件を指揮しているから自由がないのよ」

「気にしないでください。私がニックと話すきっかけにもなりますから。それと、この資料は見せてしまっていいんですよね?」

「構わないわ。坊やの返事を聞く前に、すべて教えておいて。もちろん、あなたもしっかりと事件を把握しておいてね」


 もちろん、とヴェロニカは返事を返した。

 その後、二人に談笑する時間はなく、サビーナは社員とともに過去の現場へと見落としがないか再度調査に向かう。

 ヴェロニカは事件を把握するために、事務所戻り資料に目を通すのだった。



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