第23話「最強不在の戦い」2
「サビーナ、マーティン、状況はどうなっているの?」
廃ビルを包囲したブラフマー魔術師派遣会社とオウタウ市警に遅れて、ヴェロニカも現場へとたどり着いた。
現場指揮を執っているサビーナとマーティンの傍へと向かうと、状況を把握するために説明を受ける。
「一応、教科書通りに投降勧告をしたが、今のところは反応なしだ。そっちは、ニックはどうだ?」
「ニックなら目を覚ましたわ。だけど、戦うつもりよ」
「おいおい! 死にかけたっていうよりも、一度死んでいた奴がそれでいいのかッ?」
もっともな意見を言うマーティンに、ヴェロニカは苦々しい顔をするしかない。
説得できず、戦うことを黙認してしまっただけになおさらだ。
「だけど私たちが知っているニック・スタンレイは走り出したら止まらない子でしょう? 私たちはあの子に大きな借りを作ってしまった。なら返すまでよ」
「まあ、……それはそうなんだが、しかしなぁ」
女帝も警部も、青年をひとりで戦わせて自分たちが逃げる時間を稼いでもらったことに負い目を感じているため、言葉を濁す。
ヴェロニカのように姉弟同然の関係ではないので、その負い目は彼女よりも大きく、感じている不甲斐なさも比べ物にならない。
「現れました、バロン・トルネオですッ!」
ニックのことを話していると、ひとりの警官が叫んだ。
三人は即座に思考を切り替える。
「ビルの窓に確認できました!」
「よし、俺が対応する。狙撃犯は?」
「配置済みです」
「隙があれば即射殺しろ。殺せれば、だがな……下手をしたら命令ができない可能性が大きい、独自の判断で撃てと伝えておけ」
「はいッ!」
マーティンの指示に、警官は敬礼をして戻っていく。ここからが正念場だ。彼だけではなく、ヴェロニカもサビーナも気を引き締め直す。
「バロン・トルネオ! 姿を現したということは、投降するつもりになったのか?」
「おもしろいことを言いますね、マーティン・ローディー警部。ヴェロニカ・マージとサビーナ・ブラフマーもお揃いで、ご苦労なことです」
「……やっかいな野郎だ」
ヴェロニカやサビーナはともかく、市警察の警察官である自分の名前まで調べ上げているバロンに舌打ちをしてしまう。
名前を調べているということは、家族構成や親類縁者まで調べられている可能性だってある。なおさらここで狂えた老人を逃がすわけにはいかなくなった。下手をすれば、家族やその周囲にも被害が出てしまうかもしれない。
「なにがおもしろいことだか、学のない俺にもわかりやすく説明してくれねえかな?」
「いえ、簡単なことです。ニック・スタンレイを代償に、命からがら逃げだしたあなたたちが、私ごとビルをひとつ包囲しただけでは投降する理由にはなりません。なによりも、実験はまだ終わっていない。改善すべき点が見つかった以上、なおさらです」
あえてニックの名を呼ぶ際、最強の称号であるリュカオンをつけなかった。バロンはあの青年が一命を取り留めたことを知らない。リュカオンの称号は自分のものだと疑っていないのだ。
「なるほどな。だけど今さら研究してどうする? もう散々やりやがったじゃねえか。研究といえば聞こえがいいが、やっていることはただの殺戮だ!」
「そう思うのはあなたが研究者ではないからだ。そして私は研究者ゆえに、研究者であるために、実験を続けなければいけない!」
「はっ――ははははははっ! 笑わせてくれやがるじゃねえか!」
声高々に自らを研究者だと言い放つバロンに向かい刑事は呵呵大笑した。
突然発せられたマーティンの豪快な笑いに、老人が眉をひそめた。
「大笑いされるようなことを言ったつもりはないのですが?」
「笑わずにいられるかよ。てめえはさっきから実験だとか研究者だとか偉そうなことを言っていやがるが、もう研究者でもなんでもないだろ? こっちだっててめえのことは調べたぞ、バロン・トルネオ。危険思想の持ち主だと判断されて、随分と前に学会を追放されたじゃねえか。よくもまあ、研究者だなんて名乗れるな?」
警察は、バロンを捜索すると平行して彼のことを調べていた。
家族構成なし。血縁者もいない。学生時代から成績優秀。色々な研究機関に勤めるが、必ず専門とするのは【異界の住人】に関して。そして、化け物を利用しようとするその危険思想から、危険人物と判断され学会を追放されている。
時間がなかったので、この程度しか調べられなかったが、痛いところをつく情報を得ることができた。
「……黙れぇええええっ!」
「おうおう、老紳士の仮面が剥がれやがったな!」
