第35話「終幕 新しい日々へ」




 バロン・トルネオとの戦いの翌々日、ニック・スタンレイは病院に入院していた。

 ほうき星によってバロンを消滅させた直後、その余波によって大きく吹き飛ばされてしまった青年だったが、幾重にも展開していた防御障壁のおかげと、海に落ちたことが重なり、奇跡的に大怪我を負うことなく済んでいた。


 しかし、氷が漂う海面で意識を失い漂流していた彼は、発見が遅かったら手遅れだったと医者が怒りだすほどだ。体温の低下や手術後の体を海水に濡らすという暴挙は数知れない。


 なによりも、一度は死んだ身でありながら、魔術を行使して無理やり戦ったことで傷が開き、再終術が必要なほどだったのだ。

 ひとつでもなにかが違えば死んでいただろうと医者は判断した。まさに奇跡の生還だった。


 今では怒り狂った医者によって、体中をギブスと包帯で固定されている。おかげで先ほど目を覚ましたばかりのニックは、動くこともままならない。近くにヴェロニカがいることがわかるが、聞こえてくる寝息から起こすのも忍びない。


 視界の中には、なぜかシャーリーがベッドにうつ伏せになり眠っている。二人とも、そばにいてくれたのだろう。少女が少し動くだけで体に激痛が走るのは、無理をした罰なのだと思うことにして甘んじて受けた。


 こうして生きているということはバロンを倒せたのだろう。そうでなければ、ここにヴェロニカもシャーリーもいないはずだ。ただし、禁術を使ったことに関して言い逃れはできず、目撃者もいる。もっとも、ニックは言い逃れするつもりはなく、おとなしく捕まることを覚悟していた。


 コンコンコン、と病室が控えめなノックが聞こえ、マーティン警部が現れた。

 化け物によって腹部を貫かれた警部だが、ニックの応急処置と病院での対処が早かったためか、松葉づえ手放すことはできないが、すでに現場に復帰しているようだ。


「おっ……ようやく目を覚ましたか、ニック」

「お互いに生きているみたいですね」

「そうだな。俺もお前もよく死んでないと感心するばかりだ。お前がメテオストライクしたあとのことを聞くか?」

「教えてくれるなら、是非」


 マーティンはパイプ椅子を用意して部屋の窓際へと腰かける。


「まず事件が無事に終わったことを報告する。そして、事件に関わらせたこと、ひとりで化物戦わせてしまったどころか、決着までつけさせてしまったことを心から謝罪する。それ以上にニックがいなければ事件はもっと酷いことになっていた。だから心から感謝もしている」

「感謝の気持ちは受け取っておきますが、謝罪は結構です。僕は僕の意志で戦いましたから」

「お前はそう言ってくれるが、おっさんの俺からしてみればそういうわけにはいかん。サマンサにも死ぬほど叱られた」


 苦笑いを浮かべるマーティンに、青年は小さく笑う。その光景が容易く想像できたからだ。


「確認できた被害者は四八人。もしかするともっと増えるかもしれないな」

「……被害の数をもっと少なくしたかった。そう思ってしまうことは傲慢でしょうか?」

「傲慢だな。と言っても、俺だって気持ちは同じだ。しかし、俺たち人間には救える命は限られている。それを忘れてしまえば、救える者も救えない。嫌な話だが、魔術師だろうが警官だろうが、誰にでも平等に限界はあるってことだ」


 理解はできるが、したくない。しかし、彼の言葉は紛れもない真実だった。

 人間は神にはなれない。神がいたとしても、救われない者もたくさんいる。そんな世界で、多くの者を救おうとするのはおそらく傲慢なのだろう。


「バロン・トルネオは完全に消滅したようだ。昨日から今日にかけて捜索チームが結成され、遺体を探したが見つからなかった。氷の舞台も粉々だ。俺も現場を見てきたが、あれで死んでなければもうお手上げだろ。まあ、しばらく漁業には影響が出そうだがな」

「それに関しては申し訳ないとしか言いようがありません」

「人が死ぬよりはマシだ。被害はないに等しい。サビーナ率いる魔術師たちと、ヴェロニカが空っぽの魔力で必死に障壁を張っていたから海以外の被害はなかった。漁業関係者には、国から補助金も出る。まあ、お前が気にするほどのことにはなっていないさ」

「そう、ですか、ならいいんですけど。それで、僕の処遇は?」


 戦いの中で覚悟していたことだが、やはり問わずにはいられない。

 すると、マーティンはニックを驚かすには十分すぎる結果を伝えた。


「無罪だ。お前は気に入らないかもしれないが、国も魔術師協会も、オウタウ高等裁判所も満員一致で無罪放免だ」


 青年は呆けた顔をした。まさか、無罪とは思っていなかった。

 禁術によって星を降らせたのだ。それがどれほどの脅威となるのか子供でもわかるはず。なのに、無罪というのはいささか受け入れることができない。

 同時に、もしかしたら裁かれたいという気持ちもあったのかもしれない。


「関係者の誰もが口をそろえて、禁術を使わなければ勝てなかったと判断した。街で使うことなく、しっかりと舞台を整えて海上で使ったことも正しい判断だとされた。なによりも、最強の魔術師の称号リュカオンを持つ、ニック・リュカオン・スタンレイがそうしなければいけなかったのならば、それを罪に問うことはできない、とのことだ」

