第19話「病院と見舞客」2




 意識のあるニックを目に入れて、喜びの表情を浮かべるサマンサ。

いつも落ち着いている彼女がここまで感情を表に出すのは珍しく、それだけ青年のことを案じていたのが伺える。

 だが、喜んでいたのも束の間、部屋の中に充満する空気を読んで、二人の事情を察した。


「まったく、また喧嘩したのね。喧嘩するだけの元気があるのはいいことだけど、二人とも頭を冷やしなさい」


 サマンサは呆れたような声を出した。一度は心臓が止まったと聞いていたというのに、飛んでくれば喧嘩をしている始末。もちろん、本当に喧嘩をしていたのではなく、どうせ戦うか戦わないかで揉めていたということは彼女にはわかっていたが、それを含めてこの状況を喧嘩と判断したのだ。


「そうね、ごめんなさいニック。私は少し外すわ、頭を冷やしてくる。少しお願い、サマンサ」

「ええ、私も二人になりたかったから任せて」


 ヴェロニカが部屋から出て、代わりにサマンサが椅子へと腰を降ろした。


「えっと、あの、勝手に仕事を、休んで、すみませんでした」

「はぁ。本当ならね、危険を冒すなんて馬鹿をしたあなたを引っ叩いてやりたかったわ。重症だったことに感謝なさい。代わりに兄を引っ叩いておいたから、今回は我慢するけど」


 彼女には兄のマーティンも引っ叩く理由はあった。

 後輩講師が魔術師以外の道を探していることを、自分の次に知っているというのにも関わらず、戦いへ戻るきっかけを与えたこと。そして、ニックにしんがりをまかせたことだ。


 理由はわかる。素人であるサマンサであっても、青年がどれだけ強い魔術師だということは経歴を見れば一目瞭然だ。だからといって、ニック・スタンレイが強いわけではない。

 どれだけ魔術が得意であろうが、最強の称号を持とうが、【超越者】と呼ばれようが、ニックはニックなのだ。


 サマンサはリュカオンの称号など知らないし、知る必要もない。

 彼は、進むべき未来が決まらずに、悩み葛藤している青年なのだ。そのことだけは、決して忘れてはいけない。だが、兄やヴェロニカは、そのことを忘れてしまうことがある。


 ニックの才能ゆえかもしれない。二人だけを責めることはできない。だからこそ、サマンサはニックを魔術師ではなく、同僚の後輩講師で、弟のように可愛い青年として接している。


「次はないわよ」

「はい。次はこんな、怪我を、しませんよ」


 そういう意味で言ったわけではないのだけれど、と内心でため息をついた。

 戦わないように、と言ったつもりだった。はっきりと言うべきではないと思ったからこそ、遠回しに言ったのだが、伝わったのか伝わっていないのか。少なくともニックがこれほどの重傷を負ってもまだ戦おうとしていることだけはわかった。

 だからこそ言わなければいけない。


「ニック、もう関わるのをやめなさい」

「……サマンサ、さん?」

「兄から連絡をもらってあなたにことを聞いたときは、心臓が止まると思ったわ。兄も、十八歳のあなたが多くの人を助けるために死にかけたことに責任を感じているのよ」


 マーティンの気持ちは妹のサマンサには痛いほどわかる。

 警察官として自分が情けないと思っているのだろう。いくら魔術師といっても、ニックもオウタウの市民だ。兄にとって守るべき市民なのだ。

 そして、自分も兄も青年に大きな借りがある。その借りを返すことができないまま死なれるなどあってはならない。


「マーティンさんが、責任を感じる必要は、ありません。あくまでも、僕の、意志だ」

「あなたはどうしてそう極端なの?」

「どういう、意味ですか?」


 極端と言う、サマンサの言葉の意味がニックには分からない。

 首を傾げようとしたが麻酔のせいか上手くできなかった。


「講師の仕事をしているときは、よい講師であろうと魔術師のことを忘れて立派にやっていたわ。でも、魔術師に戻ったら、講師であったことを忘れて行動しているわ。自覚している?」

