第34話「ニック・リュカオン・スタンレイ」3



 強者の戦い程、長引かないものはない。子供の喧嘩ならいつまででも続きそうだが、命の奪い合いにおいて、強者が戦えば決着など一瞬で着くことも珍しくはない。

 ニックは強者だった。そして変貌を遂げたバロンもまた強者であった。


 しかし、二人の戦いは実に長い。

 理由はわかっている。老人は変化した体が上手く使えなかった。今では幾分マシになったが、それでもまだ使いこなせていない。ニックの場合は本気で戦えなかった。無論、手を抜いていたわけではないが、青年が本気を出してしまうと周囲を巻き込んでしまうのだ。


 戦う場所と相手が悪かったとしか言いようがない。だからこそ、バロンを殺すために、本気を出すには被害を覚悟しなければいけない。その被害を最小限にするために、沖合の海上に戦うための舞台を作らせた。


「理性が残っている内に殺してあげることが、唯一の情けかもしれません。僕は、こんな結末などふざけているとしか思えない。だけどあなたが危険すぎることは変わらないし、なによりも犠牲を出し過ぎた。こればかりは許せそうもない」

「許される必要もなければ、許しを請うつもりもない! 貴様さえ、貴様さえいなければ私が勝者だった。そうだろう、ニック・リュカオン・スタンレイ!」


 剛力招来を維持したままの最強の魔術師と【異界の住人】と化した化物が、互いに暴力をぶつけ合う。打撃だけに収まらず、ニックが魔術を放てば、バロンもまた魔術で応戦していく。刀による斬撃で斬り裂かれれば、あっと今に回復して見せる。

 戦いによる経験で、老人は【異界の住人】としてどんどん進化して、成長し、学習していた。このままでは魔力が切れてしまえい、敗北するのは青年のほうだ。


「そうかもしれません。だけど、僕を関わらせたのは他でもないあなただ。僕の生徒を誘拐した挙句、餌にしようとした。それだけにとどまらず、もうひとりの生徒もあなたは食おうとした。その行為はあまりにも卑劣で、下種だ。許せるはずがない」

「貴様が私を殺そうとしていることは許されるというのか?」

「いいえ、許されるわけがない。殺しとは、あまりにも卑劣で恥ずべき行為だ」

「ならば――」

「それを自覚してでも、殺さなければいけないと覚悟してしまうほど、あなたは危険だ。道を間違えすぎた。もう戻ってくることはできない。あなたには、残念ながら戻ってくるべき場所がないんです」


 氷の精霊がニックの魔力を糧として、氷の槍を作りだしバロンを貫いていく。


「この程度では死なんぞ」


 幾本の槍に貫かれながらも、動きを制限された状態であろうが、バロンからはまだ余裕が伝わってくる。対して、青年はそろそろ活動限界が訪れようとしている。気を抜いてしまえば倒れてしまいそうになる。よくもここまで戦えたと、自分を褒めたくなった。


 塾で生徒の相手をしたい。同僚の講師たちに、最近の流行を知らないとからかわれたい。


「確かに貴様は強い、強すぎる。【超越者】となったのも必然と思える。しかし、それだけだ。所詮は人間。人間としての限界を破ることはできない。ゆえに私に殺される」

「できませんよ」

「なに?」

「僕がどうして戦いの最中に会話をするという、危険な行為をしていたと思いますか? どうして、こんな場所に氷の舞台を作ったと思いますか?」


 バロンは答えない。青年の問いに対する答えをもっていない。


「この氷の舞台は、先ほども言った通り、幾人もの魔術師たちが協力して作り出してくれました。永久凍土とまではいかないですが、それに近い氷の舞台です。突貫作業だったために、きっと今ごろ誰もが魔術不足で倒れているでしょう――ここがあなたの墓標です」


