第7話「いなくなった生徒」



 ニックは朝から顔色が悪かった。寝不足のせいだとわかっているが、眠いわけではない。

 一年ぶりにヴェロニカと再会したことで、昨晩は眠りにつくと同時に夢の中で過去が走馬灯のように流れたのだ。出会い、そして楽しい思い出から、悪夢のような辛い出来事と、そして、別れをすべて。


 叫びとともに飛び起きた青年が時間を確認すると、三時間も眠っていなかった。

 眠らないのは苦ではない。だが、ひとりで部屋にいると、どうしても過去を思い出してしまい気が滅入る。

 夢見が悪くとも眠ろうかと何度もベッドに潜るが、結局眠れずに朝を迎えてしまった。


 そのまま顔を洗い、着替えると職場へ向かう。

 魔術師をしていた一年前まで、歩くことのなかった朝の街並みは、いまだに新鮮に映る。登校中の生徒とすれ違うこともあり、簡単に挨拶をしながらニックは日課となっているフードトラックの前で足を止める。

 店主の鼻歌を聴きながら、毎日のようにメールを送ってくるシャーリーから、今日は一通も届いていないことを不思議に思った。


「こういう日もあるのかな」


 生徒だって慌ただしい日がある。塾の講師に、毎日ハートだらけのメールを送るのも一苦労だろう。

 ほんの少しだけ寂しく思う自分に苦笑しながら、珈琲とドーナツを買って、塾の外に置かれているベンチへ座った。


 簡単すぎる朝食だが、ニックは珈琲だけあればいいので問題ない。ドーナッツはおまけだ。

 顔なじみとなったフードトラックの店主が新作だと勧めてくれたので買ってみただけ。一口食べてみると想像以上に美味しく、珈琲の苦味とドーナッツの甘さが丁度いい。

 明日も買おう。そんなことを考えていると少しだけ気が紛れた気がした。


 チビチビと珈琲を飲んでサマンサが出勤してくるのを待っていると、他の講師たちが次々に現れニックと挨拶を交わしていく。

 昨日から色々なことを考えすぎて煮詰まってしまったため、信頼している彼女に相談に乗ってほしかった。


 一度は携帯電話で連絡を取ることも考えたが、電話越しの相談は失礼になるような気がしたのでこうして彼女を待っているのだ。

 きっと相談しても、最後に決断を下すのは自分自身であるとわかっている。それでも、なにかしらの後押しが欲しかった。


 一度は先輩講師である彼女に、必要以上の後押しもらっているが、頭を悩ませたことでもう一度アドバイスが欲しいと考えてしまったのだ。


「結局、人任せか、情けないな」


 シャーリーにやめないでと言われたことも鮮明に覚えている。講師として慕われていたことに、くすぐったさと嬉しさを感じたのも事実だ。


「別に、僕はシャスティン・エークヴァルのことを忘れていたわけじゃないんだ」


 誰かに言い訳するように、ニックはひとり呟いた。かつての仲間に、所長のことを忘れて、塾の講師をはじめた自分を責めて欲しかったのかもしれない。

 過去から目を背けていたことは承知している。塾の講師になったのも、精神的に不安定だったニックを心配したサマンサが、気を使ってやるべきことを与えてくれたのだということもわかっている。


 だけど、今はもう違う。一年前のニックのままではない。少しだけかもしれないが、成長できたと思っている。

 講師としての仕事にやりがいを感じている。はじまりこそ与えられたものだが、一生懸命生徒と向き合い講師として働いているのだ。もちろん、それが魔術師というもうひとりの自分から逃げていい理由にはならないこともわかっている。