「いえ、言われるまで、気づきも、しませんでした。実際に、そう、言われても、僕はわかりません」

「でしょうね。もしも意図してやっていたら悪質よ」

「だけど、僕は、器用に、ふたつのことを考えるなんて、できないんです」


 そんなことは一年間ずっと彼を見続けてきたサマンサがよくわかっている。

 誰だって得手不得手はある。器用に生きられる人間ばかりではない。


「だからこそ、私にくらいは相談してほしかったわ」

「すみません、サマンサさん」


 胸の内をこぼした彼女に、ニックはただ謝罪するしかできなかった。

 色々な人に心配をかけてしまった。そのことを申し訳なく思う。だが、不謹慎ではあるが、心配してくれる人がいることを嬉しくも思ってしまうのだ。

 麻酔が効いていなければ、サマンサにわかってしまうほどの笑みが思わず浮かんでいただろう。そしてきっと、彼女に怒られていたはずだ。


「これからどうするつもりなの? 関わるな、と言っても聞いてくれないようだから、今後どうするつもりなのかくらい教えてほしいの」

「イリーナ・バンを、探します」


 簡潔に答えた青年に、サマンサはイリーナのことを思い浮かべる。

 塾の生徒であり、捜索願が出されたことも知っている。彼女の失踪がすべてのはじまりだが、講師として、一個人として彼女のことを心配していることには変わりはない。


 兄からは今回の事件に巻き込まれたと考えるのが妥当だと言われているが、できればそうでないことを願う。

 一般人のサマンサだからこそ、【異界の住人】が恐ろしい。魔術師でも、警察官でもないからこそ【異界の住人】があまりにも不可解な脅威としか見ることができず、怖くてしかたがない。


 そんな恐ろしいものに生徒が関わっているとは思いたくもない。できることなら、関係ないところで元気でやっている、そんな結末が望ましい。サマンサはニックと同じようなことを願っていた。


「イリーナさんのことは警察も探してくれているようだけど、今回の事件が事件だけに、人員はあなたに大怪我を追わせた犯人を総出で追いかけているそうよ」

「それがイリーナの、救出に繋がると、僕は、思っています」

「ニックがそう思う根拠はなにかしら?」

「魔術師としての、勘です」

「魔術師としての、ね。いいわ、私が望むのはニックとイリーナが無事に帰ってくることだけ。大丈夫よね?」

「問題、ありません」

「じゃあこれ以上私は言わないわ。だけど、私がニックのことを心から心配していることだけは覚えておいてね」

「そんなこと、言われなくても……いつも、心配させて、すみません」


 素直に返事をしない後輩に若干の不満もあるが、この青年は結構ひねくれたところがあるので今さら気にするのも無駄だと諦める。

 彼の心には壁がある。そう感じることがサマンサにはあった。

 人と必要以上に関わらないようにする癖が、彼にあることはわかっている。素直に返事をしないときは、これ以上踏み込んでほしくないというサインだと感じていた。


「塾は、どう、なっていますか?」


 麻酔から覚めたばかりと、体力の低下から口調がたどたどしいが、思考は不思議なくらいにクリアになっている。言葉にしなければいけないことが大変だが、気になってしまったからには聞きたくなる。


 なによりも生徒たちが心配だった。あの化物が街に放たれたのだ。市街地で【異界の住人】が暴れれば、一瞬で街は地獄と化すだろう。

 その地獄に生徒が巻き込まれるのだけは避けたい。いや、生徒だけではない。オウタウに暮らす人々が、傷つき悲しむのは嫌だ。


「警察は、逃亡犯が街へ潜伏しているという緊急措置を取ったわ。塾は休校。学校関係や、企業の多くも可能な限り休みにして、自宅へ帰り家からでないようにとなっているけど……いったいどれほどの人がいうことを聞くかしら?」

「オウタウでは犯罪者は、珍しく、ありませんからね。だからといって、【異界の住人】が現れた、とは言えませんよ」

「市民には知る権利があるわ――と、言いたいけど、言ったら大混乱になるわね。簡単に想像ができるわ」


 彼女もまた混乱している。それ以上に、ニックのことが気がかりだということに、とうの彼自身が気づいていない。少しだけサマンサはそのことが不満だった。

 緊急措置を取ったところで、多くの市民は昨日とさほど変わらない生活を送るだろう。オウタウの街は大都市だけあって、犯罪事件は多い。一般人が起こすものだけではとどまらず、数多の犯罪が跋扈している。


 そんな街に住んでいると、逃亡犯の潜伏など珍しいものではない。緊急措置が取られたことから大捕り物があると思う程度だ。まさか【異界の住人】が街にいるなどと誰も夢にも思わない。所詮、真実を隠せばそんなものだ。しかし、それでいいのかもしれない。


 もしも仮に、真実を市民が知ってしまえば、街は大混乱となること必須だ。

 今までに【異界の住人】が現れたことがないわけではない。しかし、奴らの出現率は多くないことが幸いだが、そんな反面一度でも現れると、【異界の住人】は魔術師に殺されるまでこの世界から消えない。


 理由はわからないが、決して元の世界に帰ろうとはしない。そもそもどこからきたのかもわかっていないのだから送り帰すこともできない。


 奴らがこの世界に現れるとき、強力な魔力が発生し、時空が歪む。その歪みから【異界の住人】が現れるということ。そして人間を餌として食うこと。わかっていることなどその程度だ。

