第8話「恩人と超越者と迷い」1




「久しぶりじゃねえか、ニック! 妹から話は聞いてはいたけどな、本当にスーツなんか着やがって!」

「ご無沙汰しています、マーティンさん」


 オウタウ市警を尋ねたニックは、待ち人であるマーティン・ローディーから声をかけられて挨拶をした。

 まるで武道家のように鍛えられた体躯に、安物のスーツを纏う三十五歳の男性は、短く刈り込んだ髪と、強面なくせにどこか愛嬌のある顔で豪快に笑って出迎えてくれた。


 マーティンは、ニックの先輩講師のサマンサ・ローディーの歳の離れた兄だ。

 魔術師をしていた頃に事件で知り合い、色々と揉めたりもしたが、なんだかんだとニックとは縁が続いている。

 一年前の事件のあと、青年のために妹に仕事がないかと話をしてくれたのも彼だった。今ではもう頭が上がらない恩人だ。


「まあ、なんだ、色々と頑張っているみたいだな。サマンサの奴は人をはっきりと褒めることはしないだろうが、俺にはお前がしっかりやっていることを教えてくれたぞ」

「そうなんですか、サマンサさんが。嬉しいです」

「おうおう、随分と素直じゃねえか。初めて会った三年前は、触れれば斬るみたいな雰囲気を纏っていた小僧が、随分と丸くなったもんだ」


 昔を知っている人に、しかも歳が二回りも違う大人にそう言われてしまうと、ただ苦笑いするだけしかできない。


「元気そうならなによりだ。一年前のあの日、お前はどうにかなっちまうんじゃないかってほど府抜けていたからな。俺も、サマンサもお前には借りがある。その借りを少しでも返せたみたいでよかったぜ」


 警官というよりも軍人という言葉が似合いそうな鍛えられた体躯を揺らして、マーティンは笑みを浮かべた。

 彼はもちろん、ニックもお互いに久しぶりの再会に喜んだ。

 しかし、青年はただ恩人との再会を喜ぶために、わざわざ警察署まで足を運んだわけではない。目的はシャーリーから相談された、イリーナに関しての情報だ。


「再会の挨拶を楽しいんですけど、さっき電話でお願いしたことはどうでしたか?」

「おう。イリーナ・バンの失踪届なら確かに受理されているぞ。ただな、そのなんだ、こういうことは同じ警官として言いたくはないが、最近の失踪事件のことは知っているだろ?」

「もちろんです」

「そのせいで人員が足りてねえんだ。魔術師に頼ってまで、捜査範囲を広げているんだが面倒なことになっちまっていてな。それで、女子高生の行方不明が、家出じゃないかとおざなりな結果になりかけていた。すまんな」


 巨体を小さくして謝罪するマーティン。他人の過ちを自らのミスのように、申し訳なさそうに短く刈り込んだ頭を撫でながら頭を下げる。しかし、彼が謝ることはないと、逆にニックが慌ててしまう。

 わざわざ調べてもらったというのに、謝罪されてはこちらが申し訳なくなる。


「謝らないでください。僕の無茶なお願いを聞いてくれただけでもありがたいのに、謝罪なんてされたら困ってしまいますよ」

「だがなぁ。まあ、そう言ってくれるのは嬉しいんだが。お前はどう思うんだ?」

「と、言いますと?」

「イリーナ・バンのことだ。少なくてもお前は家出とかじゃないと思ったからわざわざ連絡してきたんだろ?」

「生徒ということもありますし、僕に相談してくれた子もまた生徒なんですよ。今はただの塾の講師のはずだったんですが、気づけばこうして体が勝手に動いてマーティンさんにお願いしていました」


 自分でも不思議だとニックは苦笑いする。


「それも成長だ。昔のお前なら、知らん顔していただろ?」

「そう、かも、しれませんね。ええ、きっとそうでしょう」

「別に昔が悪いと言ってるわけじゃない。すまんな、つい昔のことばかりを口にしちまう。四十に近くなるとこれだから困る」

「十分若いと思いますけどね」

「十代の若者に言われてもなぁ。さてと、イリーナ・バンに関してだが、家出と決める確証はない、だが家出ではないという確証もない。家族から話を聞く限りそんな感じだ。お前だって、この子の友達の話を聞いただけで家出じゃないと言うつもりはないんだろ?」


