第12話「戦う理由」3




「一年前と全く変わっていないんだな」


 ニックは事務所の奥にある所員スペースでそんなことを呟いた。

 再び、『商売道具』を再び手にすることになるとは、一年前にこの事務所を出たときには思っていなかった。


 雨に濡れたスーツを脱ぎ捨て、ジーンズとシャツ、ジャケットに着替えていく。一年前のものだが、埃の臭いなどしない。きっとヴェロニカが洗濯をしてくれていたのだろう。


 ホルスターを腰につけると、右側に拳銃を差し込む。続いて左側にナイフを差し込めば、一年前と同じ格好だ。強いて違うとすれば、ちょうどよかった服の袖や丈が短くなっている。たった一年で体が成長してしまったのだと、時の流れを実感した。

 ジャケットに弾薬を詰め込むと、立てかけてあるロッカーを開けて中にある鏡をのぞき込む。


 以前よりも顔つきが違う気がする。

 もしかしたら残っているかもしれないと、ロッカーの中を漁ると整髪剤が出てくる。昔に戻るつもりはないが、ひとつの儀式のように、整髪剤で髪を後ろに流すようにかき分ける。


 伸びた髪が邪魔だった。そしてただ、昔の髪形に戻しただけ。

 もうすべきことはない。水道で手を洗い、部屋から出ると、待っていたヴェロニカへと頷く。


「渡したいものがあるの」

「僕に?」

「ええ、コハクからあなたへの遺した物よ」


 コハク、という名に思わず体を強張らせる。


 かつてエークヴァル魔術事務所の刀撃師とうげきしとして名を馳せていた『刀狩』のコハク。

 歳が近かったコハクとは、ヴェロニカ同様に思い出がたくさんある。なによりも、ヴェロニカが魔術の師であるならば、コハクは戦いそのものの師であった。


 今は亡き青年が、実戦の中で開発し、磨き上げ、昇華させた戦闘技術『刀衝術とうしょうじゅつ』をニックは受け継いでいる。彼には才能がないと笑いながら言われたが、技術だけは確かに受け継いだ。戦いの中で使えるように、これでもかというほど鍛え上げられた。


 刀技だけではない。体術も、魔術を使った接近戦もすべてコハクから学んだ。拳銃の使い方だけは、所長のシャスティンから学んだものだ。

ニックは、事務所の人間から多くを学んでいた。その結果として【超越者】と呼ばれるほどの魔術師になることができた。

 それがよかったのか、それとも悪かったのか、今はまだ判断できない。


「受け取って」


 差し出された手紙を受け取る。和紙に墨で書かれた達筆な文字だった。

 苗字もなく、ただコハクとだけ名乗った彼は、東方の島国の出身だと聞いたことがあった。なにもかもが嫌になって、刀ひとつ持って大陸に渡ってきたと言っていたことを鮮明に覚えている。


 いつか秘密を教えてくれると約束していたが、一年前の戦いで、ひとりで満足して死んでしまった。


 ――あの嘘つきめ。


 手紙を読むと、簡潔に書かれていた。


 ――我の遺産をすべてニック・スタンレイに。刀を、技術を、想いを託す。

 戦うことだけが戦いではない。生きることこそが戦いだ。

 我は戦いの中で死ぬことができればそれでいい。ゆえに悲しむ必要はない。満足して死んだはずだ。ゆえにお前も悲しまずに、前に進め。


 あまりにもコハクらしい身勝手な言葉だった。


「彼が死んでから私も知ったのだけど、コハクはいつ死んでもいいように週に一度、遺書を書いていたわ。ニックが事務所にくるまでは私物はすべて処分するようにとしか書かれていなかったけど、あなたと出会い、鍛錬と戦いをともにするようになってからは、どれも今と似たような内容だったわ」


 書き直した遺書は捨ててなかったのよ、と苦笑するヴェロニカはどんな気持ちで遺品整理をしたのだろうか。

 彼女の手には、かつてコハクが愛用していた刀が握られている。

 名もなき刀、されど名刀と称しても文句の付けどころのない業物。コハクは『名無し』と呼んでいた。


 オウタウ一の剣士『刀狩』のコハクが最も敵を斬った愛刀。そしてもう一振り、攻撃と防御のどちらにも適している、小太刀。名を、『緋火ひひ』。緋色の鞘に納められた、これもまた業物だった。

 ニックは受け取ることができなかった。あまりにも荷が重く、突然すぎる。


「僕には受け取ることができない。まだ、コハクの死を整理できていないんだ。だから――」

「そう言うと思っていたわ。私も無理強いをするつもりはないのよ。でも、いつか、例えニックが魔術をやめていたとしても、コハクの望みの通りに刀を受け取ってあげて」

「……そうだね」


 遺された刀を受け取ることを拒否したニックをヴェロニカは責めなかった。彼女もまた、青年同様に仲間の死を受け止めきれていないのだ。

 事務所内唯一の死亡者になったコハクは、残された者の心に大きな傷を残していった。


「刀を置いてくるわね」


 そう言い残して、ヴェロニカはひとり部屋から出ていく。彼女に返事をすることなく、ニックは考える。どうしてコハクは自分に刀を残したのだろうか、と。

 決してよい弟子ではなかったはずなのに。刀を、技術を、想いを残すと言われても受け止めきることができない。なによりも、まだコハクが死んだことを受け入れることができていないのだから、遺品をどうやって受け取ればいいのかもわからない。


 あのとき、死の間際に満足の笑みを浮かべていた兄であり師でもあった青年を思い浮かべて、殴りつけたくなる衝動に駆られる。あいつは満足したのもしれないが、もっと生きていて欲しかったのだ。


「死んだら終わりじゃないか。馬鹿野郎」


 それでもきっとコハクの人生では、大往生だったのかもしれない。


「ニックっ!」


 亡き仲間のことを思い浮かべていると、ヴェロニカが悲鳴のような声をあげて走ってくる。


「……どうしたの?」


 嫌な予感がした。


「マーティンとサビーナから連絡が来たわ、【異界の住人】が街に現れたわっ!」

「さっき現場が見つかったばかりで、もう次の動きに移ったのか!」


 走りだそうとした青年をヴェロニカが呼び止める。


「まって、まだあるのよ!」

「いったい、なんなんだ!」

「新たな被害者は四人。全員が、同じ行方不明になっていた人たちよ」

「やっぱり餌にするために攫っていたのか。これだと、イリーナがどうなっているのか……最悪な未来しか浮かばない」


 確証が欲しかった。イリーナ・バンが無事かどうかだけでも、明確な答えが欲しかった。

 自分が関わることを決めた瞬間に、こうも事件が展開を見せるとは、まるで呪のようだとは思えてならない。


「私は現場に向かうわ。もう戦いは始まっていると思うから。ニック、あなたはどうするの?」

「僕も現場に向かう。化物を操る魔術師の顔を拝んでおきたい、もしもイリーナが攫われていたら、犯人はそいつに間違いないはずだから」

「ならいきましょう。時間が惜しいわ」


 二人は事務所を飛び出して、街へと向かって走り出した。

 雨がさきほどよりも強くなっている。まるで空が泣いているようだった。



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