 結局答えなど出ない。もしかしたら、このまま答えが出ないままなのかもしれない。

 しかし、それもまたひとつの答えだということにニックは気づかない。なにもかも、すべて答えがあるわけではないのだ。


 腕時計を見ると、そろそろサマンサが出勤してきてもいい時間だ。だが、通りには彼女の姿はない。なにかあったのかと思い、携帯電話をスーツから取り出した時だった。


「……ニッくん」


 よく知る声が、ニックを呼び止めた。


「シャーリー? まだ塾にくるには早い、いやそれ以前に学校は?」

「どうしよう。ねえ、私、どうしたらいいの?」


 制服姿のシャーリーが、今にも泣き出しそうに、スクールバックを抱きしめて立っていた。顔色は蒼白で今にも倒れてしまいそうだ。

 慌てて彼女に駆け寄ると、手を取り、ゆっくりとベンチへと座らせる。なにかあったのか、落ち着かない様子の少女に暖かい紅茶を買い飲ませると、少しだけ頬に赤みがさす。


「いったい、どうしたんだ?」


 彼女の隣に座り、顔を覗き込むようにして問うと、少しずつ彼女が口を開いた。


「ニッくんは、イリーナのこと知ってるよね?」

「シャーリーの友達だろ。君と仲がよくて、いつも一緒にいるじゃないか」


 同じくニックが受け持つ魔術史の授業も選択しているので、生徒としても面識がある。ただし、シャーリーほど声をかけてくる生徒でもなく、あくまで一生徒としてとしか面識はない。それでも顔ははっきりと覚えている。


「そういえば、彼女は昨日いなかったな。連絡もなかったし、なにかあったの?」

「行方不明なの」

「それは、また……どうして。家出とか?」

「違うよ。そんなんじゃない」


 少女は首を振る。ニックは記憶を探ると、昨日の授業もその前の授業にもイリーナが出席していないことを思い出す。

 教え子二人のクラスは、週に三回の授業を受ける生徒たちだ。会っていない日数を考えると、すくなくとも数日前にはもう行方不明だったことになる。もちろん、最初から行方不明扱いにはならなかったのだろう。


「家出とかじゃないの。そういうつまらないことをする子じゃないから」

「じゃあ、彼氏ができたとかは聞いてない?」

「それも違う。仲のいい男子はいたけど、別に付き合ってはいなかったし。その男子も行き先を知らなかったから」

「いったい、どのくらい前からいないんだ?」

「私はもう六日も連絡を取れてないの」

「六日も」


 考えたくはないが誘拐や事故だった場合、六日間も行方知らずというのはいささか状況が悪い。誘拐だったら身代金やらなにかしらの接触があってもいいはずだが、最近の世の中では金銭が目的でなくとも人を攫う。


 事故と考えても、身動きができなくなっている等の場合は、六日間という時間は最悪だ。ただし、交通事故で病院に運ばれているなどの可能性もあるが、そういうことは警察がとっくに調べているはずだ。

 そう考えると、家出だと言われたほうが、不謹慎だがまだマシだと思える。


「おばさんが言うには、学校から帰ってこなくてそのままなんだって。警察にもいったらしいけど、最近行方不明事件が多いみたいで対応が悪かったって困ってた」


 言われて思い出した。最近は確かに行方不明事件が多かったことを。

 テレビをつければ報道されているのは、このオウタウの街で失踪した人たちの特集だ。人種、性別、年齢関係なく一ヶ月ほど前から目立つようになった失踪。


 失踪自体はそう珍しいことではない。

オウタウは大都市であり、国と国の国境にあるのだから人の出入りも多い。悪い事件も起きれば、自ら望んで消える者もいる。イリーナがどうして行方不明になってしまったのか、青年に判断することはできない。可能性が多過ぎるのだ。


 そしてそんなことを考えながら、ニックは自分を最低な人間だと思った。生徒が顔色を悪くして友達を心配しているというのに、その横で自分は元気づける言葉もかけずに最悪の事態まで想定してしまっていることに嫌気がさしてしまう。

