第11話「戦う理由」2




 なんとも言えない沈黙が発生していた。原因はわかりきっている。自分とヴェロニカのせいだ。

 二人しかいないので、なにをいまさらと思うが。とにかく、ニックはこの沈黙をどうにかしなければと、思考をフル回転させていた。だが、どう声をかけたものかと言葉に詰まったまま動くことができない。


「気が変わったのかしら?」


 代わりにヴェロニカの方から尋ねられた。青年は、そうじゃないと首を横に振り、シャーリーとイリーナのこと、マーティンと会ってきたことを彼女に話す。

 返事はない。なにかを考えるように、ニックの話を聞き終えた彼女は腕を組んで静かにたたずむ。


「それで、一年振りにこの事務所にどうしてきたの? だいたいの予想はつくけれど、できればニックの口から聞きたいわ」

「……都合のいいことだと重々承知しているけど、生徒のために情報をくれないか?」


 誤魔化すことなく、目的を述べる。

 できることなら、イリーナが本当に攫われているのかどうかを確かめたかった。曖昧な可能性を全部潰して、残された正確な答えにたどりつきたかった。

 その答えによっては、するべきことをしようと思っていた。まだ、なにができるかわからないが。それでも、なにかできるかもしれないと考えている。


 青年の訪問に、ヴェロニカは少しだけ安心していた。この一年で変わってしまったと思っていたが、そうではないことを知ることができたからだ。

 ニックはあまり誰かに心を許さない。興味のないことには関わらない。冷たい一面を持っているなど、野良猫のような性格をしていた。

 ただし、一度、心を許せば、その誰かのために、自分を犠牲にすることを厭わないところがある。


 心を許すほどではなかったとしても、彼にとって生徒というのは、一度は離れた事務所に戻ってくるほど守りたい存在なのだろうと察することができた。

 大きくため息をつき、ヴェロニカは続けて尋ねる。


「事務所に戻る気は?」

「悪いと思うけど、今はない」

「魔術師をやめる気は?」

「昨日は、そういう選択肢もあるって意味で言っただけで、なにもすぐにすぐやめようなんて思っていないよ」

「そうなら、ちょっと安心したわ。ねえ、マーティンから【異界の住人】の件を私とサビーナの会社で請け負ったと聞いてどう思った?」

「心配したよ。無謀だとも思った。あんな化物と戦わないほうがいい」


 嘘偽りのないニックの本心だった。なにが悲しくて死の化身を相手にしなくてはならないのだ。


「でも私は戦うわ。今、このオウタウで【異界の住人】に対抗できるのは、己惚れるつもりはないけれどブラフマー魔術師派遣会社と私だけよ」


 それがわかっているからこそニックは彼女を心配したのだ。責任感があり、事務所を守ろうとしていて、なによりもサビーナとは親しいヴェロニカが彼女を助けないわけがない。


「無謀だと笑う? 【超越者】ではない私が、偉そうなことを言うなとあなたは思うかしら?」

「そんなこと思ったりはしないよ。だけど、常に危険がつきまとう魔術師の戦いが、さらに危険な【異界の住人】という化物を相手の戦いになるんだ。とてもじゃないけど、ヴェロニカだけじゃ危険だ」

「サビーナの会社からも一流の魔術師が参加するわ。あなただってあそこの面々はよく知っているでしょう?」

「だからこそ、危険だと言ってるんだよ。確かにブラフマー魔術師派遣会社はオウタウ五指に入る魔術師事務所だ。魔術師たちの質もよく、人員も豊富だ。それはわかってる」

「なら、なにが危険なの?」

「ヴェロニカだけがブラフマー魔術会社の人間ではないことだよ」


 ――え? と、ヴェロニカが疑問声を上げた。構わずニックは続ける。


「『雷帝』ヴェロニカは、同じ魔術師たちから尊敬されている。同時に、ブラフマー魔術師派遣会社の戦力たちから、ライバル視されていることはわかっているだろ? 誰もが君よりも力があることを戦いの中で示そうとする。例えそれが意識的にでも、無意識的だったとしても、そうなれば危険だ」

「……私のせいで周囲が足を引っ張ると言いたいの?」

「違うよ、そうじゃない。君を本当の意味でサポートする魔術師がいないことを、僕は案じているんだ」


 だったらなぜニックは助けてくれないのか――そう言ってしまいそうになる衝動をヴェロニカはグッと押さえこむ。


「僕が無責任なことを言っていることは承知している。恥じてもいるよ。でも、心配なものは心配なんだ。僕は君に死んでほしくない」

「なら、どうしろと言うの? 私に【異界の住人】を放っておけとでも? ニックは知っているでしょう、私が魔術師になった理由を、"どうして私に家族がいないかという理由"も!」


 知っているからこそ、ニックは彼女を心配する。

 ヴェロニカ・マージは幼い頃、【異界の住人】によって魔術師だった両親を殺されている。孤児となった彼女はその後、恨みと憎しみを果たすべく魔術師の道を必然のように歩いていった。


 戦いに身を置き、何度も【異界の住人】に関わる事件に関係し、その過程でシャスティン・エークヴァルと出会い事務所の仲間となる。そして、ついに【異界の住人】を殺すだけの実力をつけた。

