第33話「ニック・リュカオン・スタンレイ」2




 だんっ、と本来ならするはずのない音を立てて、ニックは海面に着地した。同時に、バロンを蹴り飛ばし、さらに沖へと走る。

 魔糸を掴み、魔力を込めて拘束を確実のもとする。

 沖へとひたすら走り続ける。街から一歩でも遠くに離れるために、化物を引きずり続ける。


「がぁッ、ぐッ、おのれッ、なぜ、だッ!」


 決してなめらかではない冷たい海面を引きずられ、岩のように硬い隆起したなにかにぶつかっていく。

 何度も体中を撃ちつけられてようやくバロンは気づく。自分が海面に作られた氷の上を引きずられていることに。


「いつ間に、こんなものを作りだしたああああああああッ!」


 言葉の途中で投げられ、氷の壁へと激突する。


「あなたが僕と悠長の話しながら戦っている間に、みんなが作ってくれました。永久凍土――とはいきませんでしたが、それに近い氷の舞台を短時間で作ってもらったことには感謝してもしきれません」

「なるほど、ここを私の墓場にする気か?」


 氷壁を滑り落ちた老人は、ようやく魔糸を引きちぎると、空腹に腹の音を鳴らしながらニックへ問う。しかし、青年は首を横に振る。


「ある意味ではあっていますが、本来の意味は違います。ここは、僕の魔術に耐えられる場所を用意してもらった。ただ、それだけです」

「ならばその魔術そのものを打ち破り、私が勝利しよう! 貴様をはじめ、他の魔術師を食いつくして私はこの空腹から逃れ、更なる進化を果たそう!」


 最強と化物が睨みあう。


「いいでしょう。もうここまでくれば、力と力のぶつかり合いでしかない。本来、魔術なんて所詮はその程度でしかないんです。戦いなんて、拳を握ろうと、剣を振ろうと、魔術を放とうと、結局は力比べだ」

「魔術師が魔術を否定するようなことを言うとは、やはり貴様は興味深い。何度も言葉を交わしたが、君ほど話が通じる人間はいなかった。そこで私は思った、ニック・リュカオン・スタンレイ。貴様は異常だ」

「随分な言われようです。現在の自分自身の姿を見ても僕を異常と言えますか? 僕からすれば、そんな姿になってまで貪欲に生きようとするあなたのほうが異常だ」


 第三者がいればどちらも異常だと言うだろう。

 異常最強の魔術師異常化物は、互いに小さく笑い出す。

 笑い声が次第に大きくなり、最後には大笑いとなる。


「認めましょう。僕は異常だ。この身に宿る魔力も、化物と戦うことができる精神も、なにもかも異常だ!」

「私も認めよう。研究として数多の命を奪ったにもかかわらず、自らは貪欲に生きようとする私は異常だと!」

「ならば異常者同士、決着をつけましょう」

「望むところだ。勝利して、餌にしてやる」


 ニックはほとんど服として機能していないシャツを脱ぎ捨てる。現れた上半身には、淡く光る魔方陣が浮かんでいた。


「貴様……なんだ、それは。なにをした?」

 困惑の表情が、バロンの異形の顔に浮かぶ。

「種明かしはあとにしましょう。決着を着ける前に、あなたに尋ねたいことがあります」

「なにかな?」

「あなたに、まだバロン・トルネオという人間としての理性は残っていますか?」

「残っている、残っているとも」


 ほぼなくなり欠けてはいるが、まだ人間という殻を完全に破りきれていない。人を食ったとしても、まだ進化しきったと思えない。忘れていたことを思い出し、わずかに声に不快感が混じる。


「今さらですが、あなたはこんなことをして、なにがしたかったのですか?」

「私はただ、研究者として【異界の住人】の魅力に取りつかれただけだ。しかし、私は学界を追放されたのだ。ならば、研究を完成させ、称賛を浴びたい。追放した連中を見返したい。そう思うのは当然だろう。だが、そうだな、そんなことよりも――ただ【異界の住人】になりたかっただけかもしれない」

「……そうですか」


 バロン・トルネオの狂った研究の根源に触れた気がした。しかし、老人に人間としての理性が残っているなら、言わなければいけないことがある。それは、シャーリーを助ける前に、一度合流したヴェロニカから教えられたことだ。

 ニックは、静かに言い放つ。


「最後に伝えなければいけないことがあります」

「聞こう」

「あなたは先ほどをもって、【異界の住人】となりました。もうあなたは人間ではないと、ララシア国も魔術師協会も、あなたをただの脅威として認定したのです。あなたに家族がいないことが救いでした」


 きっと家族が存在すれば、今の情報化社会では瞬く間にさらし者にされてしまう。下手をすれば命までも奪われかねない。


「……そうか。なりたかったものになったと周囲から認められても、存外嬉しくもなんともないものだな」


 思うことがあるのか、感慨深げに言葉とともに大きく息を吐いた。変わり果ててしまった姿形から、今のバロンの表所が読み取ることはできない。唯一の声も、わずかに少し感情が伝わってくる程度だ。


 改めて、老人は人間をやめてしまったのだとニックは思った。なりたかった【異界の住人】として認められたにもかかわらず、そこに喜びを感じていない。まだ人間を襲っているときのほうが生き生きとしていた。


「あなたの研究成果は禁断の領域まで踏み込んでしまいました。この技術がどこかに流れれば、化物が溢れた世界になってしまう。いや、もうすでに技術が流れている可能性もあります。これ以上の技術と脅威の拡散を防ぐために、あなたの存在を消します」

「いいだろう、私はなりたかった【異界の住人】に名実ともになることができた。ならば化物として貴様を食らい、オウタウの街を地獄と化そう!」

「【異界の住人・上位種】。名をタイプヒューマン。魔術師協会規定により、このニック・スタンレイがあなたを殺します」


 上半身に光る魔方陣を輝かせて、ニックはバロンに襲いかかった。



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