第13話「異界の住人」1
思わず目を背けてしまいたくなるほど、凄惨な現場だった。
オウタウ南東の一角にある工場地域。廃墟となったビルの中は血の海と化していた。
ニックとヴェロニカが駆けつけるも、時既に遅く、十人以上の死傷者が出ている状況だった。
「ニックッ! きてくれたのか!」
「マーティンさん、状況を教えてください。話はあとにしましょう」
お互いに交わしたい言葉はたくさんあったが、今は個人の事情は置いておかなければならない。
元魔術師と警部はプロに徹した。
「ああ、そうだな。見た通りの地獄絵図だ。廃ビルだったのが不幸中の幸いだったかもしれん。周囲の廃ビルを四方八方に固めて、大規模魔術を撃ちたいところだが、上の許可がおりない以前にまだ避難が終わっていやがらねぇ」
苦虫を噛み潰したように、マーティンが吐き捨てる。
「まずい状況ですね。被害者は?」
「行方不明者から四人だ。見事に食われていやがる。そして、時間を稼ごうとしたブラフマーの魔術師と、巻き添えをくった警官が十人以上やらちまった」
ニックも顔を歪ませる。考えていた通り、被害者は餌となってしまっている。いや、餌とするために攫ったと言うのが正しいのだろう。
「イリーナ・バンは被害者の中にますか?」
「被害者は隣の建物の三階に放置されていやがった。見るのは覚悟した方がいい。損傷が激しくて検視待ちだが、残った衣類から若い女性はいなかったことだけはわかっている」
不謹慎だが、大きく息を吐きだして体から力を抜く。少なくとも今ここでイリーナが死んでしまったという事実がないことに、わずかな安心を覚えた。
青年は魔術師たちが【異界の住人】と戦っている廃ビルの中へと入ろうとする。だが、制止の声をかけられてしまう。
「待ちなさい、坊や」
「サビーナ・ブラフマー、なんですか?」
「坊やが中に入っても状況が一変するわけではないの。ここで待機していて」
「おいおい待ってくれよ、ザビーナ!」
現場指揮にあたっていた女帝がニックに待ったをかけた。それにマーティンが抗議の声をあげるのも無理はない。
せっかく【超越者】が戦いに赴いてくれようとしているというのに、なぜ止めるのかと苛立ちが隠せていない。もうすでに魔術師だけではなく、警官も殺されてしまったのだから、マーティンの怒りはなおさらだ。
このままでは現在進行形で戦闘をしている魔術師たちの命も危うい。そのことはサビーナだってわかっているはずだ。
「ローディー警部、私だって好きで坊やを待機させたいわけじゃないの。でもね、ニック・リュカオン・スタンレイでは駄目だわ」
「サビーナ、どういうことです? せっかくニックが戦おうとしているのに!」
「ああ、もう、ヴェロニカまで。ニックの気持ちはありがたいわ。よく戦う決心をしてくれたと思っているのよ。でもね、あの【異界の住人】は規格外なのよ」
「まてまて、あの化物どもが規格外なのは今に始まったことじゃねえだろ。ニックに戦わせない理由があるならはっきりとしやがれ!」
建物の中からつんざくような悲鳴が響く。誰もが思わず顔を顰めた。
「敵の数は三。【異界の住人】が二体とそれを操る魔術師よ」
「二体もいやがるのか?」
「ええ。姿こそ確認できているのは一体だけだけどね。ひとつ前の現場検証が終わった報告が今きたわ。歯型が二種類見つかったそうよ。そのことから私は【異界の住人】が二体いると判断しているわ」
ザビーナの推測に、マーティンとヴェロニカだけではなく、他の魔術師や警官たちが絶句して硬直する。
化け物一体でも絶望的なのに、もう一体いるなど、とてもじゃないが受け入れがたい。
「今、突入している班には無線で伝えているけど、姿を現していない二体目にも警戒して事を進めなければならないわ。だから、ここで【超越者】を投入するよりも、外に出てきた【異界の住人】を、彼を含めた私たち魔術師の総攻撃で叩いた方が有効と判断したのよ」
「一理あるが……」
「ローディー警部、あなたは魔術師ではないので言っておくわ。【超越者】は確かに戦力として非常に大きいし、頼りになる存在よ。だからといって、必ずしも【超越者】が【異界の住人】を殺せるわけではないの。だからこそ、私は化け物を殺すのに極力安全な手段を取るわ」
納得できかねているマーティンにサビーナがはっきりと告げた。
「ニック、あなたもそれでいいわね?」
「僕はそれで構いません。もう戦う準備はできているので」
「……相変わらず戦いの時になると、雰囲気が変わるのね。でもいいわ。突入班が【異界の住人】を建物から出すまでもう少し」
「――きますよ」
「え?」
女帝の言葉を遮り、青年が拳銃を抜いて、鋭く言い放つ。
誰もが視線を廃ビルに向けた。
「総員、構えッ!」
マーティンの指示に、ざっ、と音を立てて、ニックに続けて警官たちが拳銃を同じく廃ビルの入り口向ける。その銃口の数は五十。
人間相手であれば、過剰な数だが【異界の住人】相手では不安しか残らない。
ただの銃弾程度では化物は死んでくれないのだ。実際、ニックが構える拳銃は警官と違う、「魔弾」専用の特別製だ。
誰もが息を止める中、
――ずるり。
なにかを引きずる音がした。
ずるり。ずるり。ずるり。
水気のある音、引きずる音、水たまりを歩く音が響く。
誰もが呼吸すら忘れて、建物の入り口を睨みつけている。
そして、それは現れた。
赤黒く変色している巨体。腕や脚は大人の胴のように太く、身の丈も成人男性よりも二回り大きい。体毛は一切ない。あるのは、本能がむき出しとなったギラギラと光る瞳と、鮫のような鋭い牙。見るからに異形だった。
その異形の手には原型を留めていない、真っ赤ななにかが握られている。
人間だ。
おそらくは建物に突入したブラフマー魔術師派遣会社の突入班だろう。彼、もしくは彼女はあまりに無残な姿に変わり果てていた。
「撃てぇえええええっ!」
マーティンの怒号に、ニックを含め、警官隊が一斉射撃を始めた。
耳を塞ぎたくなるような不規則な音が、世界を侵食するように鳴り響く。
無残な遺体となった魔術師ごと、【異界の住人】が集中砲火を浴びせていく。背後にある建物の壁が崩れてしまうほど、大量の弾丸が放たれ、視界を悪くした。
一分も経たない内に、すべての警官の発砲が終わる。かちん、かちん、と弾がなくなってもなお、一心不乱に引き金を引き続ける警官たちには恐怖しか残っていない。なぜなら、
「そんな、嘘だろ?」
誰かの絶望の声が聞こえた。
そして、その声に応えるように、【異界の住人】はその場に立ち尽くしていた。
傷ひとつ負うことなく、防御の構えも取ることなく、なにもなかったかのように平然としていた。
瞬間、【異界の住人】が遺体を放り投げて、姿を消した。
たったひとりを除いて、化物が突然消えたようにしか目に映らなかった。
ただひとり、ニック・スタンレイだけが【異界の住人】と同時に動いた。
そして、
「上を見ろっ、上だっ!」
上空で【異界の住人】と激突した。
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