 だからこそ、魔術師協会も、国も、警察もうかつに【異界の住人】が現れたと言えないのだ。


「確かに、知る権利は、誰にでもあると思います。ですが――知らないことが幸せ、ということも、世の中にはあります」


 ニックだって魔術師じゃなければ、【異界の住人】と関わることなどしたくない。いや、魔術師だったとしてもごめんだ。イリーナの失踪が、今回の件と関わっていなければきっと戦うことはなかったはずだ。しかし、すぐに違うと思い直す。


 ヴェロニカ、マーティン、サビーナといった仲間や知人が関わっている。その時点で、結局ニックは放っておけなかったのかもしれない。

 あれだけ関わりたくないと思っていたというのに、今さらながらにそんなことを思った。


「言い忘れていたけど、あなたに謝ることがあるの」

「サマンサさん?」

「ニックにご執心の彼女――シャーリー・メンデスさんに兄との電話を聞かれてしまったの」


 サマンサはニックが死にかけたことを聞き、大きく動揺してしまった。まさか生徒が近くにいたなど気づかずに、動揺を隠せず知られてしまうという失態を晒してしまったのだ。

 口にすることはないだろうが、それだけ自分にとってこの青年が大事だったのだ。


「まさか、【異界の住人】のことを?」

「さすがにそこまでは、大丈夫よ。でも、あなたが重傷で入院していることを知られてしまったわ。ごめんなさい、まさか塾にきているとは思わなくて。病院にもきたいと言っていたのだけれど、ニックの様子もわからなかったし、今は外が危険だから連れてこなかったのよ」

「サマンサさんが、謝ることは、ひとつもありませんよ」


 謝ってもらうことでもない。ただ、シャーリーに心配をかけてしまうのは嫌だなと思う。


「私から釘をさしておいたけど、もしかしたら病院にくるかもしれないわ。もしも現れたなら、ニックから家でおとなしくしているようにと言い聞かせてね」

「わかりました。もしも、きたら、言っておきます」


 朝、ニックはシャーリーと別れてそのままだ。どうして彼女が塾にいたのかはわからない。もしかすると、イリーナのことを電話で伝えたことで自分が塾へと戻ったのかと思ったのかもしれない。


 思い立ったら動かずにはいられない子だから病院まできてしまう可能性もある。行動力のある彼女のことは嫌いではないが、この非常時には困る。

 シャーリーが自分に好意を抱いてくれていることは知っていたが、どうしてなのかと不思議だ。その好意もどういう好意なのかまでは、さすがのニックにも理解できない。

 ただ、あの子の感情がくすぐったく、それでいて怖かった。


「話すのが大変そうね。長居してしまったみたいだから、私はこのあたりで失礼するわね。本当は私も出歩いたらいけないのだけど、帰宅途中だったから寄っちゃったのよ」


 悪戯めいて小さく笑うサマンサに、ニックも笑みを返した。確かに、話すという行為に疲労を感じていたのも事実だった。隠していたつもりだが、上手くできていなかったと反省する。必要以上に先輩講師に心配をかけたくなかったのだ。


「今はとにかく体を治すことだけを考えてね。絶対に戦おうなんて考えたら駄目よ。ニックは、もうするべきこと以上のことをしたのだから。いいわね?」

「……この体では、他の魔術師の足を、引っ張るだけです。大人しく、していますよ。それよりも、気をつけて帰ってくださいね、サマンサさん」


 戦うなと言ったサマンサに青年は返事をしたが、その返事が嘘だと彼女は見抜いていた。

 相変わらず嘘が下手だと思う一方で、やはり戦うことを選んでいることが、ただ悲しい。


 こんなことにならないよう、魔術師から距離を置かせて近い年齢の生徒と接することができる塾の講師を紹介したというのに。結局、ニックの根本は魔術師なのかもしれない。


 一度は塾の講師を専念することを考えていたことを知っているだけに、残念でならなかった。

 できることならば、このまま病室に閉じ込めておきたいとさえ思う。

 同時にそれが不可能なこともわかっていた。


「心配してくれてありがとう。気をつけるわ。じゃあ、また顔を見せるわね、おやすみなさい」

「おやすみ、なさい」


 やるせない思いに胸を締めつけられながら、サマンサはニックに手を振り、静かに病室を後にした。

 ひとりになったニックは、脈拍を測る電子音を子守唄に、すぐに睡魔に襲われた。

 もしかしたら、また懐かしい夢を見るのかもしれない。そんなことをただ思いながら。




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