激昂したバロンが唾を飛ばして怒鳴るが、冷静さを欠いた老人にマーティンが挑発するように笑みを浮かべた。
「黙れ黙れ黙れ! なにが危険思想だ、なにが狂っているだ! 実験には犠牲がつきものではないか! 限られた時間の中で結果を残そうとすればリスクは当たり前だ。そんなこともわからずに私を狂っていると罵った無能どもめ! 実験が成功したあかつきには、殺してくれと懇願するまでいたぶってくれるわッ!」
「ま、所詮はその程度か。どうして急にこんな狂った事件を起こしたのか気になっていたんだが。今はっきりとわかった。バロン・トルネオ、てめえは学界を追放されたことがただ気にくわなかっただけだ」
刑事の指摘に、老人は怒りで赤くなった顔をさらに歪めていく。
「貴様にっ、たかが市警に勤めている程度の貴様に、私のなにがわかるというのだ! 私の実験を目の当たりにしただろう! 【異界の住人】という未知の生物を、制御し、操作することを可能としたのだぞ! 今まで恐怖でしかなかった彼らを、武器として有効利用することができたのだ! この実験が進めば、【異界の住人】は恐怖ではなくなるのだ、なぜそれがわからない!」
「わかりたくもないわ。人間と【異界の住人】は相いれることはない。仮に奴らを武器にすることができたとしても、それは新しい戦いと犯罪を誘発させるだけ。必要のない技術だわ」
雷帝ヴェロニカが狂える老人の実験を否定した。
そもそも、人間を犠牲に実験をしている時点で、両手離しで褒められるものではない。
実験と称して起こした今回の事件の以上に、バロンの研究結果が実用されてしまったら世界は混乱するだろう。
研究者ではないヴェロニカたちでもわかることだ。学会が追放したのは至極当然の結果だったといえる。
しかし、バロン・トルネオは納得ができなかった。ゆえに、子供が駄々をこねるように癇癪を起したのだ。
「なぜわかろうとしない! いいか、私の実験はそれだけではない。【異界の住人】を操るなど通過点だ。最終的には、彼らの因子を取り込むことによって、人間がさらなる高みへと進化することができるのだ。【異界の住人】のような強靭な肉体を手に入れることができるのだぞ?」
「その結果、どれだけの犠牲が出ると思っていやがる? 今までの被害者の比じゃないだろ。だいたい、化物の因子を取り込んで化物になるつもりなんてない。そんなことを考えているからてめえは危険思想だって言われるんだよ!」
「この愚図どもめ! 貴様らも、学会の連中も、どうしてこう無能なのだ! 私の素晴らしい実験を、偉業を、理解できないとは嘆かわしいにも程がある!」
「その素晴らしい実験の犠牲になった被害者にも同じことが言えるのかっ!?」
怒りの声を張りあげたマーティンに、バロンは心底不思議そうな顔をした。
「なにを言っている? 確かに犠牲が出たのは申し訳ないとは思う。だが、尊い犠牲だ。逆に感謝されるはずだ。私の実験に参加できてよかったと」
その言葉を聞いて、この場にいるすべての人間が、この老人がもう手遅れだと確信した。
この男は狂っている。正気ではない。超えてはいけない一線を越えたばかりか、戻ることができない所まで進んでしまったのだ、と。
ニックと戦ったときよりも、その狂い方はおかしい。本人はいたって正気のようだが、誰の目から見ても壊れているとはっきりわかる。
なにが彼をそうまでさせるのかは、バロンだけにしかわからない。今までの言葉だけで、ここまでの所業をするとは思えない。だが、もう狂人の理由など気にする必要はない。
行動理由を知らないからといって、彼を止めない理由はひとつもないのだ。
「もういい。全員構えろ!」
マーティンのかけ声に、警官隊は銃を構え、魔術師たちは詠唱を始める。
「サビーナ、魔術師たちは任せた」
「ええ、任されましょう。あえて口を挟まなかったのだけれど、あの狂った男はここで止めなければいけないわ」
「私も賛成だわ。そもそも【異界の住人】を使おうとしている性根が気に入らないもの。そして、ニックに頼らずに、解決しましょう!」
決意と共に、紫電をその身に纏わりつかせるヴェロニカ。
「なら始めるぞ。あのマッドサイエンティストを止める。生死は問わない! 化物を操る暇を与えるな! 必ずここで仕留めるぞ!」
マーティンの号令とともに、狂った研究者バロン・トルネオとの戦いの火蓋がきって落とされた。
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