 だが、彼女の力の根源である、【異界の住人】への恨みと憎しみは消えていない。


 そんな彼女を放っておけるわけがなかった。例え、魔術師以外の道を模索しているとしても、ニックにとってヴェロニカは大事な仲間であり、師であり、姉であるのだ。

 彼女になにかがあれば、その場にいなかったニックはきっと死ぬほど後悔をするだろう。ゆえに今ここに居る。


 イリーナ・バンの情報が欲しかった。シャーリーを本当の意味で安心させてあげることができる答えが欲しかった。同時に、ヴェロニカのことが心配だったのだ。

それ以上の理由などない。


「これは、サビーナから渡された今回の事件ファイルだね。見せてもらうよ、魔術師としての視点からの資料が欲しかったんだ」

「……私の質問には答えてくれないの?」

「僕がなにを言ってもヴェロニカが止まらないことはわかっている。僕はね、情報が欲しかった。でも、同じくらいに君が心配だったんだ。だから無意識にここに足を運んでしまったんだと思う」


 ごめん、と彼女に謝罪する。


「どうして僕は、ヴェロニカに一緒に戦うと言えないんだろう? マーティンさんにも戦ってほしいと頼まれたのに、返事ができなかった」

「あなたは戦たくないの?」


 そうじゃない、と否定する。


「僕には戦わない理由なんてない。だけど、同じくらいに戦う理由もないんだ。今はただ、行方不明になった生徒の行方を知りたいだけ。だけどもしも、その過程で【異界の住人】が邪魔をしようと立ちふさがるなら」


 刹那、ヴェロニカの全身の毛が総毛立つのを感じた。冷たいニックの雰囲気に飲まれてしまいそうになる。


「――『俺』はきっとあの化物どもを許さない」


 随分と不器用な性格になってしまったのだと、弟を案じてヴェロニカは嘆息する。

 普通はいちいち戦う理由を細かく求めたりしない。多くの魔術師が、仕事だから、金がほしいという理由だけで戦っている現代で、ニックのように戦いの理由を求めたりするほうがナンセンスだ。


 ヴェロニカでさえ【異界の住人】には強い恨みと憎しみを抱いているが、それだけを戦う理由にして愚直に追い続けているわけじゃない。

 魔術師犯罪が多発するこの街で依頼がくれば仕事として事件に向き合っている。もちろん、被害者への同情、依頼者への共感なども戦う動機だが、結局のところ魔術師の道を選んだその瞬間から、戦いは必須だと覚悟をしていたのだ。彼女だけではない、きっと多くの魔術師がそうだろう。


 対して、ニック・スタンレイは違う。かつて在籍していた裏社会の組織がシャスティンたちに潰された際に、素人同然の彼が見様見真似で魔術を使ったことと、その気概を気に入られたことで魔術師としての道を与えられた。

 彼には魔術師として歩む理由も、戦う動機も、覚悟する時間もなかった。それはシャスティンをはじめとする事務所の人間の責任でもあり、ヴェロニカも責任でもある。


 もしかしたら、才能がありすぎたことがわるかったのかもしれない。ニックは魔術師の誰もが通る、苦しみや葛藤にぶつかることなく一流魔術師の仲間入りをしてしまったのだ。

それが、ヴェロニカとニックの違い。多くの魔術師たちとニックに違いだった。


 そして今、青年は多くの魔術師が経験したように、魔術師としてのこれからに悩んでいるのだ。戦う覚悟をするために、悩み苦しんでいるのだ。順序がまるで逆だった。


 気づけばヴェロニカの心は冷静になっていた。

 サマンサやサビーナが、ニックがどうするか判断するのを待てと言っていたのがわかる気がした。そのことに今さら気づく自分もまた、未熟であるのだと反省せざるを得ない。


 二人は、彼が自分の足でしっかりと前を向き歩きはじめるのを待っていたのだ。それが例え、魔術師の道ではなかったとしても。そして、きっとシャスティンも自由にさせろと同じ意味で言ったのだろう。

 状況がそれを許してくれないのは、なんとも皮肉なことだと思えてならない。


 ニックなら戦える【異界の住人】の存在が、彼の歩みを止めようとしている。

 もちろん弟に頼らなくても【異界の住人】を倒すことはできるかもしれない。だが、【超越者】である彼がいてくれれば、それだけで安心できるというのも確かなのだ。


「ニック、あなたは行方不明者の一人の生徒が、本当に事件の被害者なのか、それともただ行方知れずなのか、はっきりさせたいのよね?」

「え、ああ、うん」


 急に改まって問われたことで、ニックの張りつめた雰囲気が霧散する。


「なら私を手伝いなさい。なにも事務所に戻れと言うつもりはないわ。だけど、この緊急事態にあなたが勝手に動き回っても困るのよ。情報はすべて共有しましょう。そして、あなたは大事な生徒の安否を確認すればいいわ」

「……だけど、僕は」

「もしも、その過程で【異界の住人】との戦闘になるのなら、力を貸して、この事件が終わったらニックの進むべき道を反対したりしないから」


 戸惑いの声を遮り、ヴェロニカは言いたいことをすべて言い切った。

 本当は、魔術師としてこの事務所に帰ってきてほしいと思う。だが、それでは彼のこれからを無視してしまう形になる。それは嫌だった。だから、自分自身が折れることができる範囲で言うべきことを言う。なによりも、青年にとって都合のいい理由をつくることきる。


「わかったよ。その条件、飲むよ。きっとそれが今の僕にできることだと思うから」


 それに、とニックは少しだけ恥ずかしがって、


「ヴェロニカを心配だという気持ちも嘘じゃいんだ。だから僕が助けになるよ」

「ありがとう。お姉ちゃん思いの弟を持って私は幸せよ」


 だから茶化すように、感謝の気持ちをヴェロニカは大切な弟に伝えるのだった。



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