第10話「戦う理由」1
ヴェロニカ・マージは事務所で資料に目を通していた。
サビーナから受け取った資料と、朝一番で知り合いの警部に送ってもらった、ここ最近の失踪者リストだ。
つい先ほど、【異界の住人】の新たな被害者が発見され、しかも失踪者リストの中にいた人物だったことを、電話越しに伝えられた。
現場へ向かおうと考えたが、オウタウ市警とブラフマー魔術師派遣会社がすでに人員を送っていることを聞き、詳細をいち早く送ってほしいと頼んで事務所で待機していた。
ヴェロニカは考える。この忌々しい【異界の住人】を殺すにはどうするべきか、と。
かつて彼女も一度だけ【異界の住人】を殺したことがある。だが、単独ではない。ほとんど彼女に殺されたと判断してよかったが、周囲の手を借りていたのも事実。
【超越者】という称号に興味はないが、自分が【超越者】と呼ばれるに至らなかったことは自覚している。
思い返せば、かつての所員たちは規格外が多かったと思う。
所長のシャスティン・エークヴァルはもちろん、今は亡きコハク、そしてニックを含めた三人が『超越者』の称号を持っていたのだ。他の所員も二つ名を持ち、一目置かれた魔術師であった。もちろん、ヴェロニカ自身も『雷帝』の二つ名を持つ一流の魔術師だ。
あの頃の面々であれば、【異界の住人】が現れても必ず勝つと断言することはできずとも、負けるつもりは毛頭なかっただろう。
それだけ信頼していた。だが、今はもう、ないものねだりでしかない。
所長は刑務所。ニックは塾の講師。ひとりは死亡、もうひとりも引退しており、他は事務所を移した。もう残っているのは自分だけ。
せめてニックだけでも戻ってきてくれないか、と考えてしまうのも、しかたがないことだった。事務所に戻ってきてほしいという願いも強いが、今はそれ以上にこの【異界の住人】の被害が出ないようにするために彼の力を借りたかった。
それはサビーナもマーティンも同じなはず。例外は、魔術師としてではなく塾の講師である彼を全面的に受け入れ、危険に晒したくないサマンサだけだろう。
思い返せば四年前、裏社会の人間だったニックをシャスティンが拾い、ヴェロニカが魔術を、コハクが戦いの基礎と自身が作り上げた戦闘技術である刀撃術、そして故郷に伝わる魔術を教えていたころが懐かしい。
嫉妬するのも馬鹿らしくなるほどの才能を持ち、砂漠の砂が水を飲み込んでいくように、知識と技術を身に着けながら、ニックは一度として驕ることがなかった。
二年もすると、度重なる戦闘経験を経て、ヴェロニカの実力を追い抜いてしまった。だが、不思議と悔しいという気持ちはいだかなかなかった。きっと、彼のことを弟のように愛していたからだ。弟の才能と努力の結果を認めない姉などいない。
一年前までは、ニックとヴェロニカは一緒に暮らしていた。恋人としてではなく、家族として。お互いに孤児であったことと、他の事務所の面子が常識にどこか欠けていた人間ばかりだったので、必然と常識がある自分が日常面でも世話係もするようになったことは懐かしい思い出のひとつだ。
一緒に暮らすと言っても、事務所の三階に二人で生活していただけ。
そんな、ニックが現れてからの三年間が、短いヴェロニカの人生で一番楽しかった時期だと素直に思う。
もうその時間が戻ってくることはない。その現実が重くのしかかってくる。
「……駄目よ。過去ばかりを見ないで、今を見なければ」
そう自分に言い聞かせながら資料をめくる。
なにもはっきりとわかっていないことだらけの【異界の住人】だが、戦う者だからこそわかっていることもある。
防御が硬く、魔術に対する抵抗力も強すぎる。下位種から上位種まで存在し、下位種は知能こそ獣だが、戦闘面では一流の魔術師を超え、獰猛で食欲旺盛だ。
上位種は、知性的であり人語を操る。知能があるせいで戦い辛さは下位種を数倍。戦闘能力も下位種と比べてはるかに高みにある。そして、下位種、上位種関係なく、魔術の属性を必ずひとつ持ち、特化している。
この規格外な化物が、いったいどこから現れて、なにを目的としているのか不明だ。
奴らがはじめて確認されてから何百年の月日が経っているが、一向に謎ばかりだ。
幸いなのは、一度に大量に現れないこと。歴史上、もっとも多く現れた時でさえ、七体だった。だが、そのたった七体で、小国が一夜にして滅んだとされている。
それほど恐ろしく、強い化物なのだ。
ヴェロニカは脳裏に極力殺傷能力の高い魔術を並べていく。その中には、かつて自分が【異界の住人】を屠った魔術もある。しかし、それだけでは足りない。ひとりで戦おうとするなら、火力が足りなすぎる。
自身が戦場に立つときには、ブラフマー魔術師派遣会社の社員と協力して戦う手はずになっている。幸い、サビーナが戦闘担当に名を挙げた魔術師たちは、お互いによく知っているので連携も取りやすい。過去にも同じように仕事を共にしたことがあるからだ。それでも不安が残ってしまう。
思えば、ヴェロニカが所長代理になってからこれだけ大きな事件はなかった。せめてシャスティンが出所してからであれば、とつい思ってしまう自分が腹立たしい。
そんな時だった。カラン、と音を立てて事務所の扉につけられている来客を知らせる鐘がなる。【異界の住人】が現れている以上、他の仕事を受けることはできない。だが、いつもの癖で来客のために鍵を開けっ放しだったのだ。
依頼人を追い返すのも気が引けると思ったヴェロニカが、席を立って来訪者を迎えようとして――足を止めて、驚きに目を見開いた。
「えっと、昨日ぶりだね」
そこには、ニック・スタンレイが気まずそうな顔をして立っていたのだった。
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