「信じられない、と言うのが素直な感想です」

「だろうな。まあ、今言ったのは表向きのことだ。もちろん、判断としては正当だが。裏というべきか、なんというか、まずニックの生徒であり被害者のイリーナ・バンの父親は会社名こそ伏せるが、企業の重役で上の連中にもコネがある。娘を命がけで救ってくれたことへの感謝から必死で動いたそうだ。そして、バロンが最後に所属していた研究機関が国家運営だったことから、元職員の不祥事を片付けたお前に下手なことはしたくないという配慮もある」


 前者はともかく、後者は知りたくなかったとニックは苦笑いをして肩を落とした。

 ただし、とマーティンが指を一本立てる。


「退院後に、魔術協会と国が指定したカウンセラーに通うことが条件として義務付けられている。一年のブランクにも関わらずに大戦闘、禁術使用、そして救えなかった命と、奪った命。これらを含め、一度自分を見つめ直せとお達しだ。刑務所に入るよりはマシだと思うぞ」

「そうですね。僕もそう思います。この条件を受け入れますよ」

「そう言ってくれると助かる。色々と納得できないことはあるかもしれないが飲み込んでくれ。じゃあ、俺はお前が目を覚ましたことと、条件を受け入れることを承諾したことを伝えにいく。早い方がいいだろうからな。明日にでも顔を出す、サマンサにも連絡しておく。大事にな」

「マーティンさんこそ、お大事に」


 お互いに頷き合うと、マーティンは病室を静かに後にした。

 残されたニックは、傍らで椅子に腰かけ眠っているヴェロニカに声をかける。


「もう寝ているふりをしなくていいですよ」

「……気づいていたの?」

「もちろん。マーティンさんが入ってきたときに、音で目を覚ましたでしょう。眠っているふりをするなら唾を飲む回数を減らさないといけないんですよ」

「……どこで覚えてくるのよ、そんな知識を」


 酔っぱらった同僚講師に、眠ったふりをしている女の子の見分け方と称して延々と説明をされたとはヴェロニカに言えるはずもなく、ニックは曖昧な笑みを浮かべて誤魔化した。


「話は聞いていましたよね。まあ、あんな感じで決着がつきました。罰を受けることを覚悟していたので、少しだけ肩透かしです。でもよかったんでしょうね、シャスティンがもうすぐ戻ってくるのに、僕が入れ替わるように刑務所に入るわけにはいかないですから」

「……ニック。あのね、本当に今回はありがとう。ニックがいなければ、事件は解決することができなかった。バロンを倒すこともできなかった」

「マーティンさんも同じようなこと言っていましたよ。でもね、僕は――できることならバロン・トルネオを殺したくはなかったんですよ」


 命を奪って終わりではなく、例え死刑になったとしても、捕まえてしかるべき場所で罪を明らかにし、罰を受けさせたかった。

 それが人間の償い方だ。ただ殺して終わりでは、化物の末路になってしまう。


 しかし、バロンの末路は化物としての末路だった。被害者に謝罪の言葉もなく、自らが起こした罪を自覚して悔いることもできない。そんな終わり方にさせたくなかったのがニックの本音だった。だが、物事はそう簡単に思い通りにはならない。改めてそのことを痛感した。


「私たちは全知全能じゃないわ。救えない命もあるからこそ、救えた命を大切にしなければいけないの」

「そうですね、悔いるよりも前に進む。その方がとてもいい」

「そういうことよ。それで、あなたはこれからどうするの? さっきの言い方だと、事務所に戻ってきてくれるような感じだったけれど?」

「色々と考えさせられることがあったので決めました。僕は魔術師を続けます、事務所にも戻ります。だけど、僕はもう少しこの子たちの先生でいたい。だから両方やります」


 眠っているシャーリーを優しく見つめ、ニックは決意を込めて言った。

 まだニックは人生の試行錯誤をしている最中だ。一度大きな失敗をして、挫折を味わいもした。それでも周りの支えもあって、別の道も見つけることができた。


 ならば支えてくれた人のためにも、新たに出会った人のためにも、そして仲間のためにも青年は模索しながら前に進もうと思った。


「欲張りね。一年前よりも、随分と欲張りになったわね」

「そうだね。どうやら僕は、自分が思っていた以上に欲張りだったみたいだ」


 これからどうなるのかまだわからない。魔術師を続けた先になにがあるのか、塾の講師を続けた先になにがあるのか、未来は不鮮明だ。

だけど、それでいいんだ。きっとそのほうが楽しいと思う。


 多くの選択肢の中で、たとえ間違った選択をしようと、後悔などしないように精一杯生きよう。

 今が大事だと思える気持ちに気づくことができたニックが、考え抜いたひとつの答え。



 それは――前に進むこと。





  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

正しい魔術の使い方 飯田栄静@市村鉄之助 @itimura-tetsunosuke

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