 マーティンの言い分に頷く。もちろん、行方不明者が近年増加していることはニックも知っている。若者の家出がその何割かを占めていることも確かだ。


「ええ。でも、最近の失踪事件は少しおかしいと思っているのも事実です。家出なら家出でいいですよ。だけど、もしも彼女が、この一連の失踪事件の被害者の可能性があるなら困ります」


 決してニックは自分がどうするとは言わなかった。だが、マーティンにはなにかしら思うことがあったのか、場所を移そうと顎で会議室に促される。

 廊下から会議室へと移動すると、マーティンはくたびれたスーツから煙草を取り出すと咥えて火をつけた。

 大きく吸い込み紫煙を吐き出すと、気づいたように青年にも煙草を進めてくるが、やんわりと断った。


「なんだ、吸ってないのか? 成人したんだから、前のようにこそこそ隠れて煙草吸ったり酒飲んだりしなくていいんだぞ?」

「ストレスが溜まることがないので。もっとも、眠れないので睡眠薬には頼ってますけど」

「いかんな若者。眠れないからといって薬に頼っているようじゃ」

「善処します。それで、場所を変えてどうしたんですか?」

「とりあえず、これを見てみろ」


 彼が脇に抱えていたファイルをニックへと投げる。受け取ると、ファイルの中身に目を通し、そして驚いた。


「――マーティンさん! なんですか、これはッ!」

「その驚きようを見ると知らなかったようだな」

「いいから答えてください、これは【異界の住人】の事件じゃないですか!」

「お前が見てそう言うなら、間違いないか。できれば間違っていてほしかったんだがなぁ」


 神妙な面持ちで警官の彼が言葉を絞り出す。嫌な予感がした。


「説明してくれますよね、こんな事件ファイルを見せたんですから」

「もちろんだ。どうせお前にも話はいくだろうから隠したりはしない。お前は信じるか、【異界の住人】がひとりの魔術師に使役されるということを」


 一瞬、なにを言われたのか理解ができずに呆けてしまった。


「……なにを、馬鹿なことを。今までそんなことを成し遂げた人間はいません。魔術師であろうと研究者であろうとです。だからこそ【異界の住人】は恐ろしいというのに、いえ、待ってください、そんなまさか」

「その、まさかが起きたんだよ」


 苦々しい表情を浮かべ、マーティンは煙草のフィルターを噛み千切った。

 ニックは驚きを隠せないまま知己の言葉を待つ。


「あの化物どもの犯行だと思われる現場が見つかった。それだけじゃない、身元がはっきりしていないが男の魔術師が、間違いなく異界の住人を操っていたと報告が上がっている。そして、決して少なくない警官と魔術師が死んだ」


 開いているファイルの中には、恐怖に顔を歪め無残に殺された人間の写真が添えられている。凄惨な現場写真を見せられて吐くようなかわいらしい精神は持ち合わせていないが、それでも目を背けてしまいたくなるには十分すぎるものが写っていた。

 中にはマーティンの知っている警官もいるはずだ。そう思うとやりきれなくなってしまう。


「俺は魔術師が【異界の住人】を操ろうと、どうでもいい。だが、調子に乗った犯罪者が好きかって暴れているのは気にくわねぇ」


 彼の怒りがニックへと伝わってくる。

 マーティン・ローディーは決して正義の味方を気取っているわけではないが、警官であることに誇りを持っている。ゆえに、悪を許せない。

 写真のように被害者に恐怖を与え無残に殺す者を、決して許すことができないのだ。


「すまん。お前に言ってもしかたがなかったな」

「いいえ。このやり方には僕でも嫌悪感しか覚えません。あまりにも品がない」

「ここまで言えばわかると思うが、今回の事件はお前が知らなかったように情報規制をしている。もしもこんなことが住民に知れ渡れば、あっという間にオウタウは大混乱だ」

「でしょうね。想像するに容易いです。今も警察が?」

「いや、俺たちは今回の事件からは外された。上が警察では駄目だと判断したんだ。同じように、今まで警察と協力関係にあった魔術師たちもお払い箱だ。もっとも、俺たち警察は情報規制や、見回り、いざ【異界の住人】御一行が現れたときのために準備はしているから、完全に外されたわけではないがな」


 マーティンの声には悔しさと怒りが込められていた。

 事件を外されたことよりも、ひとりの警官として不甲斐なさを感じているのかもしれない。ニックの知るマーティン・ローディーとはそういう男だ。


「まあ、ボヤいてもしかたがない。俺は魔術師じゃないから戦えないことは承知している。なら、警察官としてできることをやるだけだ」

「マーティンさんらしいですね、自分で自分のすべきことを知っている。尊敬します」

「なんだよ、急に。恥ずかしいだろ、どうした急に。なんかあったのか?」

「いいえ、ただ正直に言っただけですよ」


 なら気持ちが悪い、とかつての恩人は笑う。釣られて青年も笑みを浮かべるが、その内心は笑えなかった。


 マーティンが羨ましいと思ったのだ。例え、自分ができないことがわかったとしても、諦めず、それでもなにかできないかと模索し、すべきことを見つけられる彼のことが。

 言った通り尊敬すべき人物だと思う。

 この人のようになれたらいいのに、そうニックは思うのだった。


「と、前置きが長くなっちまったが、俺が言いたいのは事件を外された愚痴じゃねえ。失踪事件に関してだ」

 他言無用だ、とニックに釘を刺してから、部屋に置いてあるパソコンを操作していく。

「これを見ろ」

「なんですか、これ?」

「ここ最近、捜索届けや失踪事件として扱われたもののリストだ。で、こっちがはじめて異界の住人と魔術師が行動を起こしたと思われる事件から、犯人御一行の事件のリストだ」


 表示されたふたつの事件のリストを見比べる。そして共通点に気づいた。


「若干のズレはありますけど、始まりは一ヶ月前ですね。マーティンさんは繋がっていると思っているんですか?」

「お前だって、俺と同じように思っているからそんな顔しているんだろ? お前は昔も、ヴェロニカの嬢ちゃんや、シャスティンの馬鹿野郎に使われて調べものばかりしていたから、気づくと思ってたよ」

「すみません、今、僕の中には最悪の想像が浮かんでいます」

「奇遇だな、ちょうどよく俺の頭にも最悪の展開が予想されているぞ」


 嫌な汗が額に伝っていた。シャツも汗で張り付いて不快だ。煙草の臭いと、部屋の埃臭さが気持ち悪い。


「【異界の住人】は人間をもっとも効率的な食料とします。現に、被害者や警官、魔術師も食われている形跡がはっきりと確認できます。間違いなく、これはあいつらの仕業だ。つまり、あなたは今回の【異界の住人】の事件と、失踪事件に繋がりがあると思っているんですね?」

「言葉を濁して逃げるな。――失踪者が【異界の住人】の餌になっている可能性が高いと俺は考えてる。だから見つからねえんだ」


 はっきりと、無常に、マーティンは言い放った。

 これほど推測が間違っていてほしいと思ったのははじめてだ。

【異界の住人】ほど、この世界に必要ない存在を、ニックは知らない。あの化物どもに比べれば、どんな犯罪者も許せてしまいそうな錯覚を覚える。まるで人間の恐怖と悪意から生まれたような生き物なのだ。


「いいか、今はまだ俺とお前の推測でしかない。だが、ひとりでも失踪者の中から【異界の住人】の被害者が出た瞬間、決まりだぞ」

「まるで、オウタウの悪意がひとつになって襲いかかってくるようですね」

「それ以上になる可能性もあるが、そうならないことを祈るしかない。不幸中の幸いなのは、この事件を『ブラフマー魔術師派遣会社』が引き受けてくれたことだ」

「サビーナ・ブラフマーですか。なるほど、彼女の会社が請け負ったんですね。あそこなら人材も豊富で、オウタウでは五指の入る魔術師たちの集まりなので、解決も早いでしょう」

「本当にそう思うか?」

「……なにが言いたいんですか?」


 一度は安堵の声を出したニックだが、マーティンの問いに声音を固くする。


「俺が聞きたいのは、ブラフマー魔術師派遣会社には【異界の住人】を殺せる魔術師が何人いるかということだ」

「……あの化物は決してひとりで殺そうと思ってはいけません。警察官なら、いや一般人でも知っているごく当然の守るべきルールじゃないですか」

「んなことは俺だって承知してるさ。だけどな、俺は【異界の住人】を単独で、それも上位種を殺すことのできる奴を何人か知っている」

「なら、その人たちに頼めばいい」


「俺が知っている【超越者】は四人だけ。ひとりの大馬鹿野郎は檻の中、ひとりは墓の下で、ひとりは人の話など聞かない快楽主義者、そして最後のひとりは、お前だ――ニック・リュカオン・スタンレイ」



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