 静かに、そしてはっきりとニックは告げた。


「あなたと街で戦ってから、単純な攻撃ばかりをしていたことに気づいていましたか? 僕はずっと詠唱をしていたんですよ」

「詠唱、だと? そんなに長い詠唱があるはずがない。いや、仮にあったとしても会話をしながら詠唱するなど聞いたこともない」

「――天覧てんらん魔術」


 聞きなれない魔術名に、知らないと言おうとしたバロンは、記憶に埋もれたひとつの魔術を思い出した。彼は声を震わせて問う。


「……まさか、貴様は失われたといわれる魔術を使えるというのか! ここに星を振らせるつもりかッ!?」

「自慢にもならないので言いたくはありませんでしたが、【超越者】には特権が発生します。強い魔術師により強い魔術を覚えさ、脅威から人々を護るために。僕がその特権の中で学んだのが天覧魔術です」


 天覧魔術とは、天から星を振らせる魔術である。その攻撃力はひとつの国を滅ぼしたという記録も存在している。詠唱を必要としない代わりに、大量の魔力を魔方陣に流し続けなければいけないという本来ならば高位魔術師が数名、数時間から数日と時間をかけて行うものだ。


「時間こそかかってしまいましたが、準備は終わりました。ただ、使う場所だけが問題だった。いくらあなたが脅威だからといっても、街中で使える魔術ではない」

「禁術だぞ!」

「いくら魔術協会に学ぶことを許可されていたとしても、自己判断で使っていい魔術ではないことは十分に理解した上での判断です。あなたを殺したあとに、喜んで捕まりましょう。あなたも最後に知っておいたほうがいい。――行動には責任が伴うということを」


 ニックが空を指さす。赤く光る流れ星がひとつ、二人が立つ氷の舞台へと向かい降ってくる。とっさに逃げ出そうとしたバロンの体を、氷の精霊たちが捕まえ拘束していく。


「逃がしはしません。ここですべてを終わらせます」


 降ってくる星は大きくない。ここにたどり着く前に小さくなり、凍土と化した海面ごとバロンを葬ることができる程度だ。しかし、直撃すれば、化物一体を葬るには十分すぎる攻撃となるだろう。


 言葉にならない絶叫をあげて、氷を砕こうとするが、それだけの力がバロンにはない。ニックは時間を稼ぐためだけではなく、老人から力を奪うためにも戦い続けていたのだ。ようやく、その努力が実を結ぼうとしていた。


 仮に、もっと多くの人間を餌として食らっていたら話は別だったかもしれない。しかし、この場に置いて、もしもという過程は存在しない。


 天覧魔術――赤いほうき星。


 ニックは幾重にも防御障壁を展開し、バロンに背を向けて走り出す。

 いくら街へ被害がない程度の星を降らせようとも、青年自身は間違いなく巻き込まれる範囲の中にいた。だが、このままバロンと心中するつもりはない。

 少しでも影響を受けない場所を目指し、氷の上を走り続ける。


「待って、待ってくれ! 置いていかないでくれ、頼む! 私は死にたくない、こんなところで死んでしまうわけにはいかない! 頼むから助けてくれ!」


 迫りくるほうき星が直撃すれば、いくら【異界の住人】となった体でも耐えきることができないことをバロンは本能で理解していた。


 ニックの魔術だけではなく、他の魔術師たちの攻撃でも死ぬことはなくても体に傷は負うのだ。魔術とは比べ物にはならない星の一撃を食らえば、塵も残さないことは明白だった。


 ゆえに化物は絶叫し、懇願する。本当の死を目の当たりにして、人間としての意志が死にたくないと現れてしまった。しかし、青年は振り向きもしない。そんな余裕は彼にもないのだ。


「さようなら、バロン・トルネオ。僕たち魔術師は善にも悪にもなれる。そして、あなたは悪になった」


 別れの言葉を告げることだけが、ニックには精一杯だった。彼がどのような顔をしているのかも青年には見ることさえできない。


 そして、ニックの背後で、【異界の住人】として変わり果てたバロン・トルネオにほうき星が音を立てて直撃し、異形の体を消滅させた。



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