第22話「最強不在の戦い」1



 繁華街のはずれにある、廃ビルの一室。バロン・トルネオはニック・スタンレイに斬り落とされた腕を治療し繋げ終えていた。問題なく腕が動くことに満足して、彼は【異界の住人】へ餌を与えていた。


 ――言うまでもなく餌は人間だ。


 それも、薬物によって思考を完全に奪い去られてしまった、哀れな被害者たちだった。

 彼らの役目はただ食われるだけではない。【異界の住人】に薬物を摂取させるために、攫われ薬漬けにされている。


 家畜以下の扱いに、誰もが嫌悪を示すだろうが、その第三者はこの場にはいない。

 老人は、かつての研究室を思い出させる薄暗いこの場所を気に入っていた。なによりも、繁華街から近く、餌を調達するには距離も丁度いい。この場所だけではない、彼はこのオウタウの街を気に入っていた。


 人口は多く、国境にある大都市ゆえに人の出入りもめまぐるしい。行方不明者が出てもさほど事件にならない。

 なによりも魔術師の質が高いのだ。バロンにとって、この街は餌の調達だけではなく実験場としても気に入っていた。


 その質の高い魔術師の筆頭が、ニック・リュカオン・スタンレイだ。だが、最強の魔術師の称号を持つ青年は、数時間前に老人が殺した。これから自分がリュカオンを名乗ることができると思うと、気分が高揚してくるのを抑えられない。


「彼の死体を【異界の住人】に食わせることができなかったことだけが悔やまれますね。彼にも研究の糧となってほしかったのですがね」


 怪我の治療が必要だったのでしかたがない。腕こそ斬り落とされたが、最強の魔術師相手には安い買い物だった。それにもう繋げてしまったので、腕は元通りに動く。

 愉快な気分となったバロンは、餌に食らいついている【異界の住人】にさらに餌を与えた。


 二体の化物は新たな餌に喜びの声をあげて食らいつく。

 赤い飛沫をまき散らしながら、不愉快な音を立てて、骨を噛み砕き、肉を食いちぎる。聞くにおぞましい不快な音を立てて食事を続けていく。


 どれだけ制御下に置こうと、支配しようと、【異界の住人】の食欲だけは抑えることができない。これは無意識下に必要として行われているものだと判断しているが、もっと研究すべきだと思っている。いずれは食欲もなくすことで研究は完全へと近づいていく。


「食欲旺盛な兵器では少々扱いづらいですからね。ふむ、今日もよく食べることだ」


 薬物によって思考もなにもかも奪い取られていなければ、生きたまま餌となっている被害者には地獄だっただろう。


 あまりにも惨い光景だった。


 しかし、化物の食事を間近で眺めながら、バロンはなんとも思わない。少しでもまともな神経をしている人間なら、こんなことはできない。いや、思いつきもしない。


 だが、老人は思いついた。狂人ゆえに、実行することにも躊躇いなどなかった。その結果として、【異界の住人】という未知なる存在を制御下に置いたのだ。

 さらには【異界の住人】用に作り出した、操作魔術を使うことで彼らを自らの手足のように操ることができる。


 すべてが完成したはずだった。そう、「だった」のだ。過去形であるのはニックに指摘されてしまったせいだ。バロンは、自分が戦闘の素人であるということを、思考によって制御と操作もする際に集中しきれていないというミスを指摘されてしまった。


 あまりにも強力な【異界の住人】の力のせいで欠点に気付くことができなかったのだ。だが、【超越者】であり、最強の魔術師であったニック・リュカオン・スタンレイと戦ったことで、改善すべき点がわかったことは不幸中の幸いだったと言える。


 研究者として、問題をそのままにしておくことはできない。

 改良をしよう。もっとよいものに改良を。もっともっと素晴らしいものに改良して、完全なる至高の作品へ生まれ変わらせよう。


 この研究が完成すれば、世界が自分を放っておかない。誰もが、企業が、どの国も、この技術を欲しがり、私自身を欲しがるだろう。

 狂気に飲み込まれた嗤いを部屋中に響かせるように、老人は信じて疑わない未来予想図に想いを馳せる。


「そのためには、もっとたくさん食べなさい」


 口元を歪めて、人間の腹に食らいつき内臓を咀嚼し飲み込む化物を愛しげに見つめる。


「たくさん、たくさん食べなさい。まだまだ備蓄はあるのだから」


 彼の背後には、コンテナが置いてあった。とくに施錠はされておらず、中を伺うことは容易い。

 コンテナの中には、怯えを隠し切れない少年少女が入っていた。バロンによって誘拐された被害者の生き残りだ。まだ薬物を与えられていない、鮮度のよい餌だ。


 鎖でつないでいるために、最低限の動きしか取ることはできないが、【異界の住人】の食事の目の当たりにしているので、もとより動こうとはしない。

 恐怖に怯えて動けないということも、もちろんある。それ以上に、少しでも物音を立ててしまったせいで、化物の食欲が自分へと向かないように、必死に息を殺して身動きを取らずにいるのだ。


 被害者たちにとって、この瞬間、まさに生き地獄を味わっているはずだ。

 どれほどの恐怖と苦痛を感じているのか、本人たち以外には想像すらできない。


 そして、哀れな生贄の中に、例外なく恐怖に怯えている少女がいた。彼女の名はイリーナ・バン。ニックが探していた、シャーリーの親友であり、塾の生徒だった。

 今はまだ無事だ。

 心が壊れてしまいそうなほどの恐怖に襲われてはいるものの、薬物は打たれていないため意識もある。なによりも生きている。


 彼女は祈る。神様に。どこの誰でもいいから、助けてください。この地獄から救ってくださいと、祈り続ける。

 彼女は限界に近かった。いつ餌にされるかわからない恐怖。バロンが足音を立てるたびに、殺されてしまうのではないかという怯えが植えつけられている。


 想像を絶する恐怖とストレスを感じているはずだ。彼女だけではない、残りの被害者も同じであり、少しでも早い救出が必要だった。

 カタカタと小さく震えるイリーナに、バロンが近づいていく。化物の餌が少し足りていないと判断したのかもしれない。

 誰か、誰か助けて、と心の中で泣き叫んだ。その瞬間、


「バロン・トルネオ――お前は完全に包囲されている。攫った人質を解放し、おとなしく投降しろ!」


 オウタウ市警が狂った老人の居場所を探し当て、包囲したのだった。

イリーナはこれで助かるかもしれないと、希望を抱く。



 しかし、彼女に背を向けたバロンの表情は愉悦に満ちた笑みを浮かべていた。




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