 仮にも成人した大人ならば、嘘でも安心させるようなことを言うべきなのだ。


「ニッくん、教えて。魔術師事務所に依頼するのって高いのかな?」

「魔術師に頼るつもりなのか? それはあまりにも……」

「人探しだってやってくれるんでしょ? 警察がちゃんと動いてくれないなら他に頼むしかないじゃん! だって、もしもイリーナになにかあったら、私、私はッ!」


 ニックの上着を掴んでシャーリーは嗚咽をこぼす。彼女の手にしていたカップが地面に落ちて地面に琥珀色の液体が広がっていく。


 確かに魔術師事務所に人探しを依頼することもできる。だが、魔術事の多くは人探しではなく、戦うことに特化している場合が多い。できないわけではないが、プロではない。もちろん、人探しを得意とする魔術師もいるにはいるが、少なくてもニックには心当たりがない。

 本来は警察の領分なのだ。


 そんなことを知らない教え子は、普段の生活では縁がない魔術師に頼んでまで友達を探したいと言う。そんな彼女になにかしてあげられないかと青年は考える。

 すると、自然と口が勝手に動いていた。


「大丈夫、安心していいよ。知り合いにオウタウ市警の警部がいるんだ。彼に連絡してイリーナのことを聞いてあげるから」

「ほんと?」

「もちろんだ。大切な僕の生徒のことだから。だからシャーリー、今日は家に帰るんだ。その顔は眠ってないだろ?」

「……うん。昨日の夜、塾から帰ったあとにイリーナの家から連絡があったから心配で」

「ご家族から連絡が?」

「そう。私は最初、風邪を引いているって聞いてたから。でも本当は違う、行方不明になってたの。どこにいったか心当たりはない、とか、急にそんなことを言われたからどうしていいのかわからなくて……」


 彼女にとってイリーナは大事な友達なのだろう。

 眠れないくらい、魔術師事務所にまで頼もうとするほど、友達を心配する彼女を見れば一目瞭然だった。しかし、彼女の気持ちまでは察することができない。今、なにを思い、なにを求めているのかまではわかってあげられない。

 そして、それはニックの役目ではなく、彼女の両親の役目だ。


「送ってあげるから今日は家に帰るんだ、いいね?」

「……大丈夫、ひとりで帰れるから」

「ここでこんなに調子の悪いシャーリーをひとりで帰してなにかがあったら、僕は一生後悔してしまうよ。だから、おとなしく送られてほしい」

「じゃあ迎えにきてもらう。それでいいでしょ? だからお願い、ニッくんはその知り合いの刑事さんに話をしてきてほしいの」

「わかったよ。ただし、迎えがくるまでは一緒にいるから。それだけは絶対に譲れない」

「……わかった」


 もし勝手に帰ってしまい、彼女まで行方不明になってしまうのだけは避けたかったのだ。

 イリーナになにが起きたかわからない以上、色々なことを想定しておかなければいけない。その中には、友達を心配してシャーリーが巻き込まれることも含まれている。ただの家出ならそうはならないが、悪意ある第三者が関わっていれば、可能性はゼロではないのだ。


 少女が親に迎えを頼む電話をしてから、十五分後、身なりの整った彼女の母が運転手とともに現れた。

 母親はニックに謝罪と感謝の言葉を伝え、青年はシャーリーが勝手な行動をしないように気にかけていてほしいとお願いをした。そして、できるなら、彼女が今抱えている想いを聞いてあげてほしいと。

 ニックの頼みに、母親はもちろん快諾してシャーリーを車に乗せた。


「なにかわかったらすぐに教えてね!」

「わかってるよ。だから今日はしっかり休むんだよ」


 最後まで友達のことを気にかけて、教え子は母親とともに帰路についた。

 走り去った車が見えなくなるまで通りに立っていたニックは、携帯を取り出すとアドレス帳の中から、しばらく連絡を取っていなかった人物の番号を探しだす。

 通話ボタンを押して、しばらくすると男性の野太く低い声が返ってきた。


「お久しぶりです。ニック・スタンレイです。ええ、どうも。今、お時間ありますか?」


 生徒のためにとったはずの行動が、かつて魔術師だったころにしていたことと被るように感じる。こうしてかつても、警察と電話をして会う約束をしていたことを思い出す。

 もしかしたら、やはり自分はまだ魔術師に未練があるのではないかと思